東京(とうきょう) |
東海道新幹線 |
|
|
|
東京 |
→ |
品川 |
東北新幹線 |
|
|
|
→ |
上野 |
東海道本線 |
|
|
|
→ |
新橋 |
宇都宮線 |
|
|
|
→ |
上野 |
京浜東北線 |
|
神田 |
→ |
|
有楽町 |
山手線 |
|
神田 |
→ |
→ |
有楽町 |
中央線 |
|
|
|
→ |
神田 |
横須賀線・総武線 |
|
新橋 |
→ |
→ |
新日本橋 |
京葉線 |
|
|
|
→ |
八丁堀 |
東京メトロ |
|
銀座 |
→ |
→ |
大手町 |
|
所在地 |
東京都千代田区丸の内一丁目9-1 |
所属
事業者 |
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東海旅客鉄道(JR東海)
東京地下鉄(東京メトロ) |
駅構造 |
高架駅(新幹線・在来線)
地下駅(在来線) |
ホーム |
2面4線(新幹線)
5面10線(在来線・高架)
2面4線(在来線・総武地下)
2面4線(在来線・京葉地下) |
乗車
人員 |
東北新幹線 51,292人/日(2022年)
JR東日本 346,658人/日(2022年)
東海道新幹線 33,805人/日(2020年)
東京メトロ 162,608人/日(2022年) |
開業
年月日 |
1914年(大正3年)12月20日(東海道線)
1956年(昭和31年)7月20日(東京メトロ)
1964年(昭和39年)10月1日(東海道新幹線) |
駅種別 |
直営駅(管理駅)みどりの窓口
お客さまサポートコールシステム導入駅
山区東京山手線内・東京都区内駅(中心駅) |
所属
路線 |
JR東日本・東北新幹線
(山形新幹線・秋田新幹線・北海道新幹線
上越新幹線・北陸新幹線直通含む) |
キロ程 |
0.0km(東京起点) |
所属
路線 |
JR東日本・東海道線(上野東京ライン) |
駅番号 |
JT01 |
キロ程 |
0.0km(東京起点) |
所属
路線 |
JR東日本・宇都宮線(上野東京ライン) |
駅番号 |
JU01 |
キロ程 |
0.0km(東京起点) |
所属
路線 |
JR東日本・京浜東北線 |
駅番号 |
JK26 |
キロ程 |
0.0km(東京起点) |
所属
路線 |
JR東日本・山手線 |
駅番号 |
JY01 |
キロ程 |
0.0km(東京起点) |
所属
路線 |
JR東日本・中央線 |
駅番号 |
JC01 |
キロ程 |
0.0km(東京起点) |
所属
路線 |
JR東日本・横須賀線・総武線快速 |
駅番号 |
JO19 |
キロ程 |
0.0km(東京起点) |
所属
路線 |
JR東日本・京葉線 |
駅番号 |
JE01 |
キロ程 |
0.0km(東京起点) |
所属
路線 |
JR東海・東海道新幹線 |
キロ程 |
0.0km(東京起点) |
所属
路線 |
東京地下鉄丸ノ内線 |
駅番号 |
M17 |
キロ程 |
8.7km(池袋起点) |
|
|
東京駅 |
|
寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」 |
|
駅名標 |
|
中央線快速 |
|
|
E3系2000番台 |
|
|
東京駅(とうきょうえき)は、東京都千代田区丸の内一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅です。JR東日本の在来線と新幹線各路線、JR東海の東海道新幹線、東京メトロの丸ノ内線が発着するターミナル駅です。
日本最大のビジネス街である丸の内・大手町・有楽町・八重洲・日本橋・京橋の中心に位置しており、地下街を経由し周辺のオフィスビルと直結しています。
東海道新幹線(直通する山陽新幹線を含む)と東北新幹線(分岐する山形新幹線および秋田新幹線、直通する北海道新幹線、上越新幹線、北陸新幹線を含む)の起点となっており、全国の新幹線網における最大の拠点です。
また東海道本線や東北本線など主要幹線の起点駅です。当駅から乗り換えなしで33都道府県と結ばれていて、1日当たりの列車発着本数は約3,000本という日本を代表するターミナル駅の一つです。
プラットホームの数は日本最大です。在来線が地上5面10線と地下4面8線の合計9面18線、新幹線が地上5面10線、地下鉄は地下1面2線を有していて、面積は約46,800
m2となっています。
1914年に竣工した赤レンガ造りの丸の内口駅舎は辰野金吾らの設計です。
2003年に丸の内駅舎は国の重要文化財に指定されており、重要文化財指定の駅建築物は当駅と門司港駅(福岡県北九州市)のみです。また、「関東の駅百選」にも認定されています。
路線乗り入れ
当駅にはJRの新幹線と在来線各線、東京メトロの丸ノ内線が乗り入れている。JR東日本の駅には「TYO」のスリーレターコードが、丸ノ内線の駅には「M
17」の駅番号が与えられている。また、当駅を発着するJR線と東京メトロ大手町駅間との連絡運輸は東西線のみ行われている。
JRの駅に乗り入れている路線は、線路名称上は、新幹線が東海道新幹線と東北新幹線の2路線、在来線が東海道本線・東北本線・総武本線・京葉線の4路線であり、東海道本線を当駅の在来線における所属線としている。管轄会社は東海道新幹線がJR東海、東北新幹線と在来線がJR東日本となっている。これら各路線は全て当駅を起点としており、当駅構内にはこれら各線の0キロポストが設置されている。ただし、旅客案内ではそれぞれに運転系統名が使用される。案内上の「東北(本)線」は中・長距離列車を意味し、それらはかつて上野駅発着であったため、当駅では用いられていなかった。上野東京ラインの開業後、東海道新幹線における車内放送の乗り換え案内においてのみ使われるようになった。
中央本線についても当駅が起点だが(当駅に0キロポストが設置されている)、国鉄からJRへの移行時に運輸省に提出された事業基本計画および『鉄道要覧』では、当駅
- 神田駅間は東北本線とされた。これは先行敷設路線との営業距離の重複計上を行わないためのものであり、線路は独立している。また、マルスのシステム上の経路表示においても、当駅
- 神田駅間は中央本線に含まれている。なお、同線の代々木駅 - 新宿駅間も同様の扱いである。
運転系統では、JR東日本の新幹線ホームには、以下の路線の列車が乗り入れている。
東北新幹線 北海道新幹線:当駅 - 新青森駅間で東北新幹線に乗り入れている。
山形新幹線:当駅 - 福島駅間で東北新幹線に乗り入れている。福島駅 - 新庄駅間は奥羽本線を走行する。
秋田新幹線:当駅 - 盛岡駅間で東北新幹線に乗り入れている。盛岡駅 - 大曲駅間は田沢湖線を、大曲駅 - 秋田駅間は奥羽本線をそれぞれ走行する。
上越新幹線:当駅 - 大宮駅間で東北新幹線に乗り入れている。
北陸新幹線:当駅 - 大宮駅間は東北新幹線に、大宮駅 - 高崎駅間は上越新幹線に乗り入れている。
また在来線に関しても多岐に渡る運転系統が発着する。これらの在来線各線のうち、宇都宮線・高崎線・常磐線と京葉線・武蔵野線が同一の線路を共有している。それ以外は、各系統ごとに専用の線路が割り当てられている。
JT 東海道線:駅番号「JT 01」/ JU 宇都宮線・高崎線:駅番号「JU 01」/常磐線。
東海道本線(および伊東線)と東北本線の列車線を走行する中距離電車および特急列車。長い間、当駅は東海道本線列車線の起点であったが、2015年3月14日より新設された「上野東京ライン」の運転系統として上野駅からの東北本線列車線が直結し、多くの列車が東北本線列車線を走行する宇都宮線・高崎線・常磐線へ直通運転をするようになった。
JK 京浜東北線:駅番号「JK 26」。
東海道本線・東北本線の電車線を走行する近距離電車。横浜駅から根岸線磯子駅・大船駅方面への直通運転も実施している。
JY 山手線:駅番号「JY 01」。
東海道本線・東北本線の電車線を走行する環状路線。品川駅 - 新宿駅 - 田端駅では線路名称上の山手線を走行する。
JC 中央線(快速):駅番号「JC 01」。
中央本線の近距離電車。線路名称上は当駅から神田駅までの区間は東北本線となっているが、列車運行上は当駅が起点とされ、全列車が当駅に発着する。また、立川駅から青梅線青梅駅方面などとの直通運転も実施している。
JO 横須賀線・総武線(快速):駅番号「JO 19」。
両線で直通運転を実施している。特に平日の日中は横須賀線の全列車が総武快速線と直通している。当駅以南は東海道本線地下線と支線(品鶴線)を経て大船駅から線路名称上の横須賀線に直通、当駅以東は総武本線を走行する。
JE 京葉線:駅番号「JE 01」。
武蔵野線が当駅と西船橋駅の間で直通運転を実施している。
JRでは当駅を「中央駅」と位置付けており、前身である日本国有鉄道(国鉄)の時代から列車の進行方向を示す「上り・下り」の基点となっていた。現在、中央本線は当駅
- 神田間は戸籍上は東北本線となっているが、起点であった当駅へ向かう列車が引き続き上りとされている。なお、「中央駅」である当駅は東京都区内および東京山手線内各駅を発着するJR線長距離乗車券の運賃を算出するためのキロ数基準駅ともなっている(前者:201
km以上、後者:101 – 200 km)。
駅構造
かつて、現在のJR東日本とJR東海の駅は同じ国鉄の駅であったが、1987年の国鉄分割民営化を機に、東海道新幹線はJR東海、それ以外はJR東日本の管轄へと分離された。ここでは会社別に解説する。
JR東日本
JR東日本の駅は各路線の線路とホームはほぼ南北方向に伸びているが、成田新幹線計画の名残である地下の京葉線ホームのみ他線と遠く離れ ほぼ東西方向に伸びている。出入口は東西南北に設けられており、西側を丸の内口、東側を八重洲口、北東側を日本橋口、南側を京葉地下出口と称している。
東西の駅舎を連絡する改札内通路は北・中央・南の3本があり、それぞれの通路に対応して丸の内側・八重洲側それぞれの地上に3か所の改札口がある。丸の内中央口は元は皇室専用だったため北口・南口に比べ小さい(現在は別に皇室用の出入口と貴賓室がある)[16]。丸の内側の地下3か所と八重洲中央口の地下にも改札口があり、丸の内側は東京メトロ丸ノ内線や丸ビル・新丸ビル方面へ、八重洲側は八重洲地下街方面へ通じる。
また、丸の内側と八重洲側を改札外でつなぐ北側自由通路(1階・地下1階)があり、南側自由通路(地下1階)は2029年に開通予定である。日本橋口は唯一改札の外から新幹線乗り場に直接入ることができる。
在来線の構内は非常に広い。1階は改札内(駅ナカ)商業施設が充実している。長年、地下1階はコインロッカーが多く商業施設が少なかったが、2007年10月25日にJR東日本の商業施設「グランスタ」がオープンした(2020年8月3日に「グランスタ東京」としてリニューアル開業)。駅コンコースにはJR東日本の管轄エリアも多く、それらの店舗やレストランなどでは電子マネーとして、Suicaおよびこれと相互利用可能な交通系ICカードが利用できる。対して、新幹線の構内はあまり広くなく、商業施設はホーム上にほぼ限られている。
「グランスタ」開業に合わせて、八重洲地下中央口の改札内にある待ち合わせ場所として有名な「銀の鈴」のリニューアルが行われ、1階と地下1階を結ぶエスカレーターが新設された。
駅長(兼 常務執行役員)・助役配置の直営駅で、京葉線の八丁堀駅と越中島駅を管理する。新幹線乗換口(中央・南とも。乗換窓口・精算所業務を含む)、丸の内地下北口、京葉地下丸の内口、日本橋口の業務はJR東日本ステーションサービスに委託している。なお、丸の内地下南口と京葉地下八重洲口はお客さまサポートコールシステム導入により、終日無人となっている。
在来線高架ホーム(1 - 10番線)
島式5面10線の高架ホームで、丸の内側から1・2・3…と順に振られている。
中央線の1・2番線は3・4番線のさらに上、3階相当の高さにあり、2番線の直下に3番線がある。
1・2番線はホームの両端は階段、それ以外は長いエスカレーターとホーム中央にあるエレベーターでコンコースと結んでいるが9・10番線のエレベーターのみ地下1階まで結んでいる。9・10番線は南側のエレベーターが2つ設置されている。
3 - 6番線(山手線・京浜東北線)にはホームドアが設置されている。5・6番線有楽町方の駅事務室前には、開業当時からの面影を残すハルトゥング支柱様の鋳鉄製の柱が2本、設置されている。柱は高さ2.6メートル、柱周470ミリメートル、下部には「明治四十一年一月
株式会社東京堅鉄製作所」と刻印されている。また、一部の屋根と柱は木造である。2014年度に改修工事が行われ、老朽化が進んでいた開業時からの柱14本を含む約103メートル分が新しい屋根に置き換えられた。
9・10番線ホーム屋根には屋根材一体型のソーラーパネルが設置され、発電した電気を東京駅の照明や空調機の電力として活用している。また、発電状況を駅構内4か所の発電量表示モニターで確認できる。
新幹線ホーム(20 - 23番線)
島式2面4線の高架ホームである。このうち20番線は10番線のすぐ東にある。当初、東北・上越新幹線が当駅に延伸した際は現22・23番線(当時12・13番線)の島式1面2線のみで発着し、一部の定期列車と臨時列車は上野駅発着を原則としていた。しかし、1997年10月1日の北陸新幹線高崎駅 - 長野駅開業に伴い1・2番線を高架化した上で3 - 10番線を丸の内側にスライドする工事を行い、当時9・10番線(東海道線)だったホームを20・21番線とし、現在の2面4線の構造になるとともに定期列車の全列車と臨時列車の大半が当駅発着になった。1日300本を超える列車をこの2面4線ホームで扱っている。各ホームに中央改札と各ホームを結ぶエレベーターが8号車付近に設置されている。直接改札内に入れる改札口は八重洲北側の日本橋口改札口のみ。
総武地下ホーム(総武地下1 - 4番線)
島式2面4線の地下ホームで、地下5階に位置する。中央通路を丸の内側へずっと向かった階段の先にのりばがあり、東京メトロ丸ノ内線との乗り換えは比較的近いが、京葉線との改札内乗り換えは遠い。このホームと下記の京葉地下ホームは地上・高架ホームとは番線番号が通しではない。ホームへはエレベーターまたは長いエスカレーターを使用することになる。ホームがある東京トンネルの区間の保安設備は2004年2月にATC-5型からATS-Pに更新されている。ATS-P対応車両であればこの地下ホームへの発着が可能である。このホームは構造上、地下水上昇問題がある。
京葉地下ホーム(京葉地下1 - 4番線)
島式2面4線の地下ホームで、地下4階に位置する。新幹線八重洲南乗り換え口脇から南に約500 mの所、鍛冶橋通りの地下(有楽町駅との中間点)にあり、ホームは東西に伸びる。地下3階には総武地下通路のように通路があり、皇居よりの都道402号地下では横須賀線シールドトンネルが駅躯体を横断する。エレベーターは1・2番線と3・4番線にそれぞれ1台設置されている。他のホームから離れていることから八重洲口側に動く歩道が3つ設置され、その両端にエスカレーターとエレベーターが設置されている。
この位置にはもともと、成田新幹線用の駅が計画されていた。他の乗り場から南に大きく離れたこの位置が選ばれたのは、将来的に新宿方面への延長をにらんだものであった。しかし成田新幹線は、沿線住民の反対運動によって計画が頓挫し、東京駅構内では東北新幹線の高架橋を造る工事に合わせて、現在京葉線への乗り換え通路として使われている通路が建設されただけで、乗り場部分の実際の掘削工事は行われなかった。現行のプラットホームなどがある地下部分は、京葉線に転用されることが決まってから新たに工事されたものであり、設計も在来線用に1から異なった設計がされており建設予定位置以外の共通点は存在しない。
当駅を挟む京葉線八丁堀駅以東 - 東海道本線新橋駅以南の乗車券またはICカードを所持していれば、当駅と有楽町駅の有人改札を経由しての乗り換えが可能である。
JR東海
東海道新幹線はJR東日本の新幹線の隣の東側(八重洲寄り)にあり、その部分は自社管理区域となっていて標識のフォーマット、各種宣伝や広告などもJR東海のものである。
専用改札口は八重洲改札と、JR東日本の新幹線と並んで設置されている日本橋改札他全部で5か所がある。丸の内側からはJR東日本の在来線改札内経由(中間改札)で改札内に入れる。八重洲口を含めた出口・駅舎はJR東日本の所有のものを共同使用する形となっている。また一部の改札口には自動改札機が設置されていない。東海道新幹線とJR東日本の新幹線とを直接繋ぐ乗換口もあるが、JR他社同士で直通列車がなく、システムが統一されていないためICカード(EX-IC、Suicaなど)は利用できない(在来線乗換口を2度経由すれば利用可能)。
新幹線南乗換口の出改札業務、中央乗換口の出札業務は新幹線メンテナンス東海に委託している。
商業施設はホーム上にほぼ限られているが、2006年2月22日のJR東海社長の定例会見で「新幹線改札口を5か所から6か所に増やす」「内装や外装を全面的にリニューアルする」などの旨を明らかにしている。2012年1月に工事は完了し、2月25日より「八重洲南口改札」として開設した。また、同時に「八重洲中央口改札」の名称が「八重洲中央北口改札」に変更された。ホームの中央にエレベーターが1台設置されている。構内北端が東京メトロ東西線と地下でつながっている。 島式3面6線の高架ホームである。このうち14番線は23番線のすぐ東にある。14・15番線は神田寄りが丸の内側へ湾曲しているが、これは後述するホームの変遷表でもわかるように、14・15番線は、かつて東海道本線のホームとして使用されていたためであり、在来線ホーム時代は、一部特急など、東北本線方面への旅客列車も乗り入れていた。前述したが、コンコースでは改良工事が行われている。
東海道新幹線開業にあたり、14・15番線は東海道新幹線ホームに転用されることとなったが、旧来の構造を活かし、将来的には東北新幹線との共用使用や、東北新幹線との直通運転も想定されていたとされる。
0キロポストの他、記念モニュメントも複数ある。18・19番線の8号車乗車位置付近のホーム中央床面には起点と方位を示すレリーフが、同ホーム南端には十河信二のレリーフと座右の銘「一花開天下春」があしらわれた建設碑が、同ホームの下、中央乗換口(新幹線改札内)の東端壁面には「東海道新幹線 この鉄道は日本国民の叡智と努力によって完成された」と記された銘版がある。
東京メトロ
丸の内側に位置する島式ホーム1面2線を有する地下駅である。比較的地下浅い所にある。八重洲側へは、JRの北側自由通路を通るのが既存の最短ルートであるが、八重洲南口方面へは同ルートはやや迂回する形の経路となる。1990年12月半ばに本格的な自動改札機を導入した。1993年11月には、御茶ノ水駅から定期券売り場が移転したが、2021年2月11日をもって閉鎖された。
2008年春に、ホームの側壁に女子美術大学の非常勤講師2名によるデザインのアートウォール「自由に走る丸ノ内線」が設置された。コンセプトは「歴史と自然とトレンドの融合」で、営団500形電車で使われていた銀色のサインウェーブを下部に再現するとともに自由に飛ぶ鳥を随所に設置した。
当駅は「東京地域」として駅を管理しているが、駅務管区所在駅は当駅ではなく後楽園駅である。
のりば
以上のように、高架・地上・地下の全ホームを計11面22線のホームがあり、JR東日本の駅では最多のホーム数である。当駅は東口・西口の双方にペデストリアンデッキが整備されており、それぞれのデッキ中央から駅構内への中央コンコースと、南側に東西自由通路(かつて改札が東西に分かれていたころの名残)があります。
番線 |
路線 |
方向 |
行先 |
備考 |
在来線 地上ホーム |
1・2 |
■中央線 |
下り |
御茶ノ水・新宿・立川方面 |
|
特急「あずさ」・「かいじ」・「はちおうじ」・「おうめ」 |
|
3 |
■京浜東北線 |
北行 |
上野・大宮方面 |
|
4 |
■山手線 |
内回り |
上野・池袋方面 |
|
5 |
外回り |
品川・渋谷方面 |
|
6 |
■京浜東北線 |
南行 |
蒲田・関内方面 |
|
7・8 |
■常磐線 |
下り
(北行) |
上野・大宮・宇都宮・高崎・水戸方面 |
朝・深夜帯は交互発着それ以外の時間は主に7番線 |
■宇都宮線 |
常磐線特急「ひたち」・「ときわ」 |
■高崎線 |
■上野東京ライン |
9・10 |
■東海道線 |
下り
(南行) |
品川・横浜・小田原・熱海・伊東方面 |
当駅始発の一部列車は8番線から発車 |
特急「(サフィール)踊り子」「湘南」 |
|
寝台特急「サンライズ出雲・サンライズ瀬戸」 |
|
JR東日本 新幹線ホーム |
20-23 |
■東北・北海道新幹線 |
下り |
宇都宮・郡山・福島・仙台・盛岡・新青森・新函館北斗方面 |
|
■秋田新幹線 |
角館・大曲・秋田方面 |
|
■山形新幹線 |
福島・山形・新庄方面 |
|
■上越新幹線 |
高崎・越後湯沢・新潟方面 |
|
■北陸新幹線 |
軽井沢・長野・金沢方面 |
|
JR東海 新幹線ホーム |
14-19 |
■東海道新幹線 |
下り |
新大阪・博多方面 |
|
総武地下ホーム |
1・2 |
■横須賀線 |
下り |
横浜・鎌倉方面 |
特急「しおさい」は2番線から発車 |
特急「しおさい」「成田エクスプレス」 |
3・4 |
■総武線(快速) |
市川・千葉方面 |
当駅始発の一部列車は2番線から発車 |
特急「成田エクスプレス」 |
京葉地下ホーム |
1-4 |
■京葉線 |
下り |
舞浜・海浜幕張・蘇我方面 |
|
特急「さざなみ」「わかしお」 |
|
■武蔵野線 |
舞浜・西船橋方面 |
|
東京メトロ丸ノ内線 |
1 |
■丸ノ内線 |
下り |
新宿・荻窪方面 |
|
2 |
上り |
池袋方面 |
|
- 特急「踊り子」・「サフィール踊り子」・「湘南」、寝台特急「サンライズ出雲」・「サンライズ瀬戸」などは基本的に9番線から発車する。
- 京葉線のホームは概ね列車によって番線が使い分けられており、1番線は特急列車、2番線は武蔵野線電車、3・4番線は京葉線電車が使用することが多いが、全てがこの通りに発着するわけでは無い。
- 東海道線・上野東京ラインホームは、基本的に宇都宮線・高崎線系統が7番線(上野方面)・10番線(品川方面)、常磐線系統及び当駅始発列車群が8番線(上野方面、当駅始発品川方面の一部)・9番線(品川方面)に発着する列車が多いが、ダイヤの関係で違うホームを使用する列車もある。
- 東海道線・上野東京ラインホーム、総武地下ホームはそれぞれ元々終端駅だった関係から、両線共に両方向からそれぞれの4本全てのホームへ入線および出発が可能。総武地下ホームでは、総武快速線の横須賀線へ直通しない列車のうち、上り線から一番遠い下り4番線に入線して折り返す定期列車などもある。
- 当駅で夜間外泊が組まれているのは、中央線・京葉線・総武快速線・横須賀線の4路線である。
JR東日本 東京駅総武地下ホーム 鉄道配線略図 |
←
錦糸町・千葉
・成田空港・
蘇我 方面 |
|
→
横浜・大船・
久里浜 方面 |
歴史
1889年(明治22年)に神戸駅まで全通した官設鉄道の新橋駅と、私鉄・日本鉄道の上野駅を結ぶ高架鉄道の建設が東京市区改正計画によって立案され、1896年(明治29年)の第9回帝国議会でこの新線の途中に中央停車場を建設することが可決された。施工は大林組が担当。日露戦争終結後の1908年(明治41年)から建設工事が本格化し、1914年(大正3年)12月20日に開業した。中央停車場は皇居の正面に設定され、東京駅と命名された。
建設
ドイツから招聘されて、日本の鉄道建設を指導していた技術者フランツ・バルツァーにより駅の位置や規模、構内の配置が決められた。駅舎は繁華街のある東側(現在の八重洲側)ではなく、陸軍の練兵場跡地だった西側(現在の丸の内側)と決まった。皇居の正面と対峙することになり、国家の象徴的な位置付けであった。プラットフォームはレンガ積の高架式4面8線で、新橋駅まで複々線の高架橋が計画された。東側には貨物ヤードが置かれることになった(後に車両基地に変更)。バルツァーは日本風の駅舎を提案していたが、日本側に反対意見が多くバルツァーの構想は実現しなかった。
駅舎は辰野金吾と葛西萬司が設計し、そのデザインは「辰野式ルネッサンス」と呼ばれ皇室用玄関である「天皇の駅」としてのシンボリックな意味を持たせる事になった。埼玉県深谷市から鉄道輸送されたレンガと鉄筋造り、3階建て総建坪9,545
m2・長さ330 mの豪壮華麗な洋式建築である。南北にそれぞれドーム状の屋根があり、当時は丸の内南口が乗車口、丸の内北口が降車口と分けて使用されていた。中央の玄関は皇室専用とされ、規模は小さいものの、細かい装飾が各所に施されていた。中央玄関と東西の一般出入り口との間に、各1つ別の出入り口があるが、これは荷物の搬入搬出口として設けられた。開業年の1914年は第一次世界大戦の開戦の年でもあり、青島の戦いを指揮した陸軍司令官神尾光臣中将が凱旋し、皇居に参内するイベントに合わせて開業式を行った。式典では、鉄道の草創期から建設を牽引してきた大隈重信首相が演説した。
アムステルダム中央駅が当駅舎を設計する際のモデルになったという説があるが、1988年以降に藤森照信らをはじめとする西洋建築研究者により設計者の系譜や建築様式の両面から、否定的な意見も出ている)。辰野は英国留学の経験があり、首都ロンドンのターミナル駅を参考にした可能性もある。
発展
1919年(大正8年)3月1日に中央本線が、1925年(大正14年)11月1日に東北本線の電車線(現在の京浜東北線)が、1928年には同じく東北本線の列車線(現在の宇都宮線)が乗り入れ、翌1929年(昭和4年)12月16日には東側に八重洲橋口(現在の八重洲口)が開設する
など、徐々にターミナル駅としての体裁を整えていった。
1923年(大正12年)には関東大震災で被災したものの大きな被害はなく、1935年と1940年の満洲国皇帝の溥儀の来日においては昭和天皇が出迎えに来たほか、チャールズ・チャップリンの東京来訪や、1938年のヒトラーユーゲントの来日などにおいては東京の玄関口として機能した。
戦災と復興
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月25日、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)では丸の内駅舎の降車口に焼夷弾が着弾、大火災を引き起こした。これによりレンガ造の壁やコンクリート製の床など構造体は残ったが、鉄骨造の屋根は焼け落ち、内装も大半が失われた。
同年8月の終戦直後から修復計画を立案し、年末から1947年(昭和22年)にかけて修復工事を行った。3つのドーム部分の外壁は修復したが、安全性に配慮してその他の焼失の著しかった3階部分内外壁は取り除いて2階建てに変更。中央ドームは木造小屋組で元の形に復原し、南北両ドームは丸型から台形に変更。軒蛇腹・パラペットや壁面、柱型、窓枠などは2階建てになっても忠実に復元した。南北ドーム内のホール天井はローマのパンテオンを模したデザインに変更、といった内容だった。仮の修復だったが、当時の鉄道省や大林組の努力で日本の中央駅として恥ずかしくないデザインで修復をした逸話が伝えられている
一方、八重洲口には、1948年(昭和23年)11月16日にモダンデザイン建築の八重洲駅舎が竣工したが、翌1949年(昭和24年)4月29日に失火で焼失。1954年(昭和29年)10月14日に鉄道会館ビルが建てられ大丸が開業した。外堀が埋め立てられて、呉服橋、八重洲橋、鍛冶橋が解体撤去された。
なお、この鉄道会館ビル建設と前後して、丸の内駅舎も更地にして、跡地に24階建ての高層ビルを建設する構想が存在した。ビルのテナントとして外国の領事館や大手商社が入居し、更に丸の内と八重洲の東西を貫通する高速道路を整備するという壮大なプロジェクトであったが、プロジェクトの中心人物であった国鉄総裁の十河信二が1963年(昭和38年)に退任したこともあり、この構想は幻となった。
東海道新幹線開業後
1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線が開業し、1972年(昭和47年)7月15日には総武地下ホーム、1990年(平成2年)3月10日には京葉地下ホームがそれぞれ営業を開始。1991年(平成3年)6月20日には東北新幹線が乗り入れた。
2000年(平成12年)、丸の内駅舎を創建当初の姿に復原する方針がまとめられた。500億円とされた復原工事の費用は、東京駅の容積率を丸の内地区の高層ビルへ移転(売却)することで賄うことになった。復原工事自体は、2007年(平成19年)5月30日に起工され、2012年(平成24年)10月1日に完成した。
2015年(平成27年)、上野東京ラインが開業。東北新幹線の東京駅乗り入れに伴い1983年以来分断されていた東京駅 - 上野駅間の東北本線の線路が再接続され、東海道本線との直通運転が実現した。 |
|