尾小屋鉄道は、かつて新小松駅-尾小屋駅間16.8kmを結んでいたナローゲージの軽便鉄道です。
元々は、尾小屋鉱山の鉱山鉄道として建設されたものです。
尾小屋鉱山は、17世紀末から18世紀初頭にかけて金山として開発された鉱山だが、その後廃鉱となっています。
ところが明治時代になってから銅山として再び注目されて1880年(明治13年)には銅山として再開発されましたが、当初は細々とした採掘の末、1886年(明治19年)に銅鉱石の新鉱脈が発見され大きく発展しました。その後、1931年(昭和6年)には経営者が横山鉱業部から日本鉱業に変わり、さらに1962年(昭和37年)には北陸鉱山へと引き継がれていますが、1971年(昭和46年)に閉山となっています。
尾小屋鉄道は、この尾小屋鉱山の鉱山鉄道として1919年(大正8年)から1920年(大正9年)にかけて開通しています。
全線非電化で762mm軌間を採用した軽便鉄道でした。1977年(昭和52年)3月20日に全線廃止となっています。
遊覧用に作られた西武山口線を除くと、旅客営業を行う非電化の軽便鉄道としては国内で最後まで残った路線でした。
なお石川県小松市のいしかわ子ども交流センター小松館に併設して「なかよし鉄道」と名づけられた総延長473mの保存鉄道が設けられており、現在も尾小屋鉄道の車輌4輌が動態保存されています(キハ1・DC121・ホハフ3・ホハフ8)。
さらに石川県小松市尾小屋町にある尾小屋鉱山資料館に併設された「ポッポ汽車展示館」では、尾小屋鉄道の車輌3輌が静態保存されています(5号機関車・キハ3・ハフ1)。
なお、キハ3は2004年にエンジンを修復し、走行可能な状態で保存維持されています。
尾小屋駅でも赤門軽便鉄道保存会によりキハ2、ホハフ7、DC122が残っていますが、DC122はだいぶ痛んでいるようです。
このように尾小屋鉄道の車輌は現在も相当数が保存維持されています。 |