JR北海道 早来駅
早来(はやきた)
室蘭本線   遠浅 早来 安平
所在地 北海道勇払郡安平町早来大町
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 室蘭本線
キロ程 158.3km(長万部起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員  不明
開業年月日 1894年(明治27年)8月1日
駅種別 簡易委託駅
早来駅
早来駅
駅名標 ホームと跨線橋
駅名標 ホームと跨線橋
待合所 キハ40形気動車
待合所 キハ40形気動車
跨線橋と駅舎 乗車券販売所
跨線橋と駅舎 乗車券販売所
早来駅(はやきたえき)は、北海道(胆振総合振興局)勇払郡安平町早来大町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線の駅。事務管理コードは▲130328。
かつては早来鉄道の分岐駅で、現在もあつまバスとしてバス運行がされる同区間との接続駅である。

歴史

  • 1894年(明治27年)8月1日:北海道炭礦鉄道室蘭線の苫小牧駅 - 追分駅間に新設開業。一般駅。
  • 1904年(明治37年)12月:三井物産合名会社が木材運搬用に当駅土場 - 知決辺(厚真村字チケッペ)間4M25C(約7 km)の馬車軌道敷設[4]。
  • 1906年(明治39年)10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、官設鉄道に移管。
  • 1909年(明治42年)10月12日:線路名を室蘭本線に制定、それに伴い同線の駅となる。
  • 1911年(明治44年):同年8月の皇太子(→大正天皇)北海道行慶にあたり、同年春より駅舎改築、ホーム有効長約55 m 延長、幅員約5.5 m拡大など、構内改築。
  • 1922年(大正11年)1月18日:早来軌道(後の早来鉄道、現・あつまバス)早来駅-知決辺駅(後の厚真駅)間開通(後に幌内駅まで延伸開通)。
  • 1951年(昭和26年)3月27日:早来鉄道線が全線廃止許可(早来駅 - 厚真駅間)。バスに転換。
  • 1979年(昭和54年)8月20日:構内で貨物列車の脱線事故。
  • 1980年(昭和55年)5月15日:貨物取扱い廃止。業務委託駅となる。
  • 1981年(昭和56年)11月2日:室蘭本線岩見沢駅 - 沼ノ端駅間CTC化に伴い、追分駅の被管理駅となる。
  • 1984年(昭和59年)
    • 2月1日:荷物取扱い廃止。
    • 4月1日:無人(簡易委託)化。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
  • 1989年(平成元年)12月18日:現駅舎(早来町物産館合築)竣工。

駅名の由来

所在地名(旧町名)より。由来については諸説ある。

アイヌ語説
現在の早来市街を流れる、アイヌ語で「チペㇱナイ(ci-pes-nay)」(我ら・下る・川)という川(現:トキサラマップ川)沿いが、現在の早来から厚真への道の中では比較的急坂のない道であり、別名として「サㇰルペㇱペ(sak-rupespe)」(夏・越える沢道)、あるいは「サㇰル(sak-ru)」(夏・道)と呼ばれていたものに字を当て「早来(さっくる)」と読ませたものが、「はやきた」となったとされる。
このほか「ハイキト(hai-ki-to)」(イラクサ・茅・〔のある〕沼)より、とする説があるが、「うなずけない(『北海道駅名の起源』)」「そのような地名の名づけ方はない(更科源蔵)」としている。

和名説
真偽は不明であるが、室蘭と岩見沢から建設工事が進められていた鉄道工事に、それぞれ2人の技師が携わっており、ある日一方が追分から、一方が苫小牧から前程を調査するために歩き、当地で偶然にも落ち合ったことに感激して、それぞれの進捗の早かりしことを願って名付けた地名である、とする逸話が伝わっている。
また、当地に入植した草分けとなった人物の一人である矢部留太郎は、次のように語っている。

わしがここへ来たころは、早来という地名はなかった。このへんのことを安平山と呼んでいた。停車場ができてから、早来といい出されるようになった。
— 矢部留太郎、『早来町史 本編』(1973) p.281

駅構造

相対式ホーム2面2線を有する複線区間の地上駅。
互いのホームは1番線ホーム北側と2番線ホーム北側を結んだ跨線橋で連絡している。跨線橋はコの字型である。
線路南東側の駅舎側ホームが上り1番線、対向側ホームが下り2番線となっている。
そのほか1993年(平成5年度)3月時点では、1番線の長万部方から分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線、2番線の長万部方から長万部方面へ戻る形で分岐する行き止まりの短い側線を1線有していた。
また、1983年(昭和58年)4月時点では、貨物列車の待避に使用された上下共用の中線を1線有していた。
追分駅管理の簡易委託駅となっている。
駅舎は構内の東側(岩見沢方面に向かって右手側)に位置し1番線ホーム中央部分に接している。
現駅舎1989年(平成元年)築で、「安平町物産館(旧:早来町物産館)」との合築である。

のりば

番線 路線 方向 行先
1 室蘭本線 上り 苫小牧・糸井方面
2 下り 追分・岩見沢方面


早来鉄道

早来駅
早来鉄道線   早来 中土場
所属事業者 早来鉄道
所属路線 早来鉄道線
キロ程 0.0 km(早来起点)
駅構造 地上駅
開業年月日 1922年(大正11年)1月18日
廃止年月日 1951年(昭和26年)3月27日
1904年(明治37年)早来および厚真において盛んに林業を営んでいた三井物産合名会社が鉄道枕木などの木材搬出を目的に、早来停車場より厚真村字チケッペまで4ml25ch(約7km)の同社専用の馬車鉄道を敷設した。翌1905年(明治38年)にはさらに1ml(約16km)を延長、軌道には馬車を通してに15万挺の鉄道枕木を早来停車場に搬出した。当時厚真地方は木材のほか農産物や木炭の産出も多く、これらの運搬を依頼するものも少なくないため、後に営業線の許可を得て、諸物資の運搬にも応じた。大正2年藤田組がこれを買収し、まもなく永谷仙松がこれを買収して経営に当った。
大正の中期にはこの地方の開発も次第に進められ人口も増えたが、従来ほとんど木材運搬専用軌道であったこの馬車鉄道を公開して、 一般貨客の運輸に役立て、一層地方の開発の助けになるとの議論が起こり、永谷仙松ほか10名により早来軌道敷設特許を出願。1920年(大正9年)12月3日、鉄道内務大臣よりその特許状が交付された。翌1921年(大正10年)には早来厚真間の既設軌道の改良工事を行い、その他諸般の準備を進め、9月8日に資本金30万円で早来軌道株式会社を創立し、馬車鉄道による一般旅客および貨物の輸送を開始した。同社の取締役には早来の志賀智が就任したが、1922年(大正11年)2月の臨時総会において志賀智は代表取締役を辞任し、永谷仙松が代わって代表取締役に就任した。
1926年(大正15年)10月には厚真軌道株式会社が設立され、厚真幌内間の軌道の経営に当ったが、 早来軌道と運輸系統を同じくするので、両者の対立は共に不利になるため、運輸の円滑、経費の節約を図る目的で、1929年(昭和4年)5月に早来軌道株式会社に併合した。
1949年(昭和24年)に軌道を廃止し、旅客はバス、貨物はトラックに切り替え、1951年(昭和26年)早来運輸株式会社と社名を変更した。

沿革

  • 1904年(明治37年)12月 - 三井物産合名会社により、早来駅 - 厚真村字チケッペ間 4M25C(約7km)の同社貨物専用馬車軌道が竣工。木材運搬に使用される。
  • 1905年(明治38年) - 約1.6km延長。
  • 時期不詳 - 沿線の要望により営業線の許可を受けて、農産物や木炭などの諸物資運搬に応ずる。
  • 1913年(大正2年) - 藤田組が買収。
  • 時期不詳 - 永谷仙松が買収し運営。周囲の人口増加に伴い一般貨客輸送の要望が起こる。
  • 1920年(大正9年)11月30日 - 永谷仙松他10名に対し早来軌道敷設許可。
  • 1921年(大正10年)
    • 既設軌道の改良工事実施。
    • 9月8日 - 資本金13万円にて早来軌道株式会社設立。
  • 1922年(大正11年)1月18日 - 早来軌道の路線、早来 - 知決辺(ちけっぺ・のちに「厚真」に改称)間が開業(軌道法による軌道線)。馬車による一般貨客輸送を行う。
  • 1926年(大正15年)
    • 5月10日 - 厚真軌道株式会社設立。
    • 9月4日 - 永谷仙松他7名に対し厚真軌道 6M60C 敷設許可。
  • 1927年(昭和2年)2月12日 - 厚真軌道が知決辺 - 幌内間に開業、馬力。
  • 1929年(昭和4年)5月20日 - 早来軌道が厚真軌道を吸収合併。
  • 1931年(昭和6年)- ガソリン機関車を4両導入。
  • 1944年(昭和19年)
    • 11月8日 - 早来軌道株式会社を早来鉄道株式会社に名称変更。
    • 11月18日 - 全線を軌道法による軌道線から地方鉄道法による鉄道線に変更許可。
  • 1948年(昭和23年)9月3日 - 厚真 - 幌内間が廃止。
  • 1951年(昭和26年)3月27日 - 早来 - 厚真間が廃止、全線廃止。

路線データ

  • 区間(営業キロ):早来 - 幌内間 18.6km
  • 駅数:7
  • 軌間:762mm
  • 複線区間:なし(全線単線)
  • 電化区間:なし(全線非電化)
  • 動力:内燃