広島電鉄本線 紙屋町停留場
紙屋町(かみやちょう)
本線 立町 紙屋
町東
紙屋
町西
原爆ドーム前
宇品線 本通
所在地 広島県広島市中区基町
所属事業者 広島電鉄
駅番号 M9
所属路線 本線
キロ程 2.1km(広島駅起点)
所属路線 宇品線
キロ程 0.0km(紙屋町起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線(紙屋町東) 2面2線(紙屋町西)
乗降人員 16,450人/日(2019年)
開業年月日 1912年(大正元年)11月23日
紙屋町停留場
紙屋町停留場
3950形電車 1000形電車
3950形電車 1000形電車
1000形電車
1000形電車
紙屋町停留場は、広島県広島市中区基町にある広島電鉄の路面電車停留場です。駅番号はM9。
当停留所は、広島駅前から広島市の中心街を経由し広電西広島駅までを結ぶ本線と、広島市の中心街から南へ伸び広島港までを結ぶ宇品線の2路線が接続します停留場で、このうち宇品線は当停留場を起点とします。
当停留場は広島市の幹線道路である相生通りと鯉城通りが交差する紙屋町交差点に置かれ、繁華街のただなかに位置します。交差点の東西に乗り場をそれぞれ有し、東側の乗り場には「紙屋町東(停留場)」、西側の乗り場には「紙屋町西(停留場)」という別々の停留場名が与えられています。これらはあくまで旅客案内上の呼称であり、正式には紙屋町停留場という一つの停留場である。営業キロ上でも同一の停留場であり、駅番号も同じ「M9」が与えられています。
開業は1912年(大正元年)11月23日のことで本線の広島駅前 - 櫓下間と宇品線の紙屋町 - 御幸橋間が開業、広島駅前 - 紙屋町 - 御幸橋の区間で開業したのに合わせて当停留場が開業しています。
元々は旅客案内上でも両方の乗り場を合わせて「紙屋町」と称していた(本線を東西に走る2、6系統では最初を「紙屋町」次を「続いて紙屋町」と案内していた)2001年(平成13年)11月1日より東西の乗り場を「紙屋町東」と「紙屋町西」に呼び分ける措置がとられています。
広島電鉄が定める乗換え指定電停の一つであり、当停留場で行先の異なる電車どうしを乗り継ぐことができる。乗り換えの際は紙屋町東・紙屋町西の両停留場に加えて、南隣にある宇品線の本通停留場も同一の停留場として扱われ、これらを相互に移動しますことができる。
5100形電車
5100形電車
1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により広島電鉄の市内線は被害を受けるが、本線は己斐方面から順次復旧し、同年9月には当停留場から紙屋町方面が、10月には広島駅方面も運行を再開しました。
一方の白島線は戦後に新しく建設された白島通りへと路線が移設され、1952年(昭和27年)に運行を再開しています。
当停留場の白島線ホームもこのとき100メートル東へ移設され、それまでの線路は廃止されました。
紙屋町停留場に乗り入れています本線と宇品線の2路線は1912年(大正元年)11月23日に同時に開通し、当停留場もこの日に開設された[6]。本線についてはこの時すでに当停留場から先、櫓下までの区間も路線は竣工していたが、トラブルもあってこの区間が実際に営業を開始したのは2週間後の12月8日のことである。開業当初は本線と宇品線の線路が形作るデルタ線の内側、交差点の中央に乗り場が設けられ、鉄道信号機やポイントを操作しますための詰所も備え付けられていた。
1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により広島電鉄の市内線は全線不通となったが、本線は己斐方面から順次復旧し、同年9月には紙屋町でも運行を再開した。宇品線もこれに次いで運行を再開し、翌年には紙屋町交差点のポイントが接続され両線での直通運転が再開されています。停留場名は開業以来「紙屋町」として案内されてきたが、2001年(平成13年)11月1日に広島電鉄の他の停留場名の変更に合わせて「紙屋町東」・「紙屋町西」と東西で呼び名が分けられた。
広島電鉄の市内線はほぼすべての区間で道路上に軌道が敷かれた併用軌道であり、当停留場も紙屋町交差点の上に軌道が敷かれています。交差点から東西方向に本線が、南方向に宇品線が通じ、2つの路線はこの3方向を相互に結びデルタ線を形成します。ホームは低床式で交差点の東西にそれぞれ2面ずつ設けられ、東西方向に伸びる本線の2本の線路を挟み込むように向かい合わせに配置されています(相対式ホーム)。東にある2面が紙屋町東停留場、西にある2面が紙屋町西停留場のホームで、どちらも線路の南側が広電西広島駅方面の下りホーム、北側が広島駅方面の上りホームである。
紙屋町交差点での信号待ちに対応できるように路面電車の停留場としてはホームが非常に長く、宮島線に直通します3両連接車が2編成同時に乗降客扱いを行うことが可能。そのほぼ全長にわたって上屋が備え付けられています。上屋は1988年(昭和63年)4月に取り付けられた。東西の乗り場は紙屋町シャレオを介して地下で連絡していて、地下へ下りる階段はそれぞれの乗り場の交差点寄りに設けられています。かつては紙屋町交差点に設けられていた横断歩道で連絡していたが、横断歩道は紙屋町シャレオの開業に伴い2001年(平成13年)4月に廃止された。通常は無人駅であるが、紙屋町西に関しては平日朝や休日多客時などには停留場に出札係員が待機しており、電車到着時に移動式カードリーダーを用いた運賃収受・集札業務を行う。
停留場のポイントは自動進路制御装置(ARC)によって制御されています(一般的に、路面電車は架線にあるポイントの切替装置にパンタグラフを当ててポイントを切り替えていますが、当停留場は行き先の異なる電車が数多く通行し、従来の方法だと運行障害が発生する可能性があるため)。ARCは1998年(平成10年)に導入され、それまでは信号所(「鳥の巣」という通称があった)によりポイント操作が行われていた。

運行系統

紙屋町東停留場
下りホーム   1 広島港ゆき
2 広電宮島口ゆき
2 広電西広島ゆき(時刻表未掲載であるが、臨時便として状況に応じて運転される。)
6・9 江波ゆき
0 広電本社前ゆき(1日3本のみ) 
0 日赤病院前ゆき(平日の朝に千田車庫への入庫目的で2本運転される。) 
上りホーム  1・2・6 広島駅ゆき
9 白島ゆき 1日3本(土曜・休日2本)のみ

紙屋町西停留場
下りホーム   2 広電宮島口ゆき
3 広電西広島ゆき
6・9 江波ゆき
7 横川駅ゆき
上りホーム     2・6 広島駅ゆき
3 白島ゆき 1日3本(土曜・休日2本)のみ
0・7 広電本社前ゆき 
9 白島ゆき( 1日3本(土曜・休日2本)のみ) 
0 日赤病院前ゆき( 平日1日2本、土休日1本のみ) 


1912年(大正元年)11月23日 - 本線の広島駅前 - 櫓下間と宇品線の紙屋町 - 御幸橋間が竣工。広島駅前 - 紙屋町 - 御幸橋の区間で開通したのに合わせて紙屋町停留場として開業。
             12月8日 - 路線が竣工したのみで営業を開始していなかった本線の紙屋町 - 櫓下間が営業を開始。己斐まで路線が開通。
1945年(昭和20年)8月6日 - 原爆投下により休止。
             9月7日 - 当停留場を含む本線の左官町 - 八丁堀間が復旧。
             9月12日 - 宇品線の紙屋町 - 電鉄前間が復旧。
1946年(昭和21年)1月7日 - 本線と宇品線の直通運転を再開。
時期不詳 - 交差点の中央にあった電車のりばが交差点東西に移設される。
2001年(平成13年)11月1日 - 紙屋町停留場のうち東側を「紙屋町東停留場」、西側を「紙屋町西停留場」にそれぞれ改称。
2003年(平成15年)4月20日 - 乗換え指定電停となる。