高岡(たかおか) |
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所在地 |
富山県高岡市下関町 |
所属事業者 |
あいの風とやま鉄道
西日本旅客鉄道(JR西日本) |
駅構造 |
地上駅(橋上駅) |
ホーム |
4面7線 |
乗車人員 |
4,752人/日(あいの風・2019年)
3,488人/日(JR西日本・2019年) |
開業年月日 |
1898年(明治31年)1月2日 |
所属路線 |
■あいの風とやま鉄道 |
キロ程 |
22.8km(倶利伽羅起点) |
所属路線 |
■城端線 |
キロ程 |
0.0km(高岡起点) |
所属路線 |
■氷見線 |
キロ程 |
0.0km(高岡起点) |
駅種別 |
共同使用駅(あいの風とやま鉄道の管轄駅)
直営駅
みどりの窓口(e5489サービス対象外) |
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高岡駅前 |
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南口 |
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あいの風とやま鉄道改札口 |
瑞龍寺口コンコース |
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切符売り場 |
古城公園口コンコース |
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あいの風とやま鉄道ホーム |
JR城端線ホーム |
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城端線・氷見線用キハ40形気動車 |
氷見線ホームに停車する忍者ハットリくん列車 |
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高岡駅は、JR氷見線・城端線の起点駅です。
あいの風とやま鉄道、JR氷見線・JR城端線、万葉線高岡軌道線に接続する高岡市の中心駅です。
駅の構造は4面7線ですが、北陸新幹線開業に伴い橋上駅として改装されています。また氷見線ホーム移設、万葉線高岡駅停留場の移設並びに2面化、高岡ステーションデパートの建替等が行われています。
通常は駅長室のある駅舎(駅本屋)側から番号を振るが、当駅では地上駅時代の駅本屋から最も遠い城端線のりばから番号が振られていて、城端線ホームが1.2番ホームとなっていますが、中越鉄道が造られた際にはこのホームが最初に造られたので、このような番号がつけられたのです。
旧7・8番のりばのみ、他ののりばから離れた駅舎の直江津方の隣にあり、正面改札口から跨線橋を通らずに行くことができ、1 - 6番のりばへは跨線橋で連絡していましたが、2010年8月23日より旧7番と8番ホームは廃止され、正面改札口前に単式の新7番ホームが供用開始されて、氷見線専用ホームとなっています。
7番ホームは非電化であるが、あいの風とやま鉄道線下り本線への出発信号機が設置されています。
2015年3月14日の北陸新幹線開業とともに北陸本線もあいの風とやま鉄道に移管しています。これにより、あいの風とやま鉄道ホームは3番から6番、城端線ホームは1、2番ホーム、氷見線ホームは7番ホームとされています。
当然ながら、みどりの窓口、自動券売機も設置されています。
のりば
ホーム |
路線 |
方向 |
行先 |
備考 |
1 |
■城端線 |
新高岡・城端方面 |
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2 |
城端線からの直通列車 |
■あいの風とやま鉄道 |
下り |
富山・魚津方面 |
あいの風とやま鉄道線下りは一部のみ |
3 |
上り |
金沢方面 |
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4 |
5 |
下り |
富山・魚津方面 |
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6 |
氷見線は一部のみ |
■氷見線 |
氷見方面 |
7 |
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- 1・2番のりば、3・4番のりば、5・6番のりばが同一平面上。なお、あいの風とやま鉄道線の上り(金沢方面)本線は4番のりば、下り(富山方面)本線は5番のりばである。城端線の本線は1番のりば、氷見線の本線は7番のりば。
- 3番のりばと6番のりばは、JR時代は特急の待避で多用されていた。3番のりばは富山方面への折返しにも使われている。
- 夏季にはホームに銅器の風鈴が吊り下げられていたが、現在は当駅での吊り下げを取りやめ新高岡駅のみで実施している。
- 構内にJR西日本北陸広域鉄道部高岡運転派出(旧・高岡鉄道部→富山地域鉄道部高岡運転派出)があり、城端線・氷見線を担当する運転士が所属しているほか、使用される車両が夜間滞泊している。
到着・発車メロディ
2017年(平成29年)3月13日から、あいの風とやま鉄道新旅客案内システム(駅自動放送)導入に伴い独自の到着メロディ・発車メロディが導入された。
- 到着メロディ
- 「ふるさとの空(ラスト部)」(久石譲作曲) - 「富山県ふるさとの歌」として制作された曲。
- 発車メロディ
- 「越の高岡」 - 高岡市の伝統工芸・高岡銅器の「おりん」を使ったメロディ。
なお、新旅客案内システム導入以前は、北陸本線主要駅標準の詳細自動放送の文面であり、列車発車時には「越の高岡」が流れていた。
貨物取扱
当駅における貨物取扱は、1986年(昭和61年)11月1日に廃止された。
1953年(昭和28年)10月10日付『鉄道公報』第1254号通報専用線一覧別表掲載中、当駅接続の専用線は次の通りであった。
- 鐘淵紡績線(第三者使用:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:1.5粁(第1積卸場)、1.4粁(第2積卸場)、1.7粁(直通)、備考:当駅 - 二塚間より分岐)
- 荻布建材工場線(動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.1粁)
1967年(昭和42年)7月1日時点における当駅接続の専用線は以下の通りであった。
- 鐘淵紡績線(第三者使用:日本通運、動力:国鉄機関車、作業粁程:1.5粁、備考:当駅 - 二塚間より分岐)
- 荻布建材工場線(第三者使用:岩谷産業、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.1粁)
1970年(昭和45年)10月1日時点における当駅接続の専用線は以下の通りであった。
- 荻布建材工場線(真荷主:岩谷産業、動力:国鉄機関車及び手押、作業粁程:0.1粁、総延長粁程:0.1粁)
高岡駅停留場(たかおかえき) |
高岡駅停留場→末広町 |
所在地 |
富山県高岡市下関町6-1 |
所属事業者 |
万葉線 |
所属路線 |
■万葉線(高岡軌道線) |
キロ程 |
0.0km(高岡駅起点) |
駅構造 |
地上駅 |
ホーム |
2面2線 |
乗降人員 |
1,167人/日(2019年) |
開業年月日 |
1948年(昭和23年)4月10日 |
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万葉線高岡軌道線 高岡駅停留場 |
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万葉線
頭端式ホーム2面2線を有し、駅ビル「Curun TAKAOKA」1階にホーム・待合室がある。
2014年(平成26年)3月29日に移転するまでは駅前に1面1線のホームが設置されていた。
電車の発車時、JR西日本・あいの風とやま鉄道高岡駅と同じく、伝統工芸の高岡銅器のお鈴(おりん)を使った独自の発車メロディが流れるが、JR西日本・あいの風とやま鉄道高岡駅の曲とは異なる。
万葉線のりば
のりば |
路線 |
行先 |
1 |
降車専用ホーム |
2・3 |
■万葉線(高岡軌道線) |
越ノ潟ゆき |
- 1・2番のりばは同一の線路を使用する。2・3番のりばが同一平面上。
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万葉線高岡軌道線 高岡駅停留場 |
待合室 |
歴史
国鉄・JR西日本・あいの風とやま鉄道
- 1897年(明治30年)11月17日:中越鉄道線高岡 - 黒田仮停車場間が竣工する。
- 1898年(明治31年)
- 1月2日:中越鉄道高岡 - 黒田仮停車場間の延伸開業に伴い、中越鉄道の駅として開業する。同時に黒田仮停車場を廃止する。そもそも中越鉄道線は、1896年(明治29年)6月6日に官設鉄道高岡駅建設予定地であった博労町地内(現在の高岡市立博労小学校附近)において起工式を挙行し、同地点を起点として建設されたのであるが、1896年(明治29年)7月から8月にかけての庄川および千保川の大洪水によって損害を受けたため、官設鉄道高岡駅の建設予定地を変更することとなった。また、当時の博労町においては同地に駅が敷設されることに対して、町の発展の妨害になるとして反対する声も根強かったといわれるが、典型的な「鉄道忌避伝説」なので疑わしい。中越鉄道は鉄道作業局の建設予定地変更の意向に合せて高岡駅への建設工事を中断し、黒田仮停車場において一時的に開業することとなった。その後、官設鉄道高岡駅の建設予定地が改めて射水郡下関村地内になることが決定したため、黒田仮停車場 - 高岡間は遅れて開業することとなったのである。開業当時の下関村は畑地や笹原が多く、人家は少ない地帯であったという。
- 5月1日:中越鉄道が高岡 - 伏木間鉄道敷設免許を受ける。
- 11月1日:官設鉄道北陸線 金沢駅 - 当駅間延伸開業に伴い、官設鉄道の駅が開設(一般駅)。
- 1899年(明治32年)3月20日:官設鉄道北陸線 当駅 - 富山駅間延伸開業に伴い、当駅が同線の途中駅となる。
- 1900年(明治33年)
- 12月13日:中越鉄道線当駅 - 伏木間が竣工する。
- 12月26日:中越鉄道が当駅 - 伏木間の運輸営業免許を受ける。
- 12月29日:中越鉄道伏木 - 当駅間延伸開業。
- 1909年(明治42年)
- 4月1日:中越鉄道が鉄道院総裁と官設高岡駅共同使用契約を締結する。
- 4月5日:中越鉄道高岡駅を廃止し、官設高岡駅の共同使用を開始する。
- 10月12日:国有鉄道線路名称制定により北陸本線の駅となる。高岡駅は北陸本線の所属駅となる。
- 1920年(大正9年)9月1日:中越鉄道が国有化され、伏木駅 - 城端駅間が国有鉄道中越線となる。当駅は国有鉄道単独駅となる。
- 1942年(昭和17年)8月1日:当駅を境に中越線の線路名称を改定。伏木駅 - 当駅間は氷見線に編入され、当駅 - 城端駅間は城端線に改称。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、高岡駅が日本国有鉄道(国鉄)に継承。
- 1961年(昭和36年)7月:駅前広場を整備し、また駅前ビルを建設する。
- 1963年(昭和38年)
- 9月15日:新高岡停留場を駅前広場に移転、路線長を0.1km短縮。
- 9月27日:北陸本線高岡 - 越中大門間が複線化。
- 10月:高岡市が株式会社鉄道会館に民衆駅建設調査を委託する。
- 12月:高岡市が民衆駅設置事務局を開設し、民衆駅建設計画立案業務を開始する。
- 1964年(昭和39年)
- 1月:高岡民衆駅建設推進委員会が設置され、民衆駅内開業予定の商業施設名を「高岡ステーションビル」と決定する。
- 8月24日:当駅含む金沢駅 - 富山操車場(現在の富山貨物駅)間が交流電化する。これに合せてホーム、跨線橋などを改築する。
- 1965年(昭和40年)
- 6月:高岡民衆駅建設が国鉄の承認を受ける。
- 9月:高岡民衆駅建設に着工する。
- 8月25日:北陸本線千保川信号場(廃止済) - 当駅間が複線化。
- 1966年(昭和41年)
- 11月12日:新駅舎での駅業務を開始する。
- 12月1日:駅舎が竣工し、竣工式を挙行する。地上3階に合せて地下1階を有し、1階に国鉄関係、2階に銘産品店等63店、3階に食堂街、地下1階に食品店および喫茶店など28店が入居する民衆駅であった。
- 1967年(昭和42年)10月16日:駅前地下道が開通する。
- 1969年(昭和44年)
- 11月30日:駅前地下道が完成する。
- 12月:「高岡ステーションビル」と「高岡駅前地下街」が開業。
- 1974年(昭和49年)10月1日:営業範囲を改正し、旅客、荷物および車扱貨物を取扱う駅となる。
- 1983年(昭和58年)3月1日:城端線全線において列車集中制御装置 (CTC) の使用を開始する。
- 1986年(昭和61年)11月1日:営業範囲を改正し、車扱貨物の取扱を廃する。また、荷物の取扱は爾後新聞紙のみとなる。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
- 1992年(平成4年)5月24日:南口駅舎が開設。
- 1999年(平成11年)
- 5月7日:北陸新幹線新駅設置問題をめぐり、高岡にて地元経済界による「現駅併設高岡市民会議」が発足し、北陸新幹線の当駅乗入れを訴える。
- 7月12日:第4回高岡市新幹線問題懇話会において高岡市長(当時)の佐藤孝志が、北陸新幹線の当駅乗入れを断念する旨を表明する。
- 7月14日:高岡市商工会議所が北陸新幹線の当駅乗入れを断念することを表明する。
- 2000年(平成12年)7月25日:高岡駅周辺整備計画策定委員会が、当駅駅舎を橋上駅となし南北を自由通路を以て接続する計画をまとめ、連続立体交差化を断念する。
- 2002年(平成14年)10月8日:高岡市が高岡駅周辺整備事業中間報告において高岡ステーションビルの取毀し、橋上駅及び歩行者専用南北自由通路の建設、万葉線の駅構内乗入れ等の具体案を公表する。
- 2005年(平成17年)3月1日:おりんの演奏による発車メロディ「越の高岡」の使用を開始する。
- 2007年(平成19年)10月13日:JR高岡駅の橋上化工事開始。
- 2009年(平成21年)12月12日:当駅橋上駅化事業第一段階たる南北連絡通路が竣工し、同月13日より南口仮駅舎の供用を開始する。
- 2011年(平成23年)
- 8月28日:橋上駅舎完成・供用開始。
- 12月31日:「高岡ステーションビル」と「高岡駅前地下街」の営業を終了。
- 2014年(平成26年)
- 3月29日:高岡駅ステーションビル「Curun TAKAOKA」開業。
- 6月1日:高岡駅地下街の全面供用を開始。
- 2015年(平成27年)
- 3月7日:新接近メロディを採用。
- 3月14日:北陸新幹線長野駅 - 金沢駅間延伸開業に伴い、当駅含む北陸本線倶利伽羅駅 - 市振駅間があいの風とやま鉄道に移管。あいの風とやま鉄道管轄によるJR西日本との共同使用駅となる。同時にJRの所属線を城端線に変更。
- 3月26日:あいの風とやま鉄道の駅でICカード「ICOCA」供用開始。
- 2016年(平成28年)2月27日:ICOCA対応の自動改札機を導入。
- 2017年(平成29年)
- 3月13日:あいの風とやま鉄道標準放送導入に伴い、新接近メロディ「ふるさとの空verB」を導入する。
- 4月15日:城端線の当駅 - 新高岡駅間において交通系ICカード「ICOCA」の利用が可能になる。
富山地方鉄道・加越能鉄道・万葉線
- 1944年(昭和19年)
- 3月3日:富山地方鉄道が高岡駅前 - 新湊間および米島口 - 伏木港間の軌道敷設特許を申請する。
- 11月5日:富山地方鉄道が高岡駅前 - 新湊間および米島口 - 伏木港間の軌道敷設特許を受ける。
- 1948年(昭和23年)
- 4月5日:富山地方鉄道高岡軌道線地鉄高岡 - 伏木港間が竣工する。
- 4月10日:富山地方鉄道高岡軌道線地鉄高岡 - 伏木港間開業。地鉄高岡停留場(ちてつたかおかていりゅうじょう)が開設。
- 1951年(昭和26年)
- 4月1日:高岡軌道線米島口 - 新湊間の開業に伴い、地鉄高岡 - 西町間において直通運転を開始する。
- 4月30日:地鉄高岡駅の改築工事が竣工。
- 1959年(昭和34年)4月1日:富山地方鉄道高岡軌道線地鉄高岡 - 伏木港間が加越能鉄道(現在の加越能バス)に譲渡。地鉄高岡停留場を新高岡停留場(しんたかおかていりゅうじょう)に改称。
- 1963年(昭和38年)9月15日:新高岡停留場を駅前広場に移転、路線長を0.1km短縮。
- 1979年(昭和54年):新高岡駅を高岡駅前停留場(たかおかえきまえていりゅうじょう)に改称。
- 1980年(昭和55年)12月6日:加越能鉄道高岡軌道線に「万葉線」の愛称が付けられる。
- 2002年(平成14年)4月1日:加越能鉄道高岡軌道線が万葉線に譲渡。高岡駅前停留場も同社に継承。
- 2014年(平成26年)3月29日:万葉線高岡軌道線の高岡駅前停留場が移転し、高岡駅停留場(たかおかえきていりゅうじょう)に改称。
橋上化工事
- 2007年(平成19年)10月13日より、JR高岡駅の橋上化工事が開始された。駅舎橋上化のほか、氷見線ホームの移設、万葉線高岡駅前停留場の移設および2面化、高岡ステーションビルの建替などが行われた。
- 2009年(平成21年)12月13日より、南口仮駅舎として新しい橋の部分供用が開始された。橋上駅は2011年(平成23年)8月28日に完成し、供用を開始した。自由通路は「万葉ロード」と命名され、これまでの北口・南口の呼称もそれぞれ「古城公園口」・「瑞龍寺口」と改められた。
- 2014年(平成26年)3月29日に高岡駅ステーションビル「Curun TAKAOKA」 がオープンおよびペデストリアンデッキが完成し、同年6月1日に高岡駅地下街の全面供用が開始された。
- なお、従来は駅の北側と南側を南北地下通路で結んでいたが、この橋上化に伴い「Curun TAKAOKA」開業と同時に地下通路は廃止され、現在は埋め戻されている。
- 南北地下通路には、高岡市伏木出身の洋画家・鶴谷登製作の「高岡御車山まつり」のタイルアートが内壁に設置されていたが、「Curun TAKAOKA」地下街の整備によりこれは同地下街の広場に移設されている。
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城端線ホームに入線する列車 |
氷見線ホームに入線する「忍者ハットリくん」列車 |
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