上田電鉄 別所線
上田電鉄 別所線の概要
別所線の概要

別所線の起点である上田駅
別所線の起点である上田駅
別所線は、長野県上田市の上田駅から別所温泉駅までを結ぶ上田電鉄の鉄道路線でです。かつて側面に丸窓を持つ「丸窓電車」が走っていたことで知られ、同電車の運用終了後も丸窓は当路線を象徴する意匠となっています。

開業から上田丸子電鉄の成立まで
1920年に設立された上田温泉電軌により、翌1921年、別所温泉・田沢温泉・沓掛温泉への湯治客を輸送する軌道線として三好町(現在の城下) - 上田原 - 青木間の「青木線」と、上田原 - 別所(現在の別所温泉)間の「川西線」の2路線が開業しました。
1924年には国鉄上田駅に乗り入れ全通しました。
1938年に上田原 - 青木間が廃止となり、上田 - 上田原間も川西線に編入。1939年、地方鉄道法による鉄道となり、川西線は「別所線」と改名しています。
また同年社名を「上田電鉄」(初代)と改称、さらに1943年には丸子鉄道(1916年設立)と合併。上田丸子電鉄となり、上田市・小県郡地域に別所線のほか西丸子線・丸子線・真田傍陽線の計4路線48.0kmに及ぶ路線網を有するに至っています。

経営難と欠損補助
別所線の起点である上田駅
別所線の終点である別所温泉駅
これらの路線のうち、丸子線は生糸や軽工業製品、真田傍陽線は木材や農産物を国鉄信越本線大屋駅・上田駅や上田市中心部に輸送する路線であり、特に丸子線は別所線よりも営業成績が良い路線でした。
しかし1960年代に入ると旅客輸送において自動車による輸送が増え、旅客収入のみでの経営は困難となっていた。西丸子線は木材も輸送したが開業当初から経営難であり、1963年に自然災害をきっかけとして廃止されています。
そして、モータリゼーションの進展による旅客輸送の減少等により1969年に丸子線、1972年に真田傍陽線が相次いで廃止に追い込まれています。
一方、別所線は旅客輸送主体の路線であり、自家用車の普及が進む状況においては丸子線・真田傍陽線同様にモータリゼーションの影響は避けがたい状況となっていました。
そのような中で、1973年に乗客減等を理由に上田交通(1969年に上田丸子電鉄から社名変更)より別所線も廃止・バス代替の方針が示されるに至り、こちらでも先に廃止された丸子線・真田傍陽線同様に沿線住民による大きな廃止反対・路線存続運動が起こったが、1974年以降3年間、地方鉄道軌道整備法(現・鉄道軌道整備法)に基づく国・長野県及び上田市からの軌道整備補助金(欠損補助金)が交付されることになったことからこの時は廃止の危機を免れ、1977年に路線維持の方針が決まっています。

業績回復と設備の改善
別所線の車両基地がある下之郷駅
別所線の車両基地がある下之郷駅
廃止は免れたものの1970年代中盤に一時期回復した利用客は再び低迷し始め、1980年代に入るとそれは顕著になり、運行本数の再編や保有車両の整理などを行うも、計上する赤字額は増え続けています。
そのため、国の欠損補助金支給基準を満たすことが困難な状況が続いていた。そのような中で1986年には架線電圧を1500Vに昇圧し、東京急行電鉄から経年の比較的浅い余剰車両を譲り受けて「丸窓電車」などの修理部品が不足していた旧型車を全廃し車両保守にかかるコストを削減、上田市の支援による駅施設等設備の改善を行ない、1980年代末から1990年代には乗客は再び増加に転じています。
1992年末の国の地方私鉄に対する軌道整備補助事業見直しにより、欠損補助金支給は打ち切りとなったものの、打ち切り後の1993年には元東急7200系電車を東京急行電鉄から購入し全営業車両の冷房化を果たしました。
北陸新幹線の先行開業も控えておりさらなる収支改善の可能性が見込まれたことから、増便や1910年代製造の古いレールを使用していた架線柱をコンクリート製の安定したものに取り換えるなどの設備投資を行いサービス向上に努め、1990年代半ばには1973年の廃止の方針の提示以前の利用客数に回復、欠損補助金支給が必要とされる状況を脱し、補助金打ち切りの影響を最小限に食い止めています。
1997年の北陸新幹線長野開業に伴う上田駅再整備の一環として、翌1998年には起点の上田駅ホームの高架化や、JR東日本→しなの鉄道との共用改札を廃止し独立した改札口を設けるなど設備も進展しました。これと前後し、全て電車のワンマン運転も開始しています。

新たな公的支援と上田電鉄の設立
デハ6001「さなだどりーむ号」
デハ6001「さなだどりーむ号」
2000年代に入ると少子化の影響により通学客を中心とした定期利用客の減少が進むとともに、長期の景気低迷により湯治客・観光客の需要も伸び悩む状況となっています。
2000年には東京急行電鉄からのさらなる設備改修の提言を受け、国土交通省の地方鉄道安全新基準を満たすため上田交通が長野県と上田市に対し財政支援を求めるに至ったことにより再び存廃問題が浮上しました。
上田市と上田交通は上下分離方式の導入や第三セクター鉄道化も視野に入れつつ協議したものの、最終的には従来通り民営鉄道として存続させる方針が決まり、上田市は2003年6月から設備更新・修繕や基盤整備・安全対策に関する補助等の支援策の検討に入った。また同月住民団体「別所線の将来を考える会」が結成され、以後地元の存続運動が再び活発化しました。
上田市は翌2004年度から公的支援実施に踏み切り、補助金を拠出することを決定。また国・長野県からも同年度より財政支援が得られることになり、当面存続の見通しとなっています。
補助金の拠出が決まったことを受け、上田交通は2003年10月に当路線のダイヤを改正し更なる増便を行っています。
運行本数を24往復から30往復とし、昼間時全線45分から60分毎であった運行間隔を30分から45分毎と短縮。また終電を23時台に繰り下げ、下之郷駅発着の便を増発、各便を新幹線の発着時刻に接続させるなど、利便性の向上に努めています。
クハ1101
クハ1101
2004年11月、上田市は当面の安全対策のために補助率を引き上げ、2007年度までに2億6800万円を補助することを公表、同年12月には上田市議会定例会において上田市と上田交通が締結した「別所線の運行に関する協定」が承認されています。
「別所線の運行に関する協定」は3ヵ年ごとに契約更新され、2012年度までに国が2億5603万円、長野県が1億2118万5千円、上田市が9億8849万2千円を拠出しています。
住民による支援団体も相次いで結成され、沿線自治会・商工団体・別所温泉観光協会等により結成された「別所線電車存続期成同盟会」、上田交通労働組合ほか労働団体による「別所線の存続を求める市民の会」、芸術関係者と地域住民等による「ガンバレ別所線の会」、上田市役所職員有志による「上田市アイプロジェクト」、観光ガイドによるボランティア団体「別所線ガイドの会」などが活動を開始しました。2005年2月にはこれらの支援団体を統括する「別所線再生支援協議会」が組織され、25団体が加盟。同協議会の代表には上田市長が就任し、自治体の支援体制の再構築も行われています。
上田交通は新たな公的支援を受けるにあたり別所線の経営体制の見直しを行い、路線の経理・財務を透明化する必要から鉄道部門の分社化を決定し、同年7月には新たに子会社「上田電鉄」を設立し、路線を譲渡しました。
上田市も同8月、別所線分社化後も支援を継続することを発表しました。このような経歴から、同年10月3日より上田電鉄の経営となっています。

上田電鉄設立後
元は東急1000系電車
元は東急1000系電車
上田電鉄設立後も予断を許さない経営状況が続いていますが、2007年10月の「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」及び2013年12月の「交通政策基本法」の施行を受け、上田市がさらに支援を進めているほか、各支援団体が広範な存続運動を展開しています。アニメーション・キャラクターを採用した広報活動や、別所温泉の共同浴場(外湯)入浴券付き往復乗車券、地元自治会向け回数券「マイレールチケット」の販売(地域住民以外でも購入できる)、アリオ上田・イトーヨーカドー 上田店買い物客や上田駅前の居酒屋利用客への「別所線お帰りきっぷ」進呈サービス、駅の清掃ボランティアや花壇の整備、一部の駅に近接する土地を所有者が駐車場用に無償貸与しパークアンドライドを導入、またその土地に賦課される固定資産税の減免、レンタサイクルの整備など、行政・民間が一体となって利用客増、増収、路線存続のための支援事業を行っています。こうした「別所線再生支援協議会」を中心とする存続支援及び利用促進運動が「鉄道等の利用促進に努め利用者の増加に繋げるなど、公共交通機関の利用促進を通じた環境保全に関する活動に積極的に取り組んだ」事例として評価され、2008年12月、同協議会は『平成20年交通関係環境保全優良事業者等国土交通大臣表彰』を受賞しました。
上田電鉄設立後もしばらく乗客減が続いたが、行政の支援や地域住民団体による存続運動などを通じた沿線地域との連携が奏功し、2012年には乗客増に転じ、以降微増傾向を維持しています。
1000系電車と7200系電車
1000系電車と7200系電車
上田電鉄の経営努力と沿線各団体の支援運動が継続し、一定の効果があったこと、また支援活動自体が公共交通政策の展開の面から評価されたことを受け、2013年3月、国・長野県・上田市は2013年度以降も公的支援を行うことを決定しました。
2015年度までに上田市から約3億円、また国・長野県から計約1億5400万円の補助金が支給されています。
上田電鉄はこの資金を元手に引き続き別所線の設備更新・基盤整備・安全対策を進める。2013年4月5日・24日に中野駅 - 舞田駅間の遮断機・警報機のない踏切において電車とトラックの接触事故が2件発生したことを受け、2013年4月現在19箇所存在する遮断機・警報機のない踏切の改修・統廃合や車両通行止め等を行う。2014年9月には一部車両の更新を行っています。
2016年3月、上田市と上田電鉄の間で「別所線の運行に関する協定」が更新され、2018年度までに上田市から2億8032万4000円の公的支援が行われる見通しとなっています。
国や長野県からの補助も継続して受けており、これら公的支援による補助金は引き続き安全対策費用や設備維持管理費、運行経費に当てられ、千曲川橋梁(鉄橋)の改修も行われる予定となっています。少子高齢化の影響から、上田電鉄移行後も通勤・通学利用の定期旅客については減少しているものの、近年は観光客を中心とした普通乗車券やフリー切符(一日乗車券)・回数券などの定期外利用が増えており、地域と連携し沿線の魅力発信・広報活動を続け観光需要の掘り起こしを行った効果が表れつつあります。2015年には北陸新幹線の金沢駅延伸、善光寺御開帳による別所温泉北向観音への参拝客増加、2016年にはNHK大河ドラマ『真田丸』放送など好材料が相次ぎ、2016年度輸送人員は131万3333人に達しました。
2012年度から5年連続の増加となり、上田電鉄移行前の2001年度以来15年ぶりに130万人台の輸送人員回復を実現しています]。
2017年度輸送人員は対前年度比3万3226人減の128万107人となったが、120万人台の輸送人員は維持しました。2018年度輸送人員は再び増加に転じ、対前年度比1万8999人増の129万9106人となっています。

城下駅 三好町駅
城下駅 三好町駅
赤坂上駅 上田原駅
赤坂上駅 上田原駅
寺下駅 神畑駅
寺下駅 神畑駅
大学前駅 中塩田駅
大学前駅 中塩田駅
塩田町駅 中野駅
塩田町駅 中野駅
舞田駅 八木沢駅
舞田駅 八木沢駅


1000系電車ですがなぜか蒲田行きとは
1000系電車ですがなぜか蒲田行きとは
  • 1919年(大正8年)11月10日 上田温泉軌道に対し軌道特許状下付(小県郡城下村-同郡青木村間、同郡川辺村-同郡別所村間)。
  • 1920年(大正9年)11月19日 特許権を上田温泉電軌へ譲渡(許可)。
  • 1921年(大正10年) 6月17日 上田温泉電軌が青木線三好町(現在の城下) - 青木間、川西線上田原 - 別所(現在の別所温泉)間を開業。
  • 9月12日頃 三好町 - 三好町三丁目間に三好町二丁目駅設置(廃止日不明)。
  • 1923年(大正12年) 下之郷 - 五加(現在の中塩田)間の産川駅、八木沢 - 別所間の天神前駅廃止。
  • 1924年(大正13年) 8月15日 千曲川鉄橋が開通し、青木線の上田 - 三好町間が開業し全通。国鉄上田駅に乗り入れる。
  • 11月22日 別所駅を信濃別所駅に改称。
  • 1925年(大正14年)1月8日 上田 - 三好町間に諏訪形駅設置(廃止日不明)。
  • 1927年(昭和2年)12月 青木線の三好町 - 上田原間が専用軌道化、変則複線化され三好町駅が城下駅に、三好町三丁目駅が三好町駅に改称。
  • 7200系電車
    7200系電車
    1929年(昭和4年)3月3日 五加駅を中塩田駅に改称。
  • 1930年(昭和5年)1月19日 信濃別所駅を別所温泉駅に改称。
  • 1932年(昭和7年)9月21日 三好町 - 上田原間に赤坂上駅設置。
  • 1934年(昭和9年)7月14日 中塩田 - 中野間に上本郷駅設置。
  • 1938年(昭和13年)7月25日 青木線の上田原 - 青木間が廃止。三好町 - 上田原間は単線化[22]。上田 - 上田原間も川西線となる。
  • 1939年(昭和14年) 3月19日 川西線を軌道法による軌道から地方鉄道法による鉄道に変更。別所線に改称。
  • 8月30日 上田電鉄に社名変更。
  • 1943年(昭和18年)10月21日 丸子鉄道と合併し、上田丸子電鉄となる。
  • 1951年(昭和26年)4月 赤坂上駅の位置が変更される。
  • 1953年(昭和28年)9月 架線電圧を600Vから750Vに昇圧。
  • 1960年(昭和35年) 上本郷駅を塩田町駅に改称。
  • 1966年(昭和41年)6月 4月1日の本州大学開学に伴い、下本郷駅がその最寄駅となったため本州大学前駅と改称。
  • 1969年(昭和44年)5月31日 上田交通に社名変更。
  • 1974年(昭和49年)5月1日 本州大学前駅、大学名が長野大学に変更されたため大学前駅と改称。
  • モハ5250形電車
    モハ5250形電車
    1984年(昭和59年)11月1日 貨物営業廃止。
  • 1986年(昭和61年)10月1日 架線電圧を1500Vに昇圧。5000系・5200系電車営業運転開始。モハ5250形「丸窓電車」を始め、従来車全車が営業運転終了。
  • 1993年(平成5年)5月28日 7200系電車営業運転開始。全車冷房化。
  • 1998年(平成10年)3月29日 上田駅を高架化し、別所線専用の改札口を設ける。
  • 2005年(平成17年) 1月27日 地域活性化事業「別所線丸窓特別電車再現」実施。7200系をベースに「丸窓電車」をイメージしたラッピングを施した編成(7253編成)が運行開始。4月に「まるまどりーむ号」と命名。当事業に長野県東御市の株式会社ミマキエンジニアリングが特別協賛(まるまどりーむ号Mimaki)。
  • 10月3日 上田交通から上田電鉄に移管。上田電鉄発足に合わせ7255編成も「まるまどりーむ号」仕様に改装。「まるまどりーむ号」が2編成となる。
  • 12月2日 別所線存続支援アニメーション・キャラクター「北条まどか」発表。
  • 2008年(平成20年) 8月1日 1000系電車営業運転開始。
  • 10月 7200系電車が「まるまどりーむ号」を除いて営業運転終了。
  • 10月4日 画家の原田泰治デザインの1000系ラッピング電車「自然と友だち1号」運行開始。
  • 2010年(平成22年)7月30日 映画「サマーウォーズ」の主題歌で山下達郎の楽曲「僕らの夏の夢」が上田駅の発車メロディとして採用され、同日から使用が開始される。
  • 2014年(平成26年)9月27日 「まるまどりーむ号」のうち、7253編成「まるまどりーむ号Mimaki」が運用離脱、廃車。
  • 2015年(平成27年) 3月27日 廃車となった7253編成に代わり1004編成に丸窓ラッピングを施し、新たに「まるまどりーむ号Mimaki」として運行開始、また新車として6000系1編成を導入。
  • 6月13日 一般公募により6000系の愛称が「さなだどりーむ号」に決定。
  • 2016年(平成28年) 2月21日 NHK大河ドラマ『真田丸』をPRするラッピング電車の運行を開始(1001編成。放送終了まで)。
  • 4月1日 駅ナンバリングを実施。
  • 2018年(平成30年) 5月12日 7200系電車「まるまどりーむ号」営業運転終了。7200系はすべて形式消滅。
  • 2019年(令和元年)台風で落下した千曲川橋梁(2019年10月) 10月13日 台風19号による千曲川の増水のため左岸上田市諏訪形地内の堤防の一部が削られ、城下駅側で千曲川橋梁(鉄橋)が崩落。別所線は同台風の影響により10月12日より全線運休となっていた。
  • 10月15日 下之郷 - 別所温泉間で運転を再開。上田 - 下之郷間は代行バス輸送。

別所線の運行車両

7255型電車
7255型電車
1986年9月までの架線電圧が750Vであった時代は、自社発注のモハ5250形「丸窓電車」をはじめ、買収国電の改造車や長野電鉄からの譲受車など雑多な車種が使用されていました。しかしそれ故に電動車の制御方式の不統一など合理的な保守が困難な状態であったことに加え、それらの大半は経年車であったために交換する部品も不足しており、このような状態から車両の近代化を決定、同年内に東急5000系(初代)を2両4本と東急5200系を2両1本譲り受け、同年10月より運用を開始しています。
それに伴い従来からの車両を全廃、同時に架線電圧を1500Vに昇圧し、全ての電車が2両編成での運行となっています。
なお、5000系および5200系には東急時代と同じく冷房は搭載されていません。
5000系は斬新な緑の塗装で、5200系は当時長野県内では非常に珍しかったステンレス車体で親しまれたが、1993年に東急7200系を2連5本譲り受け、同年5月28日より運用を開始し、5000系と5200系を全て置き換えています。
この7200系は全ての編成が冷房車であり、これにより長野県の私鉄で初めて営業車両の100%冷房化を達成しました。
2005年からはかつて走っていた丸窓電車を模して一部の窓をシールで丸くした「まるまどりーむ号」が運行されています。また同年より毎年ゴールデンウィーク期間中、下之郷駅にて「別所線丸窓まつり」と称する鉄道イベントを開催しています。
なお、2006年に上田電鉄が発表した「鉄道安全報告書」によると、2008年度までに2両編成4本(8両)の車両の更新をすると発表され、同年3月に東急1000系電車2両編成2本が上田電鉄1000系電車として譲渡され、同年12月に残る2本が譲渡されています。2014年度にも車両が更新され、「まるまどりーむ」号(7200系) のうち7253編成(7253号車+7553号車)が2014年9月をもって運用を離脱し、代替として元東急1000系2両編成1本が譲渡され、6000系として2015年3月28日より営業運転を開始しました。
種車は同じ元東急1000系であるが、すべて東急時代から先頭車であった車両が譲渡された2008年導入分の4本とは異なり、こちらは東急時代は中間車であった車両の先頭車化改造車のため6000系と別形式に区分されています。なお6000系は車両愛称の一般公募が行われ、2015年6月13日に「さなだどりーむ号」に決定しています。
沿線のイベント等に合わせて随時ヘッドマークを掲出しています。

現在の使用車両
1000系 - デハ1001 - 1004・クハ1101 - 1104
  • 1001F(デハ1001 - クハ1101) - 元東急1015F(デハ1315 - クハ1015) : 2008年3月購入
  • 1002F(デハ1002 - クハ1102) - 元東急1018F(デハ1318 - クハ1018) : 2008年3月購入
  • 1003F(デハ1003 - クハ1103) - 元東急1014F(デハ1314 - クハ1014) : 2008年12月購入
  • 1004F(デハ1004 - クハ1104) - 元東急1016F(デハ1316 - クハ1016) : 2008年12月購入
6000系 - デハ6001、クハ6101 : 2015年3月購入

1002F電車 7253型電車と1001F電車
1002F電車 7253型電車と1001F電車
6001型電車 1001F電車
6001型電車 1001F電車

別所線の輸送実績

各年度の輸送実績は以下の通りです。1975年以降かなり波があるのがお分かりになるでしょう。
1977年頃は廃線が検討されていた頃で利用者が増えていたのですが、とりあえず廃線を回避した後再び利用者が減少しています。
1990年代は再び利用者が増加していて、2000年代になると再び利用者が減少しています。
最近では真田丸人気からかなり巻き返していると思われます。しかしまだまだ予断は許されない状況と言えます。
年 度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 輸送密度 貨物輸送量 特 記 事 項
通勤定期 通学定期 定 期 外 合 計 人/1日 万t/年度
1975年(昭和50年) 37.9 64.5 66.5 168.9 2199 0.002
1976年(昭和51年) 32 58.9 77.1 168 2176 0
1977年(昭和52年) 33.1 61.7 88 183 2330 0
1978年(昭和53年) 30.4 58.5 90.2 179.2 2274 0.003
1979年(昭和54年) 31.3 54.4 93.3 179.1 2276 0.003
1980年(昭和55年) 31.8 54.3 96.1 182.3 2266 0
1981年(昭和56年) 31.4 57.3 93.6 182.4 2256 0
1982年(昭和57年) 30.5 49.5 88.2 168.2 2084 0
1983年(昭和58年) 27.5 46.4 85.2 159 1965 0
1984年(昭和59年) 27 46 83.6 156.6 2003 0 貨物営業廃止
1985年(昭和60年) 25.5 47.7 83.6 156.8 2001
1986年(昭和61年) 23.5 46 85.5 155 1995 架線電圧を1500Vに昇圧
1987年(昭和62年) 24.5 41.8 84.1 150.4 1933
1988年(昭和63年) 25.6 42.4 87.1 155.1 1990
1989年(平成元年) 26 42.4 88 156.4 1981
1990年(平成2年) 26.4 46.3 92.4 165.1 2112
1991年(平成3年) 26.1 50.3 98.8 175.2 2240
1992年(平成4年) 25.2 50.1 99.2 174.5 2224
1993年(平成5年) 25.9 48.2 100.5 174.6 2193
1994年(平成6年) 25.6 48.2 97.5 171.3 2155
1995年(平成7年) 24.2 48.2 98.8 171.2 2132
1996年(平成8年) 26.2 48.8 102.2 177.2 2117
1997年(平成9年) 28.9 46.3 101 176.2 2186 上田駅高架化
1998年(平成10年) 27.4 47.4 93.3 168.1 2082
1999年(平成11年) 24.8 45.4 81.7 151.9 1894
2000年(平成12年) 20.6 44.1 74.2 138.9 1755
2001年(平成13年) 19.5 42.8 71.7 134 1707
2002年(平成14年) 20 40.7 68.3 129 1645
2003年(平成15年) 19.4 37.9 69.9 127.2 1630
2004年(平成16年) 21.8 36.4 65.8 124 1567
2005年(平成17年) 22.4 36.1 64.3 122.8 1560 上田交通から上田電鉄に移管
2006年(平成18年) 21.7 35.6 66.5 123.8 1573
2007年(平成19年) 64.2 124.9
2008年(平成20年) 67.4 125.4
2009年(平成21年) 22.6 32.9 65.8 121.3 1591
2010年(平成22年) 63.4 119.1
2011年(平成23年) 22.8 33.1 61.7 117.6
2012年(平成24年) 21.4 35.9 60.6 117.9
2013年(平成25年) 21.1 38.1 62.6 121.7
2014年(平成26年) 22.2 39.5 61 122.6
2015年(平成27年) 24.3 39.2 66.4 129.9
2016年(平成28年) 25 37.7 68.6 131.3
2017年(平成29年) 25.9 37.3 64.8 128
2018年(平成30年) 66 129.9

路線データ
上田電鉄 別所線
管轄   上田電鉄(第一種鉄道事業者) 
路線距離  上田駅-別所温泉駅 11.6km
軌間  1,067mm
駅数  15駅(起終点駅含む)
複線区間  なし(全線単線)
電化区間  全線(直流1500V)
閉塞方式  自動閉塞式
最高速度   60 km/h
交換可能駅  3駅(城下、上田原、下之郷)
開業年月日  1921年(大正10年) 6月17日
全通年月日  1924年(大正13年) 8月15日
クハ1103電車
クハ1103電車

上田電鉄 別所線
駅番号 駅名 駅間
キロ
営業
キロ
接続路線 ホーム 駅員
BE01 上田駅 - 0 東日本旅客鉄道:北陸新幹線
しなの鉄道:しなの鉄道線
1面1線 有人駅
BE02 城下駅 0.8 0.8 2面2線
BE03 三好町駅 0.7 1.5 1面1線
BE04 赤坂上駅 0.7 2.2 1面1線
BE05 上田原駅 0.7 2.9 1面2線
BE06 寺下駅 0.9 3.8 1面1線
BE07 神畑駅 0.7 4.5 1面1線
BE08 大学前駅 0.7 5.2 1面1線
BE09 下之郷駅 0.9 6.1 1面2線 有人駅
BE10 中塩田駅 1.3 7.4 1面1線
BE11 塩田町駅 0.6 8 1面1線
BE12 中野駅 0.5 8.5 1面1線
BE13 舞田駅 0.9 9.4 1面1線
BE14 八木沢駅 0.7 10.1 1面1線
BE15 別所温泉駅 1.5 11.6 1面1線 簡易委託

・全駅長野県上田市に所在。
・線路(全線単線) … ◇:列車交換可、|:列車交換不可
・下之郷駅が上田駅以外の全駅の管理駅となっています。
・上田駅と下之郷駅は終日駅員配置駅。別所温泉駅は簡易委託駅(別所温泉観光協会に窓口業務を委託)。他は無人駅。
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上田電鉄 別所線マップ
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