富山地方鉄道射水線の八ヶ山駅は、1924年(大正13年)10月12日に開業しています。
このとき富山北口-四方間が開通し、射水線が始めて開業しています。
しかし、1980年(昭和55年)4月1日には射水線が全線廃止となり、八ヶ山駅も廃駅となっています。
現在の八ヶ山駅跡付近の路線は、バス専用道となっていて、八ヶ山駅の上屋がバス停の待合所となっています。
また反対側のホーム跡から築堤への階段があり、その上に駅舎があったのですが、これは既に跡形もなくなっています。
この待合所となっている上屋は、射水線の最大の遺構と言えます。
しかしバス停として本当に使われているのか疑問を持つほど寂れていて、バスの本数も朝だけの6本というのはどうなっているのでしょうか。つまり富山地方鉄道は鉄道路線の維持に関しては熱心ですが、バス路線に対しては極めて冷淡なのでしょうか。
駅構造
廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。
ホームは線路の西側(新港東口方面に向かって左手側、旧下り線)に存在した。
かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。
駅舎側ホーム(西側)が下り線、対向側ホーム(東側)が上り線となっていた。
使われなくなった旧上り線は、交換設備運用廃止後も側線として旧ホームと共に残存していた。
業務委託駅となっていた。駅舎は構内の西側に位置し、築堤上にあるためにホームまでは屋根付きのコンクリート製の階段を下りる形で連絡した。
三角屋根を持つ洋館風の駅舎であった。ホームは掘割式で旧上り線側ホームに待合所代わりの上屋を有した。
昭和30年代まで、附近の八ヶ山に「八ヶ山遊園」が営業しており、行楽シーズンなどには当駅発着の臨時列車も運行されたことがあったという。南方には富山ヘルスセンターがあり、学校の遠足などでもよく利用された。
駅の北、八町方には変電所が存在した。
駅跡
附近の線路跡は富山地鉄バス専用道路となっており、当駅附近が富山方面への入口となっている。
この専用道路は鉄道時代の面影を良く残していた。
1997年(平成9年)時点ではホームは路盤部分が盛り土された形で残存し、旧上り線側ホームの上屋はバス用に転用されている。駅舎は撤去されたが(時期不詳)、ホームから駅舎への階段は残存し(ただし屋根は撤去された)使用されていた。
2006年(平成18年)5月時点でも同様で、駅舎跡の改札口も確認できた。
2010年(平成22年)時点でも同様であった。
2018年(平成30年)時点では駅舎は撤去されたものの、2010年(平成22年)同様改札口は確認できた
駅の北方にあった変電所は1997年(平成9年)時点では残存していたが、その後2006年(平成18年)5月から2008年(平成20年)の間までに解体された。
当駅の屋根付きの待合所は廃止後バスの待合所に転換されたのち2017年頃に解体された。
歴史
- 1924年(大正13年)10月12日:越中電気軌道富山北口駅 - 四方駅間開通に伴い御廟口駅(ごびょうくちえき)(初代)として開業。新富山駅起点2.1
km地点。
- 1927年(昭和2年)2月13日:鉄道会社名を越中鉄道に改称。それに伴い同鉄道の駅となる。
- 1929年(昭和4年)6月15日:御廟口駅(初代)廃止。0.7 km四方方に移設の上御廟口駅(2代目)再開業(新富山駅起点2.8 km地点)。
- 1929年(昭和4年)- 1930年(昭和5年)頃:八ヶ山駅に改称。累計キロを新富山駅起点2.7 kmに変更。
- 1943年(昭和18年)1月1日:交通統合に伴い富山地方鉄道射水線の駅となる。
- 1974年(昭和49年)4月5日:交換設備廃止。
- 時期不詳:業務委託化。
- 1980年(昭和55年)4月1日:射水線の廃線に伴い廃止となる。
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