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松金線の起点だった現在の野町駅 |
北陸鉄道松金線は、かつて野町駅-松任駅間8.4kmを結んでいた鉄道路線です。
第二次大戦中に金沢市内線の路線延長区間に資材を供出するため野々市駅 - 野町駅間が廃止され、残存区間も国道8号線の整備と北陸鉄道の経営合理化のため、昭和30年(1955年)11月14日全線廃止となっています。
と言うことで、北陸鉄道の路線の中では最も早く全線廃止となった不運の路線です。
もっとも野々市駅 - 野町駅間は、北陸鉄道石川線もあるので、不要不急の路線と見なされたのもむしろ当然でしょう。
北陸鉄道の路線では、国道8号線の整備が原因で廃止に追い込まれた路線は他に粟津線があります。
しかし道路整備のために鉄道路線を廃止するというのもちょっとどんなものかなとは思います。
松金線は、1904年(明治37年)11月1日に松金馬車鉄道が松任町(後の八ツ矢) - 有松間を開業したのが最初です。
1905年(明治38年)11月22日には、有松 - 野町間が開業しています。
これでほとんどの路線が開通したことになります。
1914年(大正3年)に松金馬車鉄道が松金電車鉄道に改名し、電化工事を開始しています。
1916年(大正5年)には全線電化が完了しています。
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1944年から起点となっていた野々市駅 |
1916年(大正5年)には八ツ矢 - 松任間 (0.4km) が開業し、路線が全線開通しています。さらに1917年(大正6年)には電化営業が開始され、最盛期を迎えます。
1920年(大正9年)3月25日には、金沢電気軌道が松金電車鉄道を吸収合併しています。
1941年(昭和16年)8月1日には北陸合同電気(現在の北陸電力)設立にあわせて金沢電気軌道を合併し、1942年(昭和17年)3月26日には北陸合同電気が保有路線を北陸鉄道に譲渡しています。
これにより北陸鉄道松金線となったわけです。
しかし1944年(昭和19年)4月18日には、資材供出のため野々市-野町間 3.2kmが廃止されています。
その代わりに1944年(昭和19年)10月23日からは野々市駅から北陸鉄道石川線との直通運転を開始しています。
1955年(昭和30年)11月14日には松任 - 野々市間 5.2kmが廃止となり松金線は全線廃止の憂き目をみたわけです。
しかし現在からみると松任から金沢に行くにはこの路線があれば便利と思うのですが・・・。
少々見切りが良すぎるのが北陸鉄道の特徴なのですが、この松金線に関してはあまりに見切りが良すぎて適当な言葉が見つかりません。しかし富山県でも笹津線みたいに二度も廃線となるケースもありますし・・・。 |
北陸鉄道 松金線 |
路線距離 |
野町駅-松任駅 8.4km |
軌間 |
1,067mm |
駅数 |
21駅(起終点駅含む) |
複線区間 |
全線単線 |
電化区間 |
全線電化(直流600V) |
閉塞方式 |
不明 |
開業年月日 |
1904年(明治37年)11月1日 |
廃止年月日 |
1955年(昭和30年)11月14日 |
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駅名 |
駅間
キロ |
営業
キロ |
接続路線 |
所在地 |
野町駅 |
- |
0.0km |
北陸鉄道金沢市内線(廃止) 北陸鉄道石川線 |
金沢市 |
八幡裏駅 |
0.2km |
0.2km |
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泉駅 |
0.2km |
0.4km |
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泉新町駅 |
0.4km |
0.8km |
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有松駅 |
0.5km |
1.3km |
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二万堂駅 |
0.3km |
1.6km |
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米泉駅 |
0.5km |
2.1km |
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押野丸木駅 |
0.5km |
2.6km |
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石川郡
野々市町 |
野々市駅 |
0.6km |
3.2km |
北陸鉄道石川線 |
中野々市駅 |
0.2km |
3.4km |
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野々市西口駅 |
0.3km |
3.7km |
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太平寺駅 |
0.7km |
4.4km |
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稲荷駅 |
0.3km |
4.7km |
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三日市駅 |
0.7km |
5.4km |
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田中駅 |
0.5km |
5.9km |
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本田中駅 |
0.3km |
6.2km |
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松任市 |
番匠駅 |
0.6km |
6.8km |
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徳丸駅 |
0.5km |
7.3km |
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八ツ矢駅 |
0.7km |
8.0km |
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東町駅 |
0.2km |
8.2km |
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松任駅 |
0.2km |
8.4km |
北陸本線 |
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