北陸鉄道 能美線(1980年9月14日廃止)
北陸鉄道 能美線の概要
能美線の起点だった鶴来駅
能美線の起点だった鶴来駅
北陸鉄道能美線は、鶴来駅と新寺井駅間16.7kmを結んでいた鉄道路線です。1980年9月14日に全線が廃止されています。
1922年(大正11年)、に辰口温泉・湯谷鉱泉・辰口競馬場への観光の利便性向上と九谷焼の原料・九谷焼の輸送を目的として、寺井野村の地主で当時では県内最大の地主であり九谷焼商でもあった酒井芳を総代に29名が発起人となり、免許を申請しています。翌年1923年1月には鉄道大臣から認可を受け、同年9月には資本金60万円で能美電気鉄道株式会社が設立され、工事が開始されています。
起点となった根上村(根上町、現能美市)は、この鉄道開業には積極的な姿勢ではなく3名のみしか発起人がいなかったばかりでなく、一部地区では反対活動が行われるほとで、開通が遅れる原因にもなっています。
1925年(大正14年)3月21日には、本寺井 - 辰口(のちの辰口温泉)間が開業しています。
さらに1925年(大正14年)6月5日には、辰口 - 天狗橋(のちの天狗山)間が開業、1925年(大正14年)8月13日には新寺井 - 本寺井間が開業、1932年(昭和7年)1月16日には天狗山 - 鶴来間が開業し、全線開通しています。
1939年(昭和14年)8月1日には、能美電気鉄道から金沢電気軌道に譲渡され、同社の能美線となっています。
1941年(昭和16年)8月1日には、北陸合同電気(現在の北陸電力)設立にあわせて金沢電気軌道を合併しています。
さらに1942年(昭和17年)1月27日には、北陸合同電気がその保有路線を北陸鉄道に譲渡しています。これにより北陸鉄道能美線となったわけです。
終点の新寺井駅は北陸本線寺井駅と接続していた
終点の新寺井駅は北陸本線寺井駅と接続していた
石川線、金名線、能美線の3線は相互に接続され、直通運転も行われていたこともあり、石川総線と呼ばれていました。
1943年に県内の私鉄のほとんどが企業合同して成立した北陸鉄道は、国鉄各駅に接続する電車・バスの路線網を持っていて、県下の交通事業をほぼ独占していました。
ところが昭和三十年代になり道路の整備が進むにつれバスが次第に普及するようになっていきました。逆に鉄軌道事業が次第に衰退しはじめることになりました。
これは日本各地で同様の現象が起ってはいますが、石川県内では特に顕著であったようです。
道路が十分に整備されていない時代のバスは決して乗り心地のよいものではなく、また所要時間も長くかかりました。これは道路のせいばかりではなくバス自体の性能が低かったことも原因となっています。
しかし道路整備が進むにつれ、バス自体の性能がよくなってきたこともあり、運行速度が速くなり所要時間が短縮され快適さも向上しました。
しかもバス路線の設定は鉄道路線に比べてはるかに容易に設定できます。こうしてバス輸送にとって有利な条件が増大することになり、鉄道路線が不利になってきました。それで石川総線も乗降客数の減少がみられるようになり、真っ先に能美線が廃止の対象となってしまいました。
能美線では利用客の減少のため、1970年4月1日以降は日中の運行が休止されてバス代行となり、1980年(昭和55年)9月14日に全線廃止の憂き目をみることになりました。
なお2007年(平成19年)12月31日には、能美線代替バスも廃止されています。
しかし北陸鉄道は、やけに見切りが早いという印象を受けます。これは隣の富山県や福井県と比べてもどう考えても鉄道路線に対して冷淡なのです。福井県も私鉄線が全線廃止の危機に直面しましたが、自治体や住民が支えることで存続を図っていますし、富山県ではいくつかの路線は廃止されたものの多数の路線は維持され、さらに新線建設が進められていることを考え合わせると、石川県の鉄道路線に対する考え方の違いは明白でしょう。
どうしてこういう現象が起きるのかですが、一つには冬季の降雪量の違いがあるのではないかと思います。富山県は石川県に比べて積雪が多いので積雪時にはバス路線は当てにならないという認識があること、福井県も石川県よりも南に位置していますが、山間部を通る路線が多いことと、地形の関係から石川県よりも降雪量が多いことから、鉄道路線の重要性に対する認識が強いため、鉄道路線の維持に熱心なのではないかと思います。
いずれにしても今後はCO2の排出量の削減やそもそも化石燃料の枯渇など社会的にもモータリゼーションが斜陽に向かうことが予想されるので、鉄道路線の充実を図る必要に迫られる可能性が出てきた状況に対してどう取り組んでいくのかが今後の課題でしょう。

路線データ
北陸鉄道 能美線
路線距離  鶴来駅-新寺井駅 16.7km
軌間  1,067mm
駅数  21駅(起終点駅含む)
複線区間  全線単線
電化区間  全線電化(直流600V)
閉塞方式  タブレット閉塞式
開業年月日  1925年(大正14年)3月21日
廃止年月日  1980年(昭和55年)9月14日

北陸鉄道 能美線 駅一覧
駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 ホーム 交換 所在地 備考
鶴来駅 - 0.0km 北陸鉄道石川線 2面2線 石川郡鶴来町
本鶴来駅 0.3km 0.3km 1面1線
岩本駅 1.1km 1.4km 1面1線 能美郡辰口町
灯台笹駅 0.7km 2.1km 1面1線
宮竹駅 1.5km 3.6km 1面1線
三ツ口駅 0.8km 4.4km 1面1線
加賀岩内駅 1.0km 5.4km 1面1線
火釜駅 0.6km 6.0km 1面1線
来丸駅 0.5km 6.5km 1面1線
辰口温泉駅 1.1km 7.6km 1面2線
上開発駅 0.6km 8.2km 1面1線
徳久駅 1.1km 9.3km 1面1線
湯谷石子駅 1.6km 10.9km 1面1線 能美郡寺井町
加賀佐野駅 0.6km 11.5km 1面1線
末信牛島駅 0.7km 12.2km 1面1線
本寺井駅 0.8km 13.0km 1面1線
寺井西口駅 0.8km 13.8km 1面1線
五間堂駅 0.3km 14.1km 1面1線 能美郡根上町
中ノ庄駅 0.7km 14.8km 1面1線
加賀福岡駅 0.6km 15.4km 1面1線
新寺井駅 1.3km 16.7km 北陸本線(寺井駅) 1面1線 現・北陸本線 能美根上駅
列車交換 注 ◇:列車交換可能  |:列車交換不可
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北陸鉄道能美線 廃線跡レポート
今回は、北陸鉄道能美線の廃線跡を探索した結果をレポートします。
能美線は、1980年9月に廃線になっていて、既に38年が経過しているので実際のところほとんど遺構が残っていませんが、ここに鉄道があったという形跡は、比較的残っています。
本鶴来駅そばのガーダー橋
本鶴来駅そばのガーダー橋
その理由は、廃線跡がヘルスロードという形で遊歩道となっていて、路線の後は比較的わかりやすくなっていることです。
また、駅跡には駅名標が設置されているところが相当数あります。
これは他の廃線跡ではあまり見られない現象で、能美線が廃線になったとはいえ地元の人たちの思いが伝わってくるようです。
また、廃線跡を探索して感じたことですが、当時はどうだったのかは分かりませんが、現在では沿線が市街地になっていて特別人口が少ないとは感じられなかった点です。
また道路の整備は、現在ではまずまずと言えるでしょうが、当時はそこまで道路が整備されていなかったようで、本来は廃線になるというのがおかしな気がしましたが、鶴来と寺井を結ぶ路線というのが問題で、人の流れが多いとは思えないわけです。
人口の点で言えば、例えば金名線沿線の方が少ないのにそちらの方が長く存続して、能美線が廃線になったというのは、人の流れを能美線が掴んでいなかったからかなとも感じました。
さて、鶴来駅からスタートして、新寺井駅方面に向かいましょう。鶴来駅は、現在も石川線の終点駅で、本来はこの駅から石川線・金名線と能美線が伸びていたのですが、現在はどちらも廃線になっています。のと鉄道の穴水駅と同様ですね。
さて、最初の駅である本鶴来駅を探索してみましょう。ここは石川線の鶴来-加賀一の宮も並行していたのですが、駅は能美線側にしかありませんでした。現場では石川線部分はそのまま残っているのですが、能美線部分は線路はとうに撤去されていたのと、当時はなかったであろう建物があり、駅部分がイマイチわからなかったのですが、ここには水路の上に設置されていた下路ガーダー橋が残っていて、実はこれが能美線最大の遺構と言えましょう。
本鶴来駅そばのガーダー橋
本鶴来駅そばのガーダー橋
さて、手取川橋梁が残っていれば萌えなのですが、これがなくなっていたので、川を渡って次へ進みましょう。
次の岩本駅は、全くその痕跡が残っていないので、残念でした。
さらに進んで灯台笹駅を目指すと、なんとここには立派な駅名標がありました。
廃線跡にこのような駅名標があるのは実に珍しいのです。のと鉄道能登線はあれだけの遺構が残っていながら駅名標というのは、珠洲駅と波並駅くらいしかないのです。灯台笹駅は、「とだしのえき」と読みますが、難読駅の一つでしょう。
次の宮竹駅は、駅跡が公園になっていて駅の場所は分かるのですが、、いかんせん駅名標はありません。
さらに次の三ツ口駅は、桜並木が続くので路線跡はここだとわかるのですが、いかんせん駅跡は判然としませんでした。
次の加賀岩内駅は、駅跡が公園として整備されていて、石碑も設置されていますので、駅跡は明確に分かりました。
この辺りは、ヘルスロードが路線跡だとわかるのですが、ところどころ途切れているのは、圃場整備の関係か。
次の火釜駅は、路線跡はヘルスロードになっているのですが、駅の位置は判然としません。圃場整備により駅跡が消滅してしまったのでしょう。
さらに次の来丸駅は、気多神社のそばにあり、駅位置は分かりましたが、特に駅名標のようなものはありませんでした。駅自体は、集落のそばにあってけっこう良い位置にありそうです。
本鶴来駅そばのガーダー橋
岩内駅を示す石碑
次の辰口温泉駅ですが、どう考えても辰口温泉には少し遠く、看板に偽りありの残念な駅の仲間入りをしそうです。ここは2010年頃までバス停留所となっていたのですが、辰口保育園の移転工事に伴い区画整理されてしまい、現在では駅の位置は判然としません。
当駅は、能美線廃止時は唯一の交換可能駅かつ有人駅であったとのことですので、それなりの規模だったはずです。
さらに進んで次の上開発駅は、駅の位置はすぐに判明しましたが、残念ながら当時の形跡はなかったですし、駅名標などもありませんでした。
次の徳久駅は、駅名標が設置されていて、当時は駅があったと思えるような場所でした。
さらに進みます。湯谷石子駅の跡地は、公園として整備されていて、石碑なども設置されていてかつて駅であったことを示しています。そして道路をまたいで路線跡はヘルスロードして続きます。
加賀佐野駅は、県道165号線と、当線が交差する場所に設置されていました。もちろん当時はこの道路はありませんでしたが。
ヘルスロードが路線跡とわかるのですが、駅の位置は判然としませんでした。
県道165号線を進んで左折すると、末信牛島駅は、ゴミステーションの広場となっていて、ここが駅跡だとわかりますが、特に駅名標や石碑のようなものは見当たりませんでした。
本寺井駅は寺井図書館となっていました
本寺井駅は寺井図書館となっていました
次の本寺井駅の駅跡は能美市立寺井図書館として利用されており、駅名標も設置されていて、にぎやかな場所でした。
当駅は、元々は寺井町の中心に位置する主要駅で、乗降客・貨物取り扱い量ともに多く、当時もにぎやかだったようです。
島式ホームの1面2線を有する地上駅で、北側に駅舎と貨物側線、南側に車庫、西側には寺井農協の専用線があったのですが、衰退とともに全て失われてしまい、廃止時点では貨物側線を撤去した跡に作られた片面ホーム1本だけの無人駅という寂しい姿となっていたとのことです。むしろ今のにぎやかな様子から考えると、その寂しい姿の方が想像できませんが。
次の寺井西口駅は、集落の裏手にあって、この部分は道路が広くなっているので、ここが駅跡だとわかるのですが、それ以外にはここが駅跡だとわかるような痕跡は見当たりませんでした。
さらに国道8号線を越えると五間堂駅がありますが、ここには駅名標が設置されていて、公民館及び広場になっていて駅であったことが分かります。さらに道路を西に進むと、中ノ庄駅があります。ここには加賀国能美郡跡の遺跡があります。これはかなり貴重な遺構なのですが、駅があったときにはわからなかったのでしょうか。
さらに道路を進んで次の加賀福岡駅には、駅名標もあり、駅の位置は分かりました。この辺りは市街地の真ん中になっていて、人口も多いと思われます。
最後に、起点駅である新寺井駅ですが、ここは北陸本線寺井駅に接続していました。
加賀福岡駅を示す駅名標
加賀福岡駅を示す駅名標
寺井駅は、現在では能美根上駅と改称されていて、さらに駅舎も一新されて橋上駅となっています。
最近は橋上駅というのが流行っていますが、これは跨線橋と駅舎が一体となっていて、改札口や乗車券売り場等を1箇所に集約できるため駅機能の簡略化を図ることができるのが特徴と言えましょう。
能美根上駅で今回の探索は終了ですが、能美線は廃止後、既に38年が経過していて、その遺構はほとんど失われていますが、駅名標が設置されていたり、石碑があったりと駅の存在が分かりやすくなっていました。
しかし逆に言えば本来の遺構はほとんどなかったと言えます。
能美線は、平野部を突っ切る路線で、沿線は必ずしも人口が多いわけでもない土地柄ですが、それにしても1980年(昭和55年)9月14日で廃線になる以前に1968年(昭和43年)12月30日に貨物営業廃止となり、1970年(昭和45年)4月1日には昼間時の運行が休止されていて、すでにこの時点で衰退していたことが分かります。
この一帯は当時としては道路網が必ずしも充実しているとは言えない地域で、しかも競合するバス路線があったわけでもないので、廃止になったというのは、むしろ北陸鉄道が不採算路線を早期に切り捨てたと考えた方が良いのでしょう。やはり見切りが早かったのだということになるのでしょうか。
富山県や福井県は、それに比べると、かなりあきらめが悪いタイプのようですね。
北陸鉄道 能美線マップ
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