石川県内の廃止路線
石川県内の廃止路線の概要
加賀一の宮駅から南にはかつて金名線があった
加賀一の宮駅から南にはかつて金名線があった
石川県内にはこれまで多数の鉄道路線が建設されてきましたが、既に半分以上の路線が廃止されています。
国鉄・JR線では、七尾線七尾-穴水間53.5km)と能登線(穴水-蛸島間61.0km)が第三セクター線となり、のと鉄道に引き継がれましたが、このうち七尾線(穴水-輪島間20.4km)と能登線全線が既に廃止され、その総延長は81.4kmになります。
七尾線は、1898年(明治31年)4月24日に七尾鉄道が津幡仮 - 矢田新間52.34kmを開業したのが最初で、1925年(大正14年)12月15日には七尾 - 和倉間5.1kmを延伸開業、1928年(昭和3年)10月31日には和倉 - 能登中島間延伸開業、1932年(昭和7年)8月27日には能登中島 - 穴水間を延伸開業しています。この時点で現在の七尾線と同様の路線となっています。
1935年(昭和10年)7月30日には、いよいよ穴水 - 輪島間が延伸開業し、これにより全線開通が実現しました。
一方、能登線は1959年(昭和34年)6月15日に穴水-鵜川間(22.9kmが開業したのが最初で、1960年(昭和35年)4月17日には、鵜川 - 宇出津間9.9kmが開業、1963年(昭和38年)10月1日には宇出津 - 松波間13.8kmが延伸開業、1964年(昭和39年)9月21日松波 - 蛸島間(14.5km延伸開業により全線開通が実現しました。
能登線は、能登半島の北部に位置する奥能登の南岸を走る路線であり、もともと過疎地域に建設されている上に、開業時には既に自家用車が普及しつつあり、モータリゼーションの影響もあって乗降客は数年増加したのちには早くも減少し始めました。
穴水駅から北にはかつて能登線と七尾線があった
穴水駅から北にはかつて能登線と七尾線があった
沿線自治体は1981年に「能登線存続期成会」を結成して存続活動を展開していますが、折からの国鉄改革により1985年には第3次特定地方交通線候補に選定されてしまいました。これを受けて石川県は能登振興のために鉄道は必要と考えて、1986年には、第三セクターを設立して存続する意向を示し、能登線の早期の第3次特定地方交通線指定を国に求めた結果、1986年5月末には希望通り第3次指定に先行承認され、国鉄線としては廃線が決定しました。
こうして1987年には石川県・周辺自治体・金融機関などが出資する第三セクター「のと鉄道」が設立され、1988年(昭和63年)3月25日にのと穴水駅(現・穴水駅) - 蛸島駅間が「のと鉄道能登線」として開業しました。
一方、同時期に七尾線を電化するという議論が活発となっています。JR西日本と地元自治体が交渉した結果、津幡-和倉温泉間を電化し、和倉温泉以北の経営はのと鉄道が引き継ぐこととなり、1989年には津幡-和倉温泉間を直流電化することと和倉温泉-輪島間を第三セクター化してのと鉄道が引き継ぐ旨を運輸省に提出し、2年後の1991年(平成3年)9月1日には津幡-和倉温泉間59.5kmが電化され、同時に和倉温泉-輪島間48.4kmがのと鉄道に経営が移管されました。また七尾-和倉温泉間5.1kmは、JR西日本とのと鉄道の共用区間となっています。
のと鉄道七尾線は、特定地方交通線以外の路線が第三セクターに転換された初めての事例でしたが、穴水-輪島間の乗客の減少が著しく、路線の廃止が取り沙汰されるようになっています。
鶴来駅からはかつて能美線が分岐していた
鶴来駅からはかつて能美線が分岐していた
この背景としては、能登地方がもともと人口が多くない地域でありさらに過疎化が進んでいたことと、能登地方の道路網が整備されてモータリゼーションが進んだことなどの要因があるでしょう。鉄道は、並行して走るバスに対して料金面でもスピード面でも不利になったのです。また、穴水以北は勾配区間が多く、運行速度が低いことも不利につながっています。
ついに2000年(平成12年)3月には七尾線(穴水-輪島間20.4km)の廃線が決定してしまい、2001年(平成13年)4月1日で廃止されました。これは国鉄民営化後に第三セクターに転換された路線が廃止された初めての事例となり、各方面への衝撃は大きいものがありました。
一方、能登線は開業時点では収支が改善され黒字を計上していましたが、のと鉄道が七尾線の経営を引き受けた頃からは、能登線の乗客も減少して、毎年収支が悪化しています。
そして2004年(平成16年)3月23日に開かれたのと鉄道の取締役会でついに能登線の廃止が決議され、2005年(平成17年)4月1日付で廃止となりました。
穴水以北の鉄道路線が全廃されたことで、通学客への影響は大きいものがあります。能登地方の高等学校も統廃合されていることもあり、下宿を余儀なくされる学生や、混雑の激しいバスでの通学を強いられる学生も増えているといわれています。
私鉄線に関しては石川県内には北陸鉄道が全県下に路線を持っていて、小松からはナローゲージの尾小屋鉄道がありました。
しかしこれらの路線も順次廃線となっていき、2009年4月時点では北陸鉄道の2路線合計22.7kmが残るのみとなっています。
下記の廃止路線一覧表を見ても、廃止路線の多さが目を引きます。
金沢駅前からはかつて金沢市内線が出ていた
金沢駅前からはかつて金沢市内線が出ていた
北陸鉄道は、石川県内の私鉄線を統合して設立された鉄道会社ですが、当初は国鉄各駅毎に接続と言われるほどに石川県加賀地方のほぼ全域と能登地方の一部に路線を持っていましたが、次第にバス路線を拡張していき、鉄道路線を縮小していったという経緯があります。国鉄(JR)線に接続していた駅としては、金沢駅の他、東金沢駅、西金沢駅、松任駅、寺井駅、小松駅、動橋駅、粟津駅、大聖寺駅、羽咋駅と多数の国鉄駅に接続していたのですが、現在は、金沢駅と西金沢駅のみとなっています。
また県南部の加賀地方にある各温泉地と北陸本線を接続するための加南線(山中線、山代線、連絡線、粟津線、片山津線)が特急列車の停車駅の変更で客の流れが変わったことで全廃される事態になったことや、金名線が手取川橋梁を支える橋脚の岩盤の劣化により廃止など、ツキにも見放された感もありますが、少々見切りが早すぎるような気もします。
一口で言えばモータリゼーションのためにマイカーとバス路線が鉄道路線に取って代わったということになります。
また北陸鉄道がバス路線を優先する方向での経営方針であったとも言えます。
北陸鉄道だけで廃止路線の総延長は124.9kmにも達し、尾小屋鉄道の16.8kmを加えると、私鉄線だけで141.7kmの路線が廃止されたことになります。これにのと鉄道の廃止路線81.4kmを加えると、全廃止路線は合計223.1kmにも達します。
下のグラフを見てもわかるようにじわじわ路線が廃止されていき、1987年までで私鉄線の大半が廃止されていて、さらにのと鉄道が2001年以降に一気に廃線にさらされてます。
かつては内灘駅から先にもまだ線路が延びていました
かつては内灘駅から先にもまだ線路が延びていました
現有在来路線が、JR北陸本線(大聖寺-金沢46.4km)、IRいしかわ鉄道(金沢-倶利伽羅間17.8km)と七尾線(津幡-七尾間54.4km)、のと鉄道七尾線(七尾-穴水間33.1km)、北陸鉄道の20.6kmであり、合計172.3kmであることから、鉄道路線は既に最盛期の半分以下に落ち込んでいる事がわかります。
廃止率は56.7%と北陸3県では群を抜いて高いのです。
2008年(平成20年)10月23日には、北陸鉄道は石川線(鶴来-加賀一の宮間2.1km) の廃止届(廃止予定日2009年11月1日)を国土交通省北陸信越運輸局に提出しています。
以前は、鉄道路線の廃止は、認可制で簡単には廃止できなかったものが最近では鉄道路線にまで競争原理を導入したのか、規制緩和で比較的簡単に路線の廃止ができるようになりました。
しかし鉄道路線は公共交通機関であり、簡単に廃止してしまえるのはいかがなものかと思います。今後は、地方私鉄は第三セクター化して半公半民体制で維持していかないと存続が困難になるところがさらに増えてくるかと思います。
実例としては富山市内軌道線を環状線化する富山都心線建設では上下分離方式を採用しています。
これは新線建設と車両の購入は富山市が担当し、実際の運行は富山地方鉄道が行うという方式で、路面電車では初めての方式です。リスクを分散することで経営基盤が脆弱な地方私鉄でも新規事業が容易になるメリットがあります。
まあ、路面電車の新線建設自体が他県では長らくありませんのですが・・・。
金沢市内でも市内電車の復活を求める声はあるのですが、実現となると極めて困難です。
むしろ富山市が、どうしてこんなにとんとん拍子に話が進むのかが不思議なくらいです。


廃止路線一覧
種別 路線名 区間 総延長 軌間 単複 架線電圧 廃止日
鉄道 北陸鉄道浅野川線 内灘-粟ヶ崎海岸 1.3km 1,067mm 単線 600V直流  1974年7月8日
北陸鉄道石川線 野町-白菊町 0.8km 1,067mm 単線 600V直流  1972年9月20日
鶴来-加賀一の宮 2.1km 1,067mm 単線 600V直流  2009年11月1日
北陸鉄道金名線 加賀一の宮-白山下 16.8km 1,067mm 単線 600V直流  1987年4月29日
北陸鉄道能美線 新寺井-鶴来 16.7km 1,067mm 単線 600V直流  1980年9月14日
北陸鉄道松金線 野々市 - 野町 3.2km 1,067mm 単線 600V直流  1944年4月18日
松任-野々市 5.2km 1,067mm 単線 600V直流  1955年11月14日
北陸鉄道能登線 羽咋-三明 25.5km 1,067mm 単線 非電化  1972年6月25日
北陸鉄道小松線 小松-鵜川遊泉寺 5.9km 1,067mm 単線 600V直流  1986年6月1日
北陸鉄道加南線 連絡線 宇和野-粟津温泉 7.7km 1,067mm 単線 600V直流  1962年11月23日
粟津線 粟津温泉-新粟津 3.4km 1,067mm 単線 600V直流  1962年11月23日
片山津線 動橋-片山津 2.7km 1,067mm 単線 600V直流  1965年9月24日
山中線 山中-大聖寺 8.9km 1,067mm 単線 600V直流  1971年7月11日
山代線 河南-新動橋 6.3km 1,067mm 単線 600V直流  1971年7月11日
軌道 北陸鉄道金石線 中橋-大野港 7.6km 1,067mm 単線 600V直流  1971年9月1日
北陸鉄道金沢市内線 東金沢駅前 - 鳴和 1.0km 1,067mm 単線 600V直流  1966年2月28日
鳴和 - 橋場町 1.9km 1,067mm 複線 600V直流  1966年12月26日
全線 10.0km 1,067mm 単複 600V直流  1967年2月11日
軽便鉄道 尾小屋鉄道 新小松-尾小屋 16.8km 762mm 単線 非電化  1977年3月20日
鉄道 のと鉄道七尾線 穴水-輪島 20.4km 1,067mm 単線 非電化  2001年4月1日
のと鉄道能登線 穴水-蛸島 61.0km 1,067mm 単線 非電化  2005年4月1日
石川県内の廃止路線マップ

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