とさでん交通御免線 知寄町二丁目停留場
知寄町二丁目(ちよりちょうにちょうめ
知寄町知寄町二丁目知寄町一丁目
所在地 高知県高知市知寄町二丁目
所属事業者 とさでん交通
所属路線 とさでん交通御免線
キロ程 9.3km(後免町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 千鳥式ホーム2面2線
開業年月日 1909年(明治42年)10月30日
知寄町二丁目停留場ホーム
知寄町二丁目停留場ホーム
600形電車 混雑
600形電車 混雑
知寄町二丁目停留場は、高知県高知市中知寄町二丁目にあるとさでん交通後免線の路面電車停留場です。
1929年(昭和4年)には停留場の南側に若松町車両工場が新設され、車体更新や自社製車両(200形・600形など)の製造を行っていました。この車両工場は1962年(昭和37年)、知寄町の車庫北側に東雲町車両工場が完成したのに伴い廃止されています。
当停留場の開業は1909年(明治42年)、とさでん交通の前身土佐電気鉄道によって後免線の下知停留場から葛島橋西詰停留場までの区間が開通したのに合わせて新地通停留場(しんちどおりていりゅうじょう)の名で開業しています。停留場名は1936年(昭和11年)に海岸通停留場(かいがんどおりていりゅうじょう)、その2年後に若松町通停留場(わかまつちょうどおりていりゅうじょう)と相次いで改称し、1957年(昭和32年)より現在の知寄町二丁目と称しています。
停留場が開業した2年後の1911年(明治44年)には、当停留場から南へ分岐し堀川の河畔へ至る路線、新地線が開通しています。新地線は当停留場の次が終点の新地停留場(のちに海岸通終点→若松町と改称)という総延長0.5 kmの短い路線でしたが、その短さもあって太平洋戦争下の1944年(昭和19年)に不要不急線として休止とされ、そのまま1954年(昭和29年)に廃止されています。
当停留場は後免線の併用軌道区間にあり、ホームは道路上に設置されています。ホームは2面あり、東西方向に伸びる2本の線路を挟み込むように配置されていますが、互いのホームは斜向かいにずれて位置しています。東にあるのが後免町方面行き、西にあるのがはりまや橋方面行きのホームとなっています。
新地線が分岐していたころは待合所があり、2階には乗務員の詰所を備えていました。


1909年(明治42年)10月30日 - 新地通停留場として開業。
1911年(明治44年)8月22日 - 新地線が新地通 - 新地間で開通。
1929年(昭和4年)8月30日 - 若松町車両工場を新設。
1936年(昭和11年)7月27日 - 海岸通停留場に改称。同時に新地停留場は海岸通終点停留場に改称。
1938年(昭和13年)2月1日 - 若松町通停留場に改称。同時に海岸通終点停留場は若松町停留場に改称。
1944年(昭和19年)7月15日 - 新地線が節電のため休止。
1954年(昭和29年)7月19日 - 新地線が廃止。
1957年(昭和32年)1月8日 - 知寄町二丁目停留場に改称。
1962年(昭和37年)8月24日 - 東雲町車両工場が完成し、若松町車両工場は廃止。
2014年(平成26年)10月1日 - 土佐電気鉄道が高知県交通・土佐電ドリームサービスと経営統合し、とさでん交通が発足[4]。とさでん交通の停留場となる。