JR七尾線 羽咋駅
羽咋(はくい)
七尾線 南羽咋 羽咋 千路
所在地 石川県羽咋市川原町18
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)
所属路線 七尾線
キロ程 29.7km(津幡起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員 1,011人/日(2020年)
開業年月日 1898年(明治31年)4月24日
駅種別 業務委託駅 みどりの券売機プラス
羽咋駅
羽咋駅
羽咋駅コンコース 羽咋駅ホーム

羽咋駅コンコース

羽咋駅ホーム
ホームは2面3線 羽咋駅駅名標

ホームは2面3線

羽咋駅駅名標
羽咋駅(はくいえき)は、石川県羽咋市川原町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)七尾線の駅である。
特急列車は過去に「かがやき」が通過していたが現在はすべての列車が停車する。
かつては当駅から北陸鉄道能登線が三明駅まで伸びていた。
また、北鉄能登線の前身である能登鉄道の時代から氷見線を氷見駅から当駅まで延伸する計画があった。
駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。
駅舎は西口と東口の2つが存在する。
西口にはバスのりばがあり、単式ホームの1番のりばに面したコンクリート平屋建てで事務室などがある。
駅舎と各ホームは跨線橋で連絡している。みどりの券売機プラス設置駅。
かつては七尾鉄道部管理の直営駅であったが、西口はJR西日本金沢メンテックが受託する業務委託駅、東口は羽咋市が受託する簡易委託駅となっている。
2021年3月13日からICOCAなどの全国相互利用サービスに対応した交通系ICカードが利用可能となっており、改札には簡易型のIC専用改札機が設置されている。
また、羽咋市の地域おこしとして「UFOのまち」を展開していることから、駅前にはUFO型の街灯が設置されている。
駅周辺は羽咋市の中心地であり、多数の公共施設や学校が存在します。
駅の近くには羽咋市役所、羽咋警察署、石川県立羽咋高等学校、羽咋市立羽咋小学校、羽咋市立羽咋中学校、羽咋市立富永小学校があります。
のりば
のりば 路線 方向 行先 備考
1 七尾線 下り 七尾方面  
2 上り 津幡・金沢方面  
3 上り 一部の普通列車のみ
下り 七尾方面

歴史

  • 1898年(明治31年)4月24日:七尾鉄道 津幡仮停車場(現在の本津幡駅の前身) - 七尾駅 - 矢田新駅(後の七尾港駅)間開通と同時に開業。旅客および貨物の取扱を開始。
  • 1907年(明治40年)9月1日:七尾鉄道が鉄道国有法により国有化、帝国鉄道庁(国鉄)の駅となる。
  • 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定。七尾線の所属となる。
  • 1925年(大正14年)3月3日:能登鉄道が当駅から能登高浜駅まで開業。
  • 1943年(昭和18年)10月13日:能登鉄道が北陸鉄道に合併し、同社の能登線となる。
  • 1966年(昭和41年)2月15日:現在の西口となる駅舎が竣工。
  • 1972年(昭和47年)6月25日:北陸鉄道能登線が廃止。
  • 1984年(昭和59年)2月1日:貨物の取扱を廃止。七尾港駅とともに線内で最後まで貨物営業を行っていた駅であった。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、JR西日本の駅となる。
  • 1988年(昭和63年)3月25日:みどりの窓口営業開始。
  • 1991年(平成3年)9月1日:七尾線が直流電化される。
  • 1992年(平成4年)9月25日:群馬藤岡駅と姉妹駅の提携を盟約。
  • 1993年(平成5年)4月:東口を開設し供用開始。
  • 1997年(平成9年)3月22日:ダイヤ改正に伴い、すべての特急列車が停車するようになる。
  • 2021年(令和3年)
    • 1月15日:みどりの窓口が営業を終了。
    • 1月16日:みどりの券売機プラスの利用を開始。
    • 3月13日:ICカード「ICOCA」の利用が可能となる。西口が業務委託駅(JR西日本金沢メンテック受託)、東口は簡易委託駅(羽咋市受託)となる。

羽咋(はくい)
北鉄能登線(廃止) 羽咋 能登一ノ宮
所在地 石川県羽咋市川原町18
所属事業者 北陸鉄道
所属路線 能登線
キロ程 0.0km(羽咋起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
開業年月日 1925年(大正14年)3月3日
廃止年月日 1972年(昭和47年)6月25日
1925年(大正14年)3月3日に能登鉄道能登線が当駅から能登高浜駅まで開業しています。
さらに1943年(昭和18年)10月13日には能登鉄道が北陸鉄道に合併し、同社の能登線となっています。
もともと能登線は沿線の人口が少ない路線ではあったが、1960年代には沿線の過疎化やモータリゼーションの進行(国道249号の整備など)により累積赤字が膨らみ、北陸鉄道の経営合理化のため1972年(昭和47年)6月25日に廃止となっています。
車両基地は羽咋駅構内にあり、1969年時点で気動車5形式7両とディーゼル機関車1両が所属していた。列車は羽咋 - 三明間に14往復(1往復は急行)、羽咋 - 能登高浜間に4往復が設定されていた。ラッシュ時には2両編成が走るが、その他の時間帯は単行での運転であった。
また、夏季には海水浴客のために能登高浜まで、正月には初詣客のために能登一ノ宮まで、金沢からの直通臨時列車が乗り入れていた。それに備えて、両駅のプラットホームはかなり長いものであった。