| 竹浦(たけうら) |
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| 所在地 |
北海道白老郡白老町字竹浦(メップ) |
| 駅番号 |
○H26 |
| 所属事業者 |
北海道旅客鉄道(JR北海道) |
| 所属路線 |
■室蘭本線 |
| キロ程 |
102.9km(長万部起点) |
| 駅構造 |
地上駅 |
| ホーム |
2面3線 |
| 乗車人員 |
86人/日(2014年) |
| 開業年月日 |
1897年(明治30年)2月16日 |
| 駅種別 |
無人駅 |
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| 竹浦駅 |
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む |
| 駅名標 |
待合所 |
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| ホームと跨線橋 |
駅舎 |
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| H100形気動車 |
キハ143形気動車 |
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竹浦駅(たけうらえき)は、北海道白老郡白老町字竹浦にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線の駅である。
駅番号はH26。電報略号はタケ。事務管理コードは▲130319。
歴史
- 1897年(明治30年)2月16日:北海道炭礦鉄道の敷生駅(しきう)として開業。一般駅。
- 1906年(明治39年)
- 3月20日:火災により駅舎全焼。駅事務所にあるストーブから火の粉が屋根に飛び散ったことが原因であった。
- 10月1日:北海道炭礦鉄道の鉄道路線国有化により、官設鉄道に移管。
- 1917年(大正6年):当駅より飛生川の合流点を越えて敷生川上流の砂利場へ砂利専用線敷設。
- 1918年(大正7年)10月31日:北海道製鉄(後に日本製鋼所)敷生鉱山専用線が砂利専用線の敷生川と飛生川合流地点付近から分岐して飛生の架空索道原動所(「終点」と呼ばれた。)まで敷設(当駅からは4M24C、約6.9km)。輪西製鉄所向け鉄鉱石運搬。
- 1920年(大正9年):日本製鋼所敷生鉱山休山により国鉄は鉱山専用線の公用を廃止。その後専用線は個人に貸し出して木材や木炭の運搬に使用された。
- 1931年(昭和6年)頃:旧鉱山専用線が分岐点まで撤去され、砂利専用線だけとなる。
- 1942年(昭和17年)4月1日:竹浦駅に改称。
- 1944年(昭和19年)8月12日:砂利専用線使用廃止。
- 1950年(昭和25年)頃:砂利専用線撤去。
- 1954年(昭和29年)10月:駅舎改築。
- 1972年(昭和47年)3月15日:貨物取扱い廃止。
- 1980年(昭和55年)
- 4月5日:跨線橋設置。
- 5月15日:簡易委託化[8]。
- 1985年(昭和60年)5月15日:荷物取扱い廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化によりJR北海道に承継。
- 2007年(平成19年)6月1日:簡易委託廃止。無人駅となる。
駅名の由来
同地はもともとアイヌ語で「シキウ」あるいは「シキオイ」(いずれも「鬼カヤの群生する(ところ)」)と呼ばれ、1880年(明治13年)には「敷生村」が設置され、当初は駅名もこれを採用した。
その後、敷生村は合併により白老村(白老町の前身)となり、敷生の名称は字名として用いられていたが、1939年(昭和14年)2月の字名改正で「ごろが悪い」ため「竹浦」に改称され、1942年(昭和17年)4月1日に駅名もこの名称となった。
なお「竹浦」の名称についてはいくつか由来が紹介されている。
- 1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』では「この地が海岸にあり、かつ背後の山から竹を多く産する」としての命名としている。
- 山田秀三は現在の敷生川の奥の支流に「トピウ(竹・多い)」という場所があることから、ここからの命名ではないかと推察している。
- 知里真志保は「トㇷ゚エウㇱイ(top-e-us-i)」(竹が・そこに・群生している・ところ)から、としている。
駅構造
混合ホーム2面3線の地上駅。配線の関係から下り列車のみ待避可能である。1983年ごろは上り線と下り副本線の間に上り副本線が存在した。
無人駅である。2007年5月31日までは簡易委託駅(窓口営業時間6時00分 - 16時00分)であった。
上り線と下り線のホームを結ぶ跨線橋は、国鉄の赤字削減案に対する白老町の要望から社台駅と共に昭和55年に新設設置され、駅前・駅裏を結ぶ陸橋と併用する構造となった。
駅舎は上り線ホーム側にある。かつては、駅前に日本通運の営業所があり夜行の貨物も扱っていたため、宿直室も備えた比較的大きなものであったが、火災で一部損傷し現在の小さなものに変わった。
また、下り線ホーム上に木造の小さな待合室があったが、現在は撤去されている。
のりば
| 番線 |
路線 |
方向 |
行先 |
| 1 |
■室蘭本線 |
上り |
東室蘭・室蘭方面 |
| 2・3 |
下り |
苫小牧・札幌方面 |
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