富山地方鉄道 富山軌道線・富山港線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
総延長は7.5km、南富山駅前−大学前間6..4kmは、複線化されています。 また富山都心線(丸の内-西町間)は、一方通行となっていて、環状線化されています。富山駅前-丸の内-大手モール-荒町-富山駅のルートで全長3.4kmを巡回しています。富山都心線は、富山市が施設を所有しています。富山都心線は、単線一方通行で、反時計回りに丸ノ内-国際会議場-大手モール-グランドプラザ前-西町接続点の方向で運行されます。 さらに富山駅への乗り入れに伴い新設された富山駅南北接続線(支線接続点 - 富山駅間) 0.2kmは、富山市が施設を所有しています。 2020年(令和2年)3月21日には、富山港線と富山軌道線が悲願の南北接続を果たし、相互運行が開始されました。これにより岩瀬浜から南富山、大学前と全線で直通運転が始まり、利便性が飛躍的に向上することになりました。 2021年(令和3年)3月21日には富山港線にオークスカナルパークホテル富山前停留場及び龍谷富山高校前(永楽町)停留場が新規開業しています。これで一連の新規事業がとりあえず完了したことになります。 富山電気軌道により1913年(大正2年)9月1日に富山駅前-堀川小泉、富山駅前-総曲輪(現在の丸の内)-西町間が開業したのが富山市内軌道線の始まりです。 さらに1915年(大正4年)3月13日には堀川小泉-堀川新駅前(現在の南富山駅前)開業が開業しています。 現在の本線と支線がこれで完成したことになります。1916年(大正5年)11月22日に越前町-護国神社前-安野屋-呉羽公園間が開業しています。これで呉羽線の原型が完成したことになります。 ところが経営不振であっけなく、1920年(大正9年)7月1日に富山市に移管され、富山市営軌道に衣替えしています。 1928年(昭和3年)10月21日には西町-中教院前-赤十字病院前-東田地方(旧東田地方駅前)間が開業し、1936年(昭和11年)4月15日には東田地方-電気ビル前間が開業しています。これで東部線が開通したことになります。 そして1943年(昭和18年)1月1日には富山県内の私鉄が大合同して富山地方鉄道が発足し、富山市営軌道も富山地方鉄道に譲渡されています。 1944年(昭和19年)5月17日には、大学前-呉羽公園、赤十字病院前(後の東田地方)-東田地方間が廃止されています。
1950年(昭和25年)12月31日には射水線から新富山駅前-旅籠町-西町間への乗り入れを開始しています。 1952年(昭和27年)8月5日に旅籠町-護国神社前-安野屋間が廃止され、丸の内-安野屋間が開業しています。これが現在の安野屋線となります。同時に西部線ルートが変更されたことになります。 1954年(昭和29年)4月1日には笹津線の乗り入れ区間を富山駅前へ延長しています。この頃は笹津線はまだ順調だったのでしょうか・・・。 1961年(昭和36年)7月18日には、中教院前-不二越駅前間が開業、これが山室線となります。同日、射水線からの乗り入れが中止されています。これは富山新港の建設により射水線が分断されたことから乗客数が激減したことが原因となっています。 1964年(昭和39年)11月8日には東田地方-電気ビル前間が廃止され、東田地方-地鉄ビル前間が開業しています。東部線ルートが変更されたことになります。 この頃が富山市内軌道線の最盛期だと考えていいでしょう。この後は、各線での廃止が相次ぎます。 1967年(昭和42年)10月10日には笹津線からの乗り入れが中止されています。 この頃になるとモータリゼーションの影響もあり、笹津線の経営は極めて厳しくなっていたようです。 1969年6月からはワンマン運転化が始まりました。
1972年(昭和47年)9月21日には中教院前-地鉄ビル前間が廃止、東部線が縮小されたことになります。(>_<) 1973年(昭和48年)3月31日には西町-旅籠町- 丸の内間が廃止され、西部線が廃止となっています。(>_<) 1977年(昭和52年)8月31日には、射水線から新富山駅前-富山駅前間への乗り入れを再開しています。 これは射水線が分断されたことによる経営不振を挽回しようとしたものですが、1980年(昭和55年)4月1日には射水線廃止により乗り入れも中止されています。 1984年(昭和59年)4月1日には、西町-中教院前-不二越駅前間が廃止され、山室線と東部線が廃止となっています。 これで富山都心線開業直前の状況になったことになります。 最盛期の路線長は10.8km、この時点での路線長は6.4kmとなっていて、廃止された路線は4.4kmとさほどではないのですが、逆に言えば短い枝線をいくつも建設したがモータリーゼーションの影響で経営が困難になり廃止されたと言えるでしょう。 しかし富山市内軌道線富山都心線が2009年12月23日に開業して、36年ぶりに環状線が復活しました。これにより25年ぶりに富山市内軌道線が拡張されることになったわけです。富山市内軌道線の新線開業としてはなんと45年ぶりとなります。(^o^) 富山都心線は、丸の内駅から西町駅付近までの単線940mで、途中に電停を3か所新設、富山駅前→丸の内→大手モール→荒町→富山駅前の3.4kmを逆時計回りで環状運転します。運行間隔は9:00〜19:30では10分、それ以外の時間帯では20分となっています。1日80本の運行となります。
まあ、富山ライトレールでも経験済みですが。 新線区間では、富山市が軌道と電停の建設および環状線用車両を購入して保有し、実際の運行は富山地鉄が担う、いわゆる「上下分離・官設民営方式」を採用しています。 当初は、1)平和通を経由して旅籠町を通る旅籠町ルート、2)大手モールを経由し富山国際会議場前を通る大手町ルートの2つが検討されましたが、2006年6月に、2)大手町ルートの方が採用されることになり、単線での敷設を行うことが決定されましたが、今後の乗客数増加もにらみ、複線化が可能なように工事が行われるとのことです。まあ、(1)は一度失敗しているルートですし、現状を考えると(2)のルートのほうが良いと私も思いますので、この判断は現時点では妥当と思います。 実は困ったことに、新線はホームが千鳥式となっている関係から西町駅に入れないのです。下り線ホームが交差する道路の南側にあるためです。しかしホームの位置を移動するにも道路幅やバリアフリーなどの規制があってかなり難しいということです。 しかしここは大枚をはたいてもホームを移動した方がよいとは思いますが・・・。 そこで実際に現場を見てみると、この工事はきわめて難しいと思われます。何しろ道路幅が狭く、道路脇のアーケードを撤去するしかなさそうですが、しかしこれはたいへん大がかりな工事となります。となるとホームの移設が無理だとすれば、本線に合流する手前にもう一つホームを造るかです。こちらの方が現実的かもしれませんね。現在は、この線でホームの新設を検討しているとのことです。・・・と思ったら、平成25年3月に富山地方鉄道から発表があり、西町−荒町間に新駅を設置することが決定し、既に工事が始まっています。新駅は、中町(西町北)となります。総曲輪通りと中央通りを結ぶ横断歩道のそばに設置されますが、ここには以前、中町停留所があったのですが、戦後廃止になっています。中町駅が復活することになるわけですが、富山駅前方面域のみの一方向のみの停留所となります。平成25年5月17日開業予定となっていますので、これは楽しみです。
なお新型車両の愛称はセントラムと決定され、2009年12月23日の富山都心線の開業に合わせて、環状線専用車両として投入されます。さらに富山駅に新幹線の乗り入れのため高架化されるのに伴い、富山ライトレールと接続し、直通運転する予定です。 また富山大橋が老朽化しているため、2006年(平成18年)11月から富山大橋の掛け替え工事が着工しており、これに伴い呉羽線も複線化工事が着工しています。 これにより新しい富山大橋は2012年(平成24年)3月24日に供用を開始しました。これにより呉羽線が複線化されることになり、鵯島信号所は廃止となりました。また富山大橋は、現在よりも北側に架け替えられるので、線路も現在よりも北側に移動し、新富山駅も同時にやや北側に移動することになります。また安野屋駅もやや東側に移動しました。 新富山駅、安野屋駅とも2線2面の相対式ホームとなり、ホームも新設されて上屋が設置されました。また大学前駅もホームが改修され、同様に上屋が新設されています。
また、現在の大学前からさらに南側の富山大学構内を通り、工学部付近まで延伸する計画が持ち上がっています。それに対して五福地区の住民側からは以前のようにさらに西側へ軌道を延伸するように求める声が上がっていて、予断を許さない状況となっています。しかし、ずいぶん派手な計画が目白押しですね。これは今後が楽しみです。 そこで一つ問題になるのが富山市内軌道線の旧態依然としたホームと線路です。これは何とかならないのでしょうか。 現在のところは呉羽線が前述するように複線化工事に伴い上屋が新設されるなど、ホームが改修されていますが、それ以外では、富山都心線の各駅と西町駅、南富山駅前駅が上屋を持っているくらいで、他の駅にはまだ上屋がありません。万葉線高岡軌道線の各駅が大規模にホーム改修を実施して、上屋を設置しているのに比べるとかなりの遅れようです。 さらに言えば車両も万葉線や富山ライトレールに投入しているような新型の低床式LRVをさらに投入しないといけないでしょう。 現時点ですべて8000形電車にリプレースされているのならまだ良いのですが、何しろ未だに7000形電車の方が新型の8000形電車よりも多いのです。 これだと富山ライトレールと接続したときにその差が歴然としてしまいますからね。いやいやその前に富山都心線が開業したときに困ってしまいます。実際にセントラムに乗ってみますと、一目瞭然です。すれ違う7000形電車の乗車率がイマイチなのにこちらは満員という様子で既にこの問題が発生していると見られます。ですからせめて7000形電車は新型にリプレースしていかないと・・・。
と思っていたら、なんと・・・富山地方鉄道は、3連接型LRVを市内軌道線に投入することを発表しました。ううむ、やるな・・・。 この車両は、豊橋鉄道で使用している車両と同タイプのものということです。ということは、いよいよ7000形もお役御免の日が近づいていると言うことか・・・。あの車両は、ずいぶん長持ちした良いつくりの車両なのですが、老朽化も考えるとそろそろかもしれません。・・・って、新型にリプレースしろと言っていたのは誰だったか。7000形電車は路面電車の基本みたいな車両ですからね。ただ、富山市内軌道線にはポートラムタイプの2連接型LRVセントラムが富山都心線に投入されているので、4種類もの車両が走ることになり、線路とホームの改修も急がなければならないでしょう。 新型3連接LRVは、愛称がサントラムとされ、2010年4月28日より、南富山駅前−富山駅前間を1時間に1本の間隔で運行されています。さらに富山大橋の開業と複線化により平成24年4月からは、南富山駅前-大学前間を運行しています。 しかし、それにしても3連接LRVを投入した意図は何なのでしょうか。セントラムが2連接LRVなので、同様の車両の方がメンテナンスも有利なのではと思うのですが。それとサントラムは3連接ですが、2連接のセントラムよりも車体の長さは実は短いし、定員も少ないのです。まあ、3連接LRVというだけで話題にはなりますが、元々充分に話題になっていますからね。
その意味で今回の富山市の取り組みはたいへん先進的ですので、今後もどんどんアイディアを出して欲しいところです。 平成27年3月14日にはついに悲願の北陸新幹線が開業し、同時に富山市内軌道線富山駅が開業し、北陸新幹線、あいの風とやま鉄道、高山本線に接続することになりました。 それにしても富山駅構内に直接市電が乗り入れる形になり、改札口から出てくるとそのまま市電に乗りこむことができるのは、便利になったものです。さらにこれまで乗換駅だった富山駅前駅は電鉄富山駅・エスタ前と改称されています。 電鉄富山駅からならば、こちらへの乗り換えの方が便利かもしれません。 さらに同時にサントラムを1編成追加投入することになり、これでサントラムは3編成ということになります。 2015年12月4日、国土交通省は富山市と富山ライトレール・富山地方鉄道から出されていた軌道運送高度化実施計画の変更を12月7日付で認めると発表しています。これによると、富山ライトレール側の軌道延伸工事は平成31年/令和元年度(2019年度)、富山ライトレール複線化も含めた事業の完成は令和2年度(2020年度)の予定となっていました。2019年2月時点では、南北接続の完成は2020年3月の予定とされていました。 富山市・富山地方鉄道・富山ライトレールは2019年10月1日に記者会見を開き、2020年3月21日から南北を接続しての運行を開始すること、またそれによる運行形態の概要を発表しています。 これによると、富山港線と富山軌道線の直通は南富山駅前方面・富山大学前方面・環状線方面の全てに対して行う。ただし朝ラッシュ時は環状線方面への直通はなし。朝ラッシュ時は富山港線で1時間あたり6本運行するうち、3本を南富山駅前方面・3本を富山大学前方面へ直通する。日中は富山港線で1時間あたり4本運行するうち、1本を南富山駅前方面・1本を富山大学前方面・2本を環状線方面へ直通する。富山軌道線の各区間では現行の運行間隔を維持するが、一部が富山港線直通に振り替えられる。 このため、南富山駅前 - 富山大学前の通し系統(現行の2系統)は日中1時間に6本から5本に、環状運転(現行の3系統)は日中1時間に4本から2本へと減便となるとのこと。ううむ、これを聞いただけで、訳が分からなくなりそうですね。富山駅の混乱、混雑ぶりが予想されますが、果たしてどうなるのか。電車が入り乱れて、ホームの空きがなくてあちこちで信号待ちが発生しそうですが。 なお、これに関連して丸の内停留場および中町(西町北)停留場で、岩瀬浜方面と南富山駅前・富山大学前方面との間の乗継割引が開始されています。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
平日時刻表(PDF:290KB) 休日時刻表(PDF:286KB)
|
富山地方鉄道富山市内軌道線 マップ |