神岡鉄道 神岡線
(2005年12月1日廃止)
神岡鉄道 神岡線の概要
奥飛騨温泉口駅跡 駅舎は喫茶店になっています
神岡鉄道神岡線は、富山県富山市の猪谷駅から岐阜県飛騨市の奥飛騨温泉口駅を結ぶ鉄道路線でした。
1966年(昭和41年)10月6日に開業した全線単線非電化のローカル線ですが、全線の60%がトンネルとなっていて、「奥飛騨の地下鉄」と呼ばれていました。
神岡線は、旧国鉄の第1次特定地方交通線に指定されたため、1984年に三井金属や岐阜県が出資する神岡鉄道によって第三セクター線に転換されて存続しましたが、2006年(平成18年)12月1日に全線廃止されています。
神岡線廃止後、不定期の観光鉄道として2008年春を目処に運行再開(復活)させる計画が船坂飛騨市長から打ち出されていましたが、2008年(平成20年)2月の飛騨市長選での現職市長の敗退により神岡線復活の可能性はほぼなくなったと思われます。
神岡線は、もともと神岡鉱山から産出される亜鉛鉱石の輸送が目的の鉄道でした。
神岡鉱山へは、1922年に軌間762mm(後に610mm)の神岡軌道が猪谷-神岡町間23.9kmおよび鹿間-浅井田間8.2kmに敷設されていましたが、国鉄神岡線の開業により役割を終えて1967年(昭和42年)3月31日で廃止されています。
しかし国鉄神岡線が開業した時点では鉱石輸送で1日4往復の貨物列車を運行していましたが、既に鉱山の採掘は下降線をたどっていたことと、硫酸以外の輸送はトラック輸送に切り替えられたこともあり、貨物輸送はこれ以上増加する見込みはなく、貨物列車の運行が1日1往復に落ち込んでしまっていました。
神岡鉱山前駅跡 以前はここから貨物輸送があったのですが
旅客輸送に関しても過疎地である飛騨地方では期待はできないといえ、輸送密度は445人/km日と低いものでした。
そのため1981年(昭和56年)9月18日には廃線対象線区を意味する第1次特定地方交通線に指定されてしまいました。
しかし硫酸輸送は年間10万トンにもおよびこれをトラックで輸送するのは困難だったので神岡線存続が決定され、神岡鉄道が設立され、1984年(昭和59年)10月1日には第三セクター神岡線として開業しています。
旅客列車は、1日6往復から8往復に増便されて観光客を集客することも考慮されましたが、国鉄時代には高山本線経由で富山駅への直通列車があったのに、すべての列車が猪谷止まりとなったこと、国道41号線の整備が進んだことによるモータリゼーションの進展、飛騨地方の過疎化による人口減少などの悪条件が重なり、乗客数が大幅に減少しています。
また貨物輸送も伸びが見られない上に、濃硫酸を輸送するタンク車の老朽化が進み、更新もままならないことでついに貨物輸送を断念し、2004年には貨物輸送を廃止することを発表しています。
これにより2004年(平成16年)10月15日に貨物輸送が終了しています。残念ながら同時に神岡線の命運も尽きたと言って良いでしょう。神岡線にとって貨物輸送が収入の76.8%を占めていたので、それを失うことは路線存続も不可能になることを意味します。さらに旧国鉄からの転換交付金も底をつく見込みであることからついに神岡鉄道は神岡線を廃止することを決意します。廃線を打ち出した神岡鉄道に対して観光列車としての存続の提案もあったのですが、結局はまとまらなかったのです。
奥飛騨温泉口駅ホーム ここからマウンテンバイクが出ます
つまり観光列車としても神岡町にはこれといった観光資源があるわけではないこと、奥飛騨温泉郷へは、既に既存のバス路線があることなど、利益が見込めなかったのでしょう。
神岡線は、2006年(平成18年)12月1日に全線廃止となりましたが、鉄道設備は2009年現在もかなり維持されていて線路もほとんど撤去されていない模様です。
2006年(平成18年)9月に船坂勝美飛騨市長が定例市議会で、神岡線を不定期の観光鉄道として存続させる意向を表明し、各方面の注目を集めています。同年11月29日には、三井金属鉱業との間で存続に向けて15億円の寄付と軌道の無償譲渡を受けることで大筋合意しています。この15億円に関しては、三井金属鉱業の真意はわかりませんが、もし観光鉄道として再開して失敗しても、これ以上の責任は持ちかねますという意味かもしれません。元々神岡鉄道は三井金属鉱業が51%の株を保有していたわけですから、責任は最後まで持つべきではないかと思うのですが。しかしそれにしても15億円という金額は大きいですね。
15億円を撤去費用として使うのか再開費用として使うのか限定していないと考えれば、後は好きにしてくださいという意味でしょう。はっきり言えば船坂市長も危ない橋を渡ろうとするものですが、要するに飛騨市の過疎化を食い止めるためには鉄道を維持したいということが真意なのでしょうか。
さらに2007年(平成19年)1月10日には飛騨市神岡振興事務所内には神岡鉄道再開準備室を設けて、船坂市長は「2008年5月には神岡線を観光鉄道として再開させたい」と表明しており、設立してから5年後の黒字を目指すとしていました。
飛騨神岡駅ホーム跡 高架駅です
しかし一部の市議からは神岡線再開を危ぶむ声もあり、この時点でも先行きは不透明でした。
しかも2008年(平成20年)2月におこなわれた飛騨市長選挙で、現職の船坂市長は観光鉄道化を含めた現市政に批判的な井上久則候補に敗北しています。井上新市長は「15億円の寄付金は再開に向けての寄付金とは考えていない。レールや鉄橋は撤去する。」と表明していて、運行再開はきわめて困難な見通しとなっています。
ただしレールマウンテンバイクなど廃線跡の軌道を生かしたイベントが時々行われるため、奥飛騨温泉口駅-神岡鉱山前駅間のレールは維持される見通しです。
ここからは私見ですがもし神岡線が観光鉄道として再開したとしてどうなっていたのかという予測ですが、私の見るところこれを黒字化するのは極めて難しいことと考えます。不定期の観光鉄道と言っても設備を維持する費用がかかります。
つまり人員を確保して車両や路線を保守する必要があるので、それに見合った利益を上げるのは困難でしょう。
可能性としてはNPO法人を立ち上げてそれが担当するという線ですか・・・。
それともう一つこの路線は60%がトンネルで、実は景観としては必ずしも良くないのです。まあ、一部では神通峡の急峻な地形を見ることができるのですがそれほどの魅力があるのかどうかとなると・・・。とにかく本当にトンネルが多いのです。
最初は復活した神岡線とかいうフレーズで集客できるとは思いますが、いつまで続くかどうか。
失敗したときのダメージを考えると二の足を踏む意見が出るのも当然ですが、それでもやってみるのがいいのかどうか。
こういうことに良いアイディアを出すブレーンがいれば良いのですが。
奥飛騨温泉口駅
茂住駅駅舎はそのままです
飛騨神岡駅駅舎は現在も使用されています
漆山駅ホーム跡
飛騨中山駅ホーム跡
猪谷駅神岡線ホーム跡
神岡大橋駅ホーム跡
神岡大橋駅を通過するマウンテンバイク
神岡鉄道神岡線 路線データ
路線距離
19.9km
駅数
8駅(起終点駅含む)
軌間
1,067mm
複線区間
全線単線
電化区間
全線非電化
閉塞方式
スタフ閉塞式
開業年月日
1966年(昭和41年)10月6日
廃止年月日
2006年(平成18年)12月1日
使用車両
KM-101 KM-151 KMDD131
神岡鉄道神岡線 駅一覧
駅名
駅間
キロ
営業
キロ
接続路線
駅員
配置
交換
設備
所在地
猪谷駅
-
0.0
JR高山本線
|
富山県富山市
飛騨中山駅
2.3
2.3
|
岐阜県飛騨市
茂住駅
2.9
5.2
|
漆山駅
4.2
9.4
|
神岡鉱山前駅
7.5
16.9
○
◇
飛騨神岡駅
1.2
18.1
|
神岡大橋駅
1.0
19.1
|
奥飛騨温泉口駅
0.8
19.9
|
神岡鉄道神岡線 廃線跡探索レポート
今日は、神岡線の廃線跡を探索してレポートします。
この神岡鉄道神岡線は、2006年12月1日に廃線となっています。しかしレールや駅はほぼ現存していますので、廃線跡探索も比較的容易です。
飛騨中山駅ホーム
まずは、猪谷駅を出発して国道41号線を南下します。この路線は、ほぼ国道41号線に並行していますので、さらに探索は容易です。
最初の飛騨中山駅に到着しました。この駅は、無人駅で駅舎もない山間の小駅で、片面ホームとその上に待合所があるだけでした。
ホーム上には毘沙門天の木像をまつった祠が置かれていましたが、現在は撤去されています。
待合所も既に撤去されていて、現在はホームが残るのみです。ううむ、次に行きましょう。
次の茂住駅は、国道を挟んで神通川の向こうにあり、橋を渡ります。駅舎もありますし、ホームは本来は島式ホームだったのが、片側のレールが撤去されています。
ホームは長く上屋もあり、飛騨中山駅と同様に祠まであるのですが、さすがに中身は空になっていました。
さらに踏切も遮断機がカバーを被っているのですが、もちろん停車する必要はありません。
さらに国道に戻って次に進みます。
次の漆山駅は、山間の無人駅で駅舎もなく、待合所がホームにあるだけでしたが、これも撤去されていました。
ホームには寿老人の木像を奉った祠が設置されていましたが、廃駅になったために既に移設されています。次に進みます。
神岡鉱山前駅は、国道のすぐそばにあり、ホームは築堤の上にあり、駅前から地下道を通ってホームへ出ると駅舎があります。
廃駅になった後はシャッターが降りていてホームには入れません。残念でした。次に行きましょう。
茂住駅駅舎
次の飛騨神岡駅は高架駅となっていて、現在ではホームには入れないので、国道側からホームを展望してみました。
ホームには上屋があり、例の祠もありました。ここは駅舎も立派なものがあります。
次の神岡大橋駅は、神岡鉄道が神岡線を引き継いだときに新設された駅です。
無人駅で駅舎もなく、待合所と片面ホーム、それと弁財天の木像をまつった祠があるだけの駅です。
ただし、やはり待合室は撤去され、弁財天も既に移設されていました。ただ、キノコ型のトイレもありました。
さらにこの駅をマウンテンバイクが通過していきましたので、レールは健在でまだ生きているわけですね。
そして次は終点の奥飛騨温泉口駅に到着しました。
この駅は立派で大きな木造の駅舎があり、これは神岡鉄道に移管した時に新設されたものですが、旧駅舎も残っています。
かつては島式ホーム1面2線でしたが、末期には片側のレールが撤去され、片面のみが使われていたことが分かります。
当駅は無人駅でしたが、駅舎には自動券売機が設置されていました。
駅舎内には待合所のほか神岡鉄道本社があり、旅行センターも営業していたのですが後で廃止されています。
また旧駅舎では喫茶店が営業しています。また高山信用金庫神岡営業部釜崎出張所も置かれています。
ホーム上には布袋の木像をまつった祠が置かれていたのですが、やはり既に撤去されていました。
マウンテンバイクが通過します。
これで神岡鉄道神岡線の廃線跡探索は終了ですが、この神岡線の廃線は、飛騨市神岡町にとってもけっこう重大な出来事だったようで、廃線直後から観光路線としての復活を目指す動きが活発でした。これは他ではあまり見られないケースといえますが、結局現在まで実現の目途は立っていません。
ただ、現存しているレールを利用したレールマウンテンバイクによるイベントや列車を実際に走らせるイベントなども開催されていて、今なお鉄道維持に関する意欲がなくなってはいないことはうかがうことができます。
この神岡線は山間の地下鉄といえるほどにトンネルが多く、景観が良いとは言えないところがあるのと、神岡町自体の観光資源がこれといってあるわけではないので、観光路線としてはイマイチかなと思います。奥飛騨には温泉などの観光資源が豊富なのですが、そこまではバスなどの交通機関を利用する必要があり、それならば最初からバスで行った方が乗り換えもなくて済みます。
もっとも新幹線が富山まで通ったので、富山から直通列車がここまで来るのであれば勝機があるかもしれません。
あくまでこの路線が存続したのは硫酸を輸送するためのものであったことと、硫酸輸送用の貨車が老朽化して更新がままならないという状況で、トラック輸送に切り替える形でとどめを刺されたという解釈が正しいでしょう。
まあ、貨車の用意ができていればまだ存続していたのでしょうが、そこまでの意欲はなかったのでしょう。転換交付金も底をつきかけていたのでこれまでとなったわけです。ま、廃線にはこういうケースもあるということでしょう。
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神岡鉄道神岡線 路線マップ