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井田主馬ヶ城の説明板 |
井田主馬ヶ城(いだしゅめがじょう)は、富山県富山市八尾町井田にある山城です。現在は、富山市指定史跡となっています。
この井田主馬ヶ城は、南北朝期から天文年間(1532~1554年)の間にあった斎藤氏の城で井田館の詰め城とされています。
ただし、城自体はそれ以前からあり、平清盛一族の平盛俊(越中守)の父平盛国が治承4年(1180年)に築いたとも言われていて、明確ではありません。ただし、現在の遺構はどう考えても戦国期に構築されたものだと思います。
上杉方で城生城城主であった斎藤信和が天正11年(1583年)に佐々成政に追放される時点では廃城になっています。
実は現地を訪れてみると、完全に期待が裏切られました。しかも良い方にですね。つまり、現在も遺構が極めて良好に残されていて、しかも極めて技巧を凝らした造りになっているのが目を引きます。これだけの遺構が残されているとは思っていませんでした。この城へは自動車で行っても、説明板のある地点から徒歩になり、しかも700m歩けとあります。
さらには最初はけっこう急な山道でしばらくすると緩やかな遊歩道という感じになりますが、途中に大きな堀切があり、狭い土橋を渡らないといけないようになっていて、ここを狙い撃ちされたらと思うと、たいへん怖い地点です。さらに進むといよいよ城へと侵攻しますが、そこには外堀がありしかも土塁で守られていて、厳重な防備が施されています。現在は堀と土橋の高低差が小さくなっていますが、おそらくは当時はもっと高低差が大きかったのでしょう。外堀を突破するとさらに土塁に囲まれた郭があり、内堀が巡らされていてここを突破するとようやく主郭に入れます。
主郭は最高地点に当たる狭い削平地ですが、実際にはここは櫓台となっていたようです。他の郭も細長く、削平も不十分なので、やはりこの城は完全な詰めの城となっていて、城主が常時滞在するような造りではないことが伺えます。
ここからさらに下に降りると櫓台があり、先に進むと郭があります。主郭の周りにも郭がありますが、どちらかというと腰曲輪のような細長い郭です。そこには畝状竪堀群が現在も残っていて、いったいこの城は誰が改修したのか気になるところです。
全体的に遺構が良好に残されていて見所はすごく多い城ですが、徒歩で歩く距離が結構あるのがやや難点か。
それと空堀と土橋の遺構がやや消えかかっているので、ここを改修して高低差をつけておいて欲しいと思いました。
例えば城生城や富崎城のように空堀が現在でも深く残っている山城が近くにあるのでなおさらそう感じるのかもしれません。
斉藤氏の詰め城ということになっていますが、城生城と比べると、こちらの方が攻めるのが難しいかも知れません。
ただし、空堀に関しては城生城の方が深く広い堀を持っています。
山城ファンの人はこの城はぜひ訪れてみるとよいでしょう。
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井田主馬ヶ城への入り口 |
途中の堀切と土橋 |
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外堀跡の案内板 |
外堀跡 |
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外堀跡を通る土橋跡と土塁 |
B郭 |
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土塁跡 |
土塁で大手道が曲がりくねっている様子がわかります |
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内堀跡の案内板 |
内堀跡 |
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主郭は櫓台と思われます |
主郭には案内板と縄張り図があります |
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主郭の裏手はかなり急です |
櫓台が主郭の裏手にありました |
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竪堀 |
主馬ヶ城鳥瞰図 |
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住所 |
富山県富山市八尾町井田 |
形式 |
輪郭式+連郭式山城 (標高174m/比高110m) |
遺構 |
郭 土塁 空堀 畝状竪堀 堀切 虎口 |
築城者 |
平盛国 斉藤氏 |
施設 |
説明板 |
城主 |
平盛国 斉藤氏 |
駐車場 |
なし |
築城年 |
治承4年(1180年)または南北朝期 |
文化財 |
富山市指定史跡 |
廃城年 |
天正11年(1583年)以前 |
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