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E231系 |
上野駅(うえのえき)は、東京都台東区上野七丁目および東上野三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅です。 1883年(明治16年)に日本鉄道の駅として開業。山手線北東部のターミナル駅であり、多数の在来線や新幹線、地下鉄路線が乗り入れる。1927年(昭和2年)に開業した東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)浅草駅 - 当駅間は東洋初の本格的な地下鉄路線として知られる。
かつては鉄道が電化されるまでは皇居付近への乗り入れが認められておらず、また東京市が戦前に私鉄の都心乗り入れを認めなかったことから、北は上野駅、南は新橋駅(後の汐留駅)、東は両国橋駅(現・両国駅)、西は万世橋駅(後の交通博物館前)が端点となっており、3大副都心の駅(新宿駅・渋谷駅・池袋駅)及び上野駅・浅草駅は郊外へと伸びる路線のターミナル駅として発達した。
1925年の東北本線電車線(現・京浜東北線)東京駅延伸までは東京市内から北へ向かう路線の正式な起点であった他、1928年の東北本線列車線東京駅延伸まで、および1973年から2015年までの東京駅
- 上野駅間列車線分断期間は東北本線(東北線、1990年以降は「宇都宮線」)・高崎線や常磐線の実質的な起点となる駅であり、上野駅から北へ向かう多数の寝台列車や急行列車が発着していた。また、当初の東北新幹線・上越新幹線は当駅を起点としており、北関東や東北地方・北陸地方へ伸びる路線が数多く集結することから、古くから東京の北の玄関口として機能してきた。
1991年に東北新幹線が東京駅まで延伸、さらに2015年に上野東京ラインとして東京駅 - 上野駅間の列車線が復活したことでそれまで当駅止まりだった宇都宮線・高崎線・常磐線が東京駅を経由して東海道本線(東海道線)に直通運転を行うようになったことで、当駅は通過駅としての側面が強まった。在来線は全定期列車が停車するが、新幹線については東京駅に至近であることから、各路線の最速達列車を中心に当駅を通過する列車も存在する。寝台列車も次々と廃止となり、現在は当駅を発着する寝台列車はTRAIN
SUITE 四季島のみとなった。
南側の御徒町駅方面にJRの高架に沿ってアメヤ横丁(通称:アメ横)と呼ばれる商店街が位置しており、駅周辺は繁華街が広がる。山手線の繁華街の中でも今なお下町情緒を残す。駅西側には広大な面積をもつ上野恩賜公園(上野公園)が所在しており、公園内には東京国立博物館などの複数の著名な博物館・美術館や恩賜上野動物園、不忍池が位置し、これらを目当てに国内外から多くの観光客が訪れる。京成電鉄の京成上野駅と隣接している。
路線乗り入れ
当駅は、JR東日本の新幹線と在来線各線、および東京メトロの路線が乗り入れている。
JR東日本
新幹線は、線路名称上は東北新幹線のみであるが 、東北新幹線経由で上越新幹線、北陸新幹線、北海道新幹線、山形新幹線、秋田新幹線が乗り入れている。
JR東日本の在来線に関しても、線路名称上は東北本線のみであるが、以下のように多岐にわたる各線が乗り入れている。
JU 宇都宮線・高崎線:列車線を走行する東北本線の中距離電車系統。駅番号はJU 02。
全区間に渡り東北本線を走行する列車が「宇都宮線」と案内される、途中大宮駅から高崎駅方面へ分岐する列車が「高崎線」。一部は「宇都宮・高崎線」と一体化して案内される。高崎線の一部列車は上越線・両毛線へ直通運転する。
JK 京浜東北線:電車線を走行する東北本線の近距離電車系統。駅番号はJK 30。
JY 山手線:電車線を走行する環状路線。駅番号はJY 05。
JJ 常磐線(快速)- 中距離列車も含む:線路名称上の起点は日暮里駅だが、東北本線上の専用線路を介して当駅まで乗り入れている。駅番号はJJ 01。
JU 上野東京ライン:当駅・東京駅間の列車線(東北縦貫線)を経由して、宇都宮・高崎・常磐線が東海道本線列車線(系統路線名東海道線、一部は更に伊東線)へ直通運転する列車の運転系統愛称。
JR東日本公式サイトにて記載されている当駅の「所属路線」は、京浜東北線、常磐・成田線、常磐線、高崎線、東北本線、山手線、秋田新幹線、上越新幹線、東北新幹線、北陸新幹線、山形新幹線の11路線となっている。なお、スリーレターコードとして「UEN」が付与されている。
原則として各系統毎に専用の線路が割り当てられているが、宇都宮線・高崎線と常磐線の一部列車は線路を共有している。これは上野東京ラインの開業に伴い、常磐線が乗り入れるために平面交差を行うようになったためである。
東京メトロ 東京メトロは銀座線と日比谷線の2路線が乗り入れている。
G 銀座線:駅番号はG 16。
H 日比谷線:駅番号はH 18
駅構造
かつて、現在のJR東日本とJR東海の駅は同じ国鉄の駅であったが、1987年の国鉄分割民営化を機に、東海道新幹線はJR東海、それ以外はJR東日本の管轄へと分離された。ここでは会社別に解説する。
JR東日本 中央改札上に1951年展示の猪熊弦一郎作の壁画『自由』があり、当駅を代表する光景ともなっている(1951年12月製作[7]、1984年6月修復、2002年12月修復)。下部にLED式発車標が設置され、新幹線開業前は、東北・奥羽・磐越西線は緑(杜の都・仙台をイメージ)、高崎・上越線は黄(越後平野の稲穂をイメージ)、高崎・信越線はピンク(信州のりんごをイメージ)、常磐線は青(太平洋の海をイメージ)、東北新幹線大宮開業時に設定された「新幹線リレー号」はクリーム色と、方面別に色分けされた木製の発車案内板が使用され、ホームにも後から幕式の発車標が設置されていた。
グランドコンコースの中央改札内に朝倉文夫作のブロンズ像『つばさの像』、改札外広小路口に朝倉作の『三相』がある。『つばさの像』は1958年10月10日に初の東北特急「はつかり」運転開始と駅開業75周年を記念して台東区が寄贈したもので、当初は広小路口に設置された。『三相』は、1958年(昭和33年)10月10日に駅開業75周年記念式に列席した朝倉が、駅が朝倉自身と誕生を同じくしていることを知り、深く喜懌になり、記念に台東区を通じ贈られたもので、三相は知、情および意である。券売機上壁面に、東北上越新幹線上野駅開業を記念して制作された平山郁夫原画・制作のステンドグラス『ふる里日本の華』(1985年)がある。豊かな水と緑を背景に四季折々の美しさを屏風絵ふうに配し、沿線各地の代表的な花・まつり・風物をあしらいふる里への思いを表現した、きわめて日本的なモチーフと構成に特徴がある。
バブル期に磯崎新設計による地上300.3メートルの超高層駅ビルに建て替える構想があったが、1992年(平成4年)にJR東日本は「この高さでは効率的な利用ができない」として計画の見直しを発表した。
南満洲鉄道の大連駅と函館本線の小樽駅、および樺太庁鉄道(後の樺太西線→ロシア鉄道シャフタ=サハリンスカヤ─アルセンチェフカ線)の真岡駅(ホルムスク南駅、1992年に解体)は当駅を模したとされる。
コンコースは、地上と、(旧)公園口通路(3階南側。かつて公園口改札が西端にあったためそう呼ばれていたが、後述の通り公園口が移転され、その頃から公園口通路とはあまり呼称されなくなった)、大連絡橋通路(3階北側)、大連絡橋連絡通路(公園口通路と大連絡橋通路を連絡する)、新幹線地下コンコース(地下)がある。新幹線コンコースは、地上の中央改札から入場して右側の新幹線改札を経て向かう。
改札は、中央改札(1階)、不忍改札(中2階)、公園改札(3階・大連絡橋通路西端)、入谷改札(3階・旧公園口通路東端)の計4か所である。このうち、不忍改札と公園改札にはお客さまサポートコールシステムが設置されており、一部の時間帯はインターホンによる案内となる。かつては、期間・時間が限定された臨時改札として、Suica専用(簡易Suica改札機設置)の公園臨時改札があったが、2020年3月20日に新しい公園口駅舎が供用開始され、公園改札が(旧)公園口通路西端から大連絡橋通路西端の公園臨時改札跡地へ移設された。改札内改札として先述の新幹線改札があり、以前はそれに加え、在来線特急乗換(16・17番線入出場)改札が地上および3階にそれぞれあったが、元々寝台特急は13番線などを利用していたほか、2014年3月15日のダイヤ改正から高崎線特急が14・15番線に、2015年3月14日の改正(上野東京ライン開業)から常磐線特急のうち東京方面に乗り入れる列車が8・9番線を発着するようになり、特急列車の発着ホームが分散されたため、2015年3月13日を以て廃止され、自由に出入りできるようになった(8・9・14・15番線ホーム上に高崎・常磐線の当日分専用指定席券売機が設置された)。
出口は、地上の中央改札正面の「広小路口」「正面玄関口」や同左手の「浅草口」、中2階の不忍改札からは地上の「不忍口」「山下口」、3階の入谷改札からは2階の「東上野口」、3階の「パンダ橋口」、地上の「入谷口」などが利用できる。同じく3階の公園改札からは3階の「公園口」に直結していて、上野恩賜公園へ歩行者空間が直結されている(公園改札移転と同時に外の広場も再整備され、駅舎と公園の間に通っていた車道を南北でそれぞれロータリー化して分断し、歩行者空間が作られた)。正面玄関口および広小路口の出口からは、国道4号(日光街道)などを跨ぐ歩道橋が利用できる。2000年10月、駅を東西に跨ぐように「上野駅東西自由通路」(長さ 220m 、幅 20m )が架けられ、自由に歩くことができようになり、2001年、愛称が「パンダ橋」に決まり、2002年に橋の西端下に、「パンダ橋」と彫られた、高さ 1.3m 、幅 2.5m の稲田石(白御影石)の石碑が建てられた。駅構内にはジャイアントパンダの像は2つあり、実物の倍の大きさはある巨大なジャイアントパンダ像はパンダ橋口を出て右の所に、もう一つの小パンダ像は、大連絡橋コンコースにあったが、2017年12月に小パンダ像も大パンダ像のある場所に移設された。
京成電鉄の京成上野駅へは不忍口を経るように案内サインが設置されている。
JRと京成線の連絡は、山手線・京浜東北線で北側に2駅進んだ日暮里駅が通常利用されている。上野駅と京成上野駅の両駅を連絡駅とした定期券は発売している。
地下鉄各線の連絡は、中央改札近くにある階段・エスカレータを利用するルートが主だが、入谷改札からの動線も案内されている。
在来線のトイレは中央改札口入って正面にある駅弁店・土産物店(洋菓子)の裏側(地上。頭端式ホーム14・15番線ホームおよび16・17番線ホームの延長線上)、3・4番線ホームへの階段と5・6番線ホームへの階段との間(中2階コンコース)、9・10番線ホームと11・12番線ホームとを連絡する箇所(2階)、現行の公園口改札前(3階)、エキュート上野内1階に直結するエスカレーターの向かい側(3階)の計5か所である。なお、2020年3月の公園口駅舎の移設の後となる同年6月17日に、公園口改札外(2階)が供用開始される予定である。
2009年3月16日に、上野中央通り地下駐車場および周辺のJR上野駅・御徒町駅、東京メトロ上野駅・上野広小路駅・仲御徒町駅、京成上野駅、都営上野御徒町駅、を結ぶ地下通路が、東京都の整備で供用開始された。この8駅と上野駅は同一駅として扱わないが、東京メトロ上野駅、京成上野駅は定期券の連絡駅として扱う。
新幹線開業以降JR駅内部の改装工事が始まり、1990年代後半に改札内部に「Dila上野」が完成した。その後、JR東日本ステーションルネッサンス「みんなのえきプロジェクト」と称して中央改札・不忍改札側の駅舎内部も改装され、東西自由通路(愛称:パンダ橋)や正面玄関「レトロ館」の「Breakステーションギャラリー」、中央改札の「グランドコンコース」、ショッピングセンター「七番街(アトレ上野)」などが整備され、2002年3月にグランドオープンした。アトレ上野は2月22日に開店し、「FUSION
SQUARE 人が集まるeki融合空間」をコンセプトに駅周辺にない飲食・食物販・ファッション・雑貨など54店舗を「レトロ館・ガレリア」「グランドコンコース」および「七番街」の3ゾーンに配置し、20
- 39歳の女性をターゲットに新たなエキナカショッピングシーンを演出している。2007年4月から9月にかけてリニューアル工事を行い、「ゴディバ」「日本橋屋長兵衛」「アール・エフ・ワン」「ベーグル&ベーグル」「ジンズ
グローバル スタンダード」「サマンサタバサ プチチョイス」のオープンと既存9ショップの改装を行った。東京圏駅ビル開発(現・アトレ)は、同年8月に浅草口地下でカフェ・雑貨ショップなどを配置した新フロア「レトロゲート」を開設した。9月にフロアリニューアルを行い、グランドオープンした。2005年春に全体のリニューアル工事が完成し、全面が白で統一された外観となり、エレベーターの整備も行われた。完工時は「上野駅リニューアルキャンペーン」が開催され、JR東日本のイメージキャラクターでCFに採用された国分佐智子らが開場記念式典を催した。本改装は「駅ナカ」の先例となった。その後、2013年12月にはファッションゾーン[報道
25]、2014年7月にはスウィーツゾーンとレストランゾーン、同年10月にはグランドコンコースエリア、2019年11月 - 12月には上野公園側レストランゾーンがリニューアルされた。なお、2020年3月の公園口駅舎の移設の後となる同年6月17日に、エキュート上野の新店舗(4店)および展望テラスがオープンする予定である。
東北新幹線の開業に伴い並行在来線の特急列車が大方廃止されて地上ホームの19・20番線が廃止となり、1999年9月に18番線も廃止され、跡地の東京方と東上野口・入谷口に、2006年7月19日からフィットネスクラブのジェイアール東日本スポーツが入居している。中央付近も途中まで取り壊されて従業員専用通路となっている。日暮里方は、ホームがほぼ原型を留めたままで従業員専用通路として使用されている(19番線側に建てられた事務所を行き来するのに使用)のが、他のホームから確認できる。
東北新幹線開業以前は、北関東、東北・信越・北陸方面へ向かう東北本線、日光線、磐越西線、奥羽本線、高崎線、両毛線、上越線、信越本線、吾妻線、羽越本線、常磐線の各特急・急行など長距離優等列車が数多く発着していたが、新幹線開業のため並行在来線の優等列車は次第に廃止となり、地上ホームは削減されて跡地が新幹線ホームへ向かうコンコースとなり、現在は中距離電車が増発されて、発着列車の大半が宇都宮線、高崎線、常磐線の北関東方面へ向かう近郊・中距離電車となっている。
当初、高架ホームは常磐線各列車主体に使用され、高架ホームを発着する東北・上信越方面各列車はごく一部であった。地平ホームは、常磐線列車の発車が無く東北・上信越方面各列車の専用であった。特急・急行列車が増発されて中距離通勤客が増加すると、地平ホームは特急中心に、高架ホームは各線普通列車中心にそれぞれ運用され、上野東京ライン開業直前の時期は宇都宮線と高崎線の普通列車は5 - 8番線の高架ホームと13 - 15番線の地平ホームのいずれかに、常磐線の普通列車は9・10番線、快速電車は11・12番線に発着したが、9番線に到着する宇都宮線・高崎線列車、8番線や地平ホームに到着する常磐線普通列車もわずかに存在した。以前は8番線発の常磐線列車や9番線発の高崎線列車もあった。
直営駅で、鶯谷駅と御徒町駅を管理下に置く。
のりば
同一駅に3種類のホームがある。
高架ホーム
1 - 12番線(山手線・京浜東北線・宇都宮線・高崎線・常磐線・上野東京ライン)
緩斜面に建設された一部高架の島式ホーム4面8線(1 - 8番線)、切欠きホームと櫛形ホームが一体化した2面4線(9 - 12番線、平面で行き来可能)、合わせて6面12線で構成されている。
1 - 9番線は御徒町・東京方面と鶯谷・尾久・日暮里方面が直結しており、一部列車を除いて直通する各線の列車が発着する。櫛形の10 - 12番線は日暮里方面(常磐線)のみ発着できる。10 - 12番線は他のホームよりも日暮里方に位置して中央改札正面の階段の先が終端部に当たり、常磐線ホームの中で9番線のみ車両の停車位置が大きく異なっている。
宇都宮線と高崎線、常磐線の列車が当駅に到着する際、「高いホーム」または「高架ホーム」と呼称される。
常磐線の案内は、中距離列車が青、快速電車が緑で表記されている。
地平ホーム
13 - 17番線(宇都宮線・高崎線・常磐線)
地平にある4面5線の頭端式ホームで、ヨーロッパのターミナル駅の風情を漂わせている。尾久・日暮里方面へ発着する。到着の際は「低いホーム」または「地平ホーム」と呼称される。
13 - 15番線は主に宇都宮線・高崎線普通列車が発着する。一番端の単独ホームである13番線は、かつて「北斗星」などの寝台特急の発着ホームとなっていたが、同列車が全廃された2016年3月26日改正以降は定期の特急発着がなく、2021年3月13日改正以降は定期普通列車の発車も無くなった(到着は朝ラッシュ時に数本ある)。この他、常磐線の普通列車も到着扱いの列車が数本あるが、到着後は回送となるため、発車はない。
16・17番線はかつて常磐線特急は全てこのホームを使用していたが、上野東京ライン開業により、多くの列車が品川駅乗り入れを開始するために高架ホーム8・9番線発着に変更されたため、当ホーム発着が激減した。その後もダイヤ改正ごとに数本ずつ常磐線特急の上野東京ライン化による当ホームから発着取りやめが続いており、2023年3月ダイヤ改正時点では常磐線特急は「ときわ」の1往復のみである。空いた枠を使って、高崎線方面の「草津」の到着1本・「スワローあかぎ」の発車1本が使用していたほか、2018年3月17日改正からは宇都宮線・高崎線の普通・快速列車の一部も16番線を使用している他、17番線も含めて宇都宮線・高崎線・常磐線の普通・快速列車の到着扱いの列車が数本が設定されている。かつては特急専用ホームであり、ホーム入口に有人の中間改札口が設けられ、乗車券・特急券・入場券の検札を行っていたが、2015年3月13日に撤去された。
このような経緯から、当ホーム上には屋内型の喫煙コーナーが現在も設置されている。新幹線を除く首都圏の鉄道駅コンコース内に喫煙可能な設備を有しているのは当ホームと新宿駅9・10番線の2箇所のみである。
13番線は、寝台列車待ちの際に休憩所として利用できる「五つ星広場」があった。
13番線と14番線の間(13番線ホームの向かい側)に、荷物を積み降ろしする専用ホームが存在していたが、これを2017年5月1日から運行を開始したクルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」の乗降専用ホームに改築し、通称「新たな旅立ちの13.5番線ホーム」として整備した。このホームは中央改札側から、同列車(E001形)のエントランスドアがある5号車付近までの長さが取られている。また、同列車専用ラウンジ「プロローグ四季島」が13番線に整備され、列車帰着後に「この旅がまだ続く旅」である事を実感させるフェアウェルパーティを行う。
かつて、地平ホームはこれに加えて18 - 20番線が存在し、優等列車が多数発着していたが、新幹線上野駅開業に伴い20番線が1980年5月31日に、続いて19番線が1983年7月1日に廃止され、跡地は新幹線コンコースに転用された。さらに1999年9月11日には18番線が廃止となり、今に至るまで欠番となった。2020年現在、日暮里寄りに旧18番線ホームの一部が残存しており、業務用通路として使用されている。
かつての「北斗星」など、客車列車の場合、駅構内で機関車の付け替えができないため、車両基地である尾久車両センターとの間は機関車を後部にした状態で回送運転する。
13番線の真上に10番線、14・15番線の真上に11・12番線がある2階建てのホームとなっており、13番線および14・15番線ホームと3階コンコースを結ぶエスカレーターおよび階段は、9・10および11・12番線ホームを貫通し直結している(貫通地点に転落防止の壁があり、行き来不能だが、全面を覆っておらず、空間は開けている)。高架ホームと地上ホームを直接つなぐ階段・エスカレーターは無いが、地平ホームは14・15番線ホーム上のみにあるエレベーターは3層を行き来できる。
地平ホームでは、基本的に編成長を問わず終端部に詰めて停車しているが、2023年3月18日改正以降の高崎線方面特急は、5両編成と極めて短いため、高崎寄りに2両分ずらして停車している(それでも3階コンコースからの階段前には車両が停まらない。車端部に詰めていた同改正直前までの7両編成でも同様だった)。
新幹線ホーム改札の隣の旧18番線に、寝台特急「カシオペア」に使用されているE26系の模型モックアップが置かれていたが、2012年12月24日に撤去された。旧18番線ホームの壁面に、ヒノキアスナロ(アオモリヒバ)による青森ねぶたのレリーフ(デザイン:高桑エリカ、彫刻監修:高橋清)がある。
現在の番線になったのは1968年8月29日のことで、前日まで現在の13番線が0番線、同14番線が11番線、同15番線が12番線という順で、かつての20番線が17番線だった。
新幹線地下ホーム
19 - 22番線(東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸新幹線)
地下 5階にある2面4線のホーム。通過線はなく、可動式ホーム柵も設置されていないため、通過列車は減速する。
上下線で番線をある程度明確に割り振ってはいるが、上野始発の下り新幹線は下りの当駅始発1本と臨時列車のみだが全ホームを使用する。この他に、東京駅発の臨時列車が19・22番線で定期列車を待避する場合がある。1997年9月30日まで一部の定期列車と大部分の臨時列車が当駅始発・終着だったが、定期列車については23年ぶりに上越新幹線「たにがわ」号が上下1往復復活した。北側に行くと新幹線の東京新幹線車両センターがある(在来線でいうと京浜東北線の上中里
- 田端間に隣接)。
新幹線ホームの一層上階コンコース南方に、喫煙コーナーがある。
新幹線ホームの地下水上昇と対策
戦後は周辺地域で地下水利用が多く、地盤沈下が発生して周辺の地下水利用が制限されている。地下30mに位置する新幹線ホーム周辺の地下水は、建設前の1970年代初期は地下38mで新幹線ホームより8m下であったが地下水の採取規制により余剰[23]となり、1995年に地下14mまで水位が上昇した。浮き上がりによる駅構造の変形を防ぐため、新幹線ホームの床下に合計3万7000トンの錘を設置した。2004年に地下12mまで水位が上昇し、全長17mのアンカーボルトを、東京駅の横須賀線・総武快速線ホームの約5倍となる約650本陥入した。地下水を不忍池へ流す導水管も敷設され、不忍池の水質と水量保持、JRの下水道料金負担軽減など波及効果も得た。隙間からの漏水は対策が難しいため、ビニールチューブで誘導するなど安価な手法で対処している。
JR東日本のりば
番線 |
路線 |
方向 |
行先 |
備考 |
在来線 高架ホーム |
1 |
■京浜東北線 |
北行 |
赤羽・浦和・大宮方面 |
|
2 |
■山手線 |
内回り |
田端・池袋・新宿方面 |
|
3 |
外回り |
秋葉原・東京・浜松町・品川方面 |
|
4 |
■京浜東北線 |
南行 |
蒲田・川崎・横浜・関内方面 |
|
5・6 |
■宇都宮線 |
下り |
赤羽・大宮・宇都宮・高崎方面 |
品川・東京方面からの列車。
主に5番線を使用する。 |
■高崎線 |
早朝・深夜の始発列車
(一部7番線)。 |
6 |
■常磐線(快速) |
松戸・取手・水戸・成田方面 |
品川駅始発の快速電車・中距離列車。 |
成田線 |
|
7・8 |
■上野東京ライン |
上り
(南行) |
東京・品川・横浜・小田原・熱海方面 |
大宮方面から(一部当駅始発)の列車。主に7番線を使用する。 |
8 |
常磐線(特急)
「ひたち」「ときわ」 |
下り |
柏・土浦・水戸・いわき方面 |
品川駅始発の特急列車。 |
8・9 |
■上野東京ライン |
上り
(南行) |
東京・品川方面 |
常磐線からの品川行き(特急含む)。主に9番線を使用する。 |
9-12 |
■常磐線(快速)
■成田線 |
下り |
松戸・取手・水戸・成田方面 |
上野駅始発の快速電車・中距離列車。 |
在来線 地平ホーム |
13 |
■宇都宮線 |
下り |
赤羽・大宮・宇都宮・高崎方面 |
平日朝の到着列車、夜の宇都宮線始発1本のみ |
■高崎線 |
14 - 16 |
■宇都宮線 |
早朝深夜の一部を除く、上野駅始発列車 |
■高崎線 |
一部の常磐線終着列車も使用 |
(専用
ホーム) |
「TRAIN SUITE
四季島」 |
(東北本線・高崎線・常磐線方面) |
「新たな旅立ちの13.5番線ホーム」(発着時以外は常時閉鎖)13番線と線路を共用 |
16・17 |
常磐線(特急)
「ひたち」「ときわ」 |
柏・取手・土浦・水戸方面 |
16番線は9:00発「ひたち5号」、17番線は8:30発「ときわ53号」のみ |
新幹線 地下ホーム |
19・20 |
■東北・北海道新幹線 |
下り |
宇都宮・郡山・福島・仙台・盛岡・新青森・新函館北斗方面 |
全定期列車20番線 |
■秋田新幹線 |
角館・大曲・秋田方面 |
■山形新幹線 |
福島・山形・新庄方面 |
■上越新幹線 |
高崎・越後湯沢・新潟方面 |
主に19番線 |
■北陸新幹線 |
軽井沢・長野・金沢方面 |
21・22 |
新幹線 |
上り |
東京方面 |
22番線は一部上越・北陸新幹線の列車が発車 |
東京メトロ
丸の内側に位置する島式ホーム1面2線を有する地下駅である。比較的地下浅い所にある。八重洲側へは、JRの北側自由通路を通るのが既存の最短ルートであるが、八重洲南口方面へは同ルートはやや迂回する形の経路となる。1990年12月半ばに本格的な自動改札機を導入した。1993年11月には、御茶ノ水駅から定期券売り場が移転したが、2021年2月11日をもって閉鎖された。
2008年春に、ホームの側壁に女子美術大学の非常勤講師2名によるデザインのアートウォール「自由に走る丸ノ内線」が設置された。コンセプトは「歴史と自然とトレンドの融合」で、営団500形電車で使われていた銀色のサインウェーブを下部に再現するとともに自由に飛ぶ鳥を随所に設置した。
当駅は「東京地域」として駅を管理しているが、駅務管区所在駅は当駅ではなく後楽園駅である。
東京メトロのりば
番線 |
路線 |
行先 |
銀座線ホーム |
1 |
銀座線 |
渋谷方面 |
2 |
浅草方面 |
日比谷線ホーム |
1 |
日比谷線 |
中目黒方面 |
2 |
北千住・南栗橋方面 |
歴史
日本鉄道は上野 - 熊谷間の開業に先立ち、1882年(明治16年)11月に寛永寺の子院跡約29,800坪(約98,512平方メートル (m2))を東京府より借り受けて上野駅の用地とした。1883年(明治16年)7月28日に同線の仮開業に伴い上野駅を開設し、8月から貨物、10月より郵便物の取り扱いを始めた。1884年(明治17年)6月28日に仮駅舎で開業式が行われ、1885年(明治18年)に煉瓦造りの237坪(約783m2)の本駅舎が竣工した。この初代駅舎は三村周が設計、毛利重輔が監督を行い、中央の平屋部分に出札広場とコンコース、両翼に待合室を設置したH型平面の構造で、当時の汐留駅や横浜駅を踏襲した形となっている。
1885年(明治18年)に大宮駅から宇都宮駅に至る区間が開通すると、上野駅は東京側のターミナルとして繁盛した。当初は1つの駅構内に旅客・貨物・車両基地の機能を併設していたが、次第に鉄道輸送の需要が伸びると構内が手狭になった。駅周辺の道路が狭隘で、旅客を輸送する馬車鉄道や貨物を輸送する大八車が輻輳したために、旅客と貨物の機能を分離することが計画された。1890年(明治23年)11月1日に南方に地上の貨物線を開通させ、新たに設置された秋葉原貨物取扱所へ貨物取扱を移転した。1896年(明治29年)12月25日に開業した隅田川駅にも荒荷の扱いなどを分散移転して、上野駅は12月1日に旅客専用駅となった。1900年(明治33年)に日本鉄道が駅前広場に110坪(約364m2)で2階建ての上野待合店を建設し、飲食店、喫茶店、雑貨販売店、理髪店などが入居したが、1922年(大正11年)に撤去された。
1905年(明治38年)4月1日に常磐線の三河島 - 日暮里間が開通し、それまで田端駅で折り返して運転していた常磐線の列車が直接上野駅へ乗り入れた。この年に新橋 - 上野間の高架旅客線の建設とそれに伴う上野駅の改築が決議されている。1906年(明治39年)に、日本鉄道の国有化に伴い上野駅も国有化され、1909年(明治42年)10月に秋葉原 - 上野 - 青森間が東北本線と定められた。12月16日に山手線の烏森 - 品川 - 新宿 - 池袋 - 田端 - 上野間で電車の運転が開始され、上野駅はその一方の端となった。
上野駅の利用者は増加を続け、1917年(大正6年)の駅構内は事務所9棟、倉庫10棟、その他売店などが44棟が立ち並んでいた。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で初代駅舎が焼失し、23日に仮駅舎で営業を再開した。1923年から鉄道省東京改良事務所が上野駅周辺の改良工事を開始し、1925年(大正14年)3月1日に東京駅
- 上野駅間の東北本線電車線が開通。現在の京浜東北線に当たる路線が接続された。併せて上野駅と新橋駅とを結ぶ高架旅客線が開通して山手線の環状運転が始まり、東京の都市内交通である山手線と、東北・常磐・高崎など長距離幹線を接続する駅として機能した。また、1928年(昭和3年)には現在のJR宇都宮線にあたる東北本線列車線の上野駅
- 東京駅間が開通し、東京の都市内交通の電車だけでなく、列車も含めて東北本線の途中駅となった。
1930年(昭和5年)3月1日に地鎮祭が行われて改築工事が始まり、1932年(昭和7年)4月2日に2代目の駅舎が落成、5日から営業を開始した。この駅舎は利用者の安全を配慮して、乗車客は1階の車寄せから列車ホームへ、降車客は地下1階の車寄せへ、それぞれの動線が設計された。外壁は多胡石と小松石の砕石が入ったモルタル塗りで、臍壁は花崗岩が用いられた。本屋の中央に設置した30×20.3×13.25メートル
(m) の広間空間が構造上の特徴で、正面玄関の機能を有し、2階部に業務エリアの移動のための回廊が設けられていた。秋葉原の貨物取扱設備が高架上に移転したことを受け、東西交通を遮断するなど難点が多かった地上の貨物線は、駅舎完成後の7月1日に廃止されている。
過去においては代表的な帰省客の玄関口であり、1965年の例では8月10日から8月14日までの5日間に約90万人が利用した。お盆や年末年始の多客時には押しかける乗客を駅構内だけではさばききれず、駅舎に隣接して大型テントを連接したテント村を設営。待機列を整理、誘導する時代が続いた。
年表
1883年(明治16年)7月28日:日本鉄道上野 - 熊谷間の駅として開業。
1885年(明治18年)7月16日:初代本駅舎が竣工。
1890年(明治23年)11月1日:上野 - 秋葉原間が貨物線として開通。上野から貨物の取り扱いを秋葉原に移転して貨客分離。
1906年(明治39年)11月1日:鉄道国有法により国有化。
1909年(明治42年)
10月12日:線路名称制定により東北本線の所属となる。
12月16日:山手線の電車運転開始。
1912年(明治45年)1月8日:日本初の発車ベルを導入。
1925年(大正14年)11月1日:上野 - 東京間の東北本線電車線(現・京浜東北線)、高架旅客線が開業。
1926年(大正15年)4月25日:上野駅、東京駅で入場券の自動券売機(10銭)が稼働し始めた。
1927年(昭和2年)12月30日:東京地下鉄道(現・東京メトロ銀座線)浅草駅 - 上野駅間開通。
1928年(昭和3年)
4月1日:上野 - 東京間の東北本線列車線(現・宇都宮線)が開通。
6月8日:貴賓室前で田中義一首相が暴漢から襲撃を受ける。田中は護衛の警察官に護られ無傷であったが、一緒に居た松村光三議員が軽傷を負った。
1932年(昭和7年)4月3日:新駅舎が落成。
1941年(昭和16年)9月1日:陸上交通事業調整法により、東京地下鉄道が路線を帝都高速度交通営団(営団地下鉄)に譲渡。
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道が発足。
1961年(昭和36年)3月28日:営団地下鉄日比谷線の駅が開業。
1964年(昭和39年)10月1日:一部の急送品(郵便・新聞等)を除いて荷物の取り扱いを隅田川駅に移管。
1970年(昭和45年)
4月5日:旅行センター開業。
9月30日:高架第6ホーム(11・12番線)が使用を開始。地上・高架のホーム改良工事が完成する。
12月20日:大連絡橋の使用開始。
1973年(昭和48年):東京 - 上野間の東北本線列車線が廃止され、東北本線から東海道線への直通列車も廃止となる。
1976年(昭和51年)10月12日:タバコの投げ捨てが原因で、駅構内の電報電話局から出火。乗客らが避難する騒ぎとなった[新聞 4]
1984年(昭和59年)6月29日:国鉄中央広場に巨大パンダ像が設置される。
1985年(昭和60年)3月14日:東北新幹線の上野駅が開業。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる。
1990年(平成2年)
3月10日:指定券自動券売機「トラベル・エディ」2台を試験導入。
5月19日:浅草口に自動改札機を設置し、供用開始。
10月20日:不忍口に自動改札機を設置し、供用開始。
12月15日:公園口に自動改札機を設置し、供用開始。
1991年(平成3年)
2月2日:中央口に自動改札機を設置し、供用開始。
6月20日:東北新幹線が東京駅まで延伸。
1993年(平成5年)11月4日:営団地下鉄で継続定期券発売機を導入。
1995年(平成7年):新幹線ホーム周辺の地下水上昇対策として、同ホームに37,000トンの鉄塊を設置。
1997年(平成9年)
JR東日本の駅が「関東の駅百選」に認定される。選定理由は「いつの時代にもふるさとへの郷愁をそそる、首都圏の北の玄関口」。営団は認定対象外。
10月16日:新幹線乗換改札口に自動改札機を導入(JR東日本管内の新幹線各駅で初導入)。
1999年(平成11年)
3月31日:駅レンタカー営業所営業終了[16]。
9月11日:地平ホーム18番線が廃止[新聞 9]。
2001年(平成13年)11月18日:JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる。
2002年(平成14年)2月22日:JR東日本の駅がリニューアル。商業施設「アトレ上野」が開業。
2003年(平成15年)10月12日:新幹線でSuica FREX定期券およびSuica FREXパル定期券の利用が可能となる。
2004年(平成16年)4月1日:営団地下鉄の民営化に伴い、銀座線・日比谷線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)に継承される。
2007年(平成19年)3月18日:東京メトロでICカード「PASMO」の利用が可能となる。
2009年(平成21年)2月20日:銀座線上野駅に駅チカ商業施設「エチカフィット上野」が開業。
2012年(平成24年)10月30日:銀座線上野駅に発車メロディを導入。
2013年(平成25年)7月28日:13番線に発車メロディを導入。
2015年(平成27年)
3月14日:北陸新幹線が開業し、「かがやき」・「はくたか」の一部が当駅に停車する。上野東京ライン(東北縦貫線)が完成し、従来当駅終着(始発)であった宇都宮線・高崎線・常磐線(快速)の一部列車が東京駅、およびその先の東海道本線へ乗り入れを開始。16・17番線の特急乗換改札口が廃止される。寝台特急「北斗星」が定期運行を終了し、上野駅を始発・終着とする定期運行の寝台特急列車が消滅する。
3月29日:東京メトロのお忘れ物総合取扱所が飯田橋駅へ移転する。
7月21日:5番線から10番線に発車メロディを導入。
8月21日:寝台特急「北斗星」の下り最終列車が発車。
8月23日:寝台特急「北斗星」が上り最終列車到着で運行を終了し、日本の「ブルートレイン」と呼ばれる寝台特急列車は全て消滅する。
12月12日:山手線のホーム(2・3番線)でホームドアの使用を開始。
2016年(平成28年)
3月12日:銀座線1番線ホームでホームドアの使用を開始。
3月19日:寝台特急「カシオペア」の下り最終列車が発車。
3月21日:寝台特急「カシオペア」が上り最終列車到着で運行を終了し、当駅発着の寝台特急列車及び夜行列車は全て終了した[注釈 8]。
11月1日:13番線と16・17番線の発車メロディが入れ替えられる。
2017年(平成29年)
5月1日:クルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」を運行開始し、専用ラウンジ「プロローグ四季島」と専用ホーム「新たな旅立ちの13.5番線ホーム」を供用開始する。
12月14日:駅チカ商業施設「エチカフィット上野」がリニューアルオープン。
12月20日:京浜東北線ホーム(1・4番線)でホームドアの使用を開始。
2018年(平成30年)4月1日:タッチでGo!新幹線のサービスを開始。
2019年(平成31・令和元年)
4月20日:山手線ホームの発車メロディを「トゥーランドット」に変更する(7月20日まで使用)。
11月9日:山手線ホームの発車メロディを「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に変更する(翌年9月12日まで使用)。
2020年(令和2年)
2月7日:日比谷線上野駅に発車メロディを導入。
3月14日:新幹線eチケットサービス開始。
3月20日:JR東日本で公園口駅舎および公園改札を移設。
2021年(令和3年)
7月1日:JR東日本の中央改札外に駅ナカシェアオフィスのブース型オフィス「STATION BOOTH」が開業。
12月12日:びゅうプラザの営業を終了。 |