史跡 大村城跡
大村城の概要
大村城説明板
大村城説明板
大村城は、富山県富山市海岸通にある平城です。
城域は約10500m2にも及び、居館としてはかなり広大なものですが、その外側にも城があった形跡があるということで調査によりさらに城域が広がる可能性があるとのことです。
この地は城の北を浜街道(旧北国街道)が通り、また水運、海運も栄えた交通の要衝でした。
現在では遺構として土塁と堀が残っていますが、瑞円寺と墓地になっていて、イマイチ遺構が判然としません。
永正年間(1504年 - 1520年)に越中国の国人領主であった轡田氏によって築かれたといわれていますが、詳細は不明です。
轡田氏は恐らくは越中国太田荘轡田(現富山県富山市婦中町上轡田・下轡田辺り)出身の豪族と思われますが、詳しいことは何もわかっていません。近くにある日方江城も轡田氏の支城であると考えられています。
天正6年(1578年)に上杉方の越中国松倉城主河田長親に攻められて落城し、大村城主轡田豊後守雅正は城を枕に討死したと言われています。雅正を含む轡田方の戦死者は瑞円寺の北に在る「精霊塚」に葬られたと伝えられています。河田長親は大村城を攻める際に、城内を監視するために付近の神社に見張り台を造るために、住民に「土を持ってきた者にはそうけ一杯につき三文与える」とお触れを出したので住民はこぞって土を持って来たと言われています。その結果、一夜で巨大な丘が出来たと言われています。これにより物見台が出来上がり、大村城は落城しました。この塚は現在でも残っており、「そうけ塚(又は三文塚)」と呼ばれています。
轡田氏は、富山県富山市婦中町下轡田に浄福寺を開いたと言われていて、浄福寺に在る陣鐘は轡田氏が陣中で使っていたものであるとも言われていますが、事実かどうかは不明です。
いずれにしても大村城は落城を以って廃城となったと思われます。
大村城跡は瑞円寺と墓地になっています 瑞円寺正門
大村城跡は瑞円寺と墓地になっています 瑞円寺正門
大村城跡
住所 富山県富山市海岸通 形式 平城
遺構 土塁 堀 築城者 轡田氏
施設 説明板 城主 轡田氏
駐車場 なし 築城年 永正年間(1504年 - 1520年)
文化財 なし 廃城年 天正6年(1578年)
史跡 大村城跡マップ