喜多方駅(きたかたえき)は、福島県喜多方市町田下(まちだした)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)磐越西線の駅である。
2024年5月17日付けでの会津若松駅から当駅間の電化廃止までは、郡山駅からの交流電化区間は当駅までで、新津駅方面は非電化区間となっていた。また、郡山駅から当駅までの各駅の管轄は東日本旅客鉄道福島事業本部であり、当駅以西は同社の新潟事業本部に変わる(2026年6月までは郡山駅から当駅までの各駅の管轄は同社の東北本部〈旧仙台支社〉、当駅以西は同社の新潟支社であった)。かつては日中線が接続していた。
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| AIZUマウントエクスプレス |
C57 180牽引快速「SLばんえつ物語号」 |
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| 待合室 |
駅名標 |
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| 出札窓口 |
跨線橋 |
歴史
駅開設当時、所在地が喜多方村であったことが駅名の由来となっている。その後の合併により喜多方の地名は消えて、駅名にその名残を残すこととなった。
1934年(昭和9年)に、気動車が会津地方に投入されて短区間で運転されるようになり、これに伴ってバスへの対抗を兼ねて駅を増設することになり、設置された駅である。
この関係で長距離を運行する列車は通過し、区間運転の列車のみが停車する駅である。
同様の駅は、戦時中の石油消費規制により気動車が一度廃止された際に一緒に廃止になったり、存続したものでも戦後の運行形態の変化により全列車が停車する通常の駅に変化したりしたが、会津若松
- 喜多方間には当初の運行形態のまま、一部の列車のみが停車する駅が残存している。
年表
- 1904年(明治37年)1月20日:岩越鉄道・若松駅 - 当駅間開業の際に開設。
- 1906年(明治39年)11月1日:岩越鉄道が国有化。
- 1910年(明治43年)12月15日:岩越線・当駅 - 山都駅間が延伸開業。
- 1938年(昭和13年)8月18日:日中線・当駅 - 熱塩駅間が開業し全通。
- 1947年(昭和22年)8月18日:昭和天皇の戦後巡幸があり、お召し列車が福島駅発 - 喜多方駅着で運転。
- 1958年(昭和33年)8月2日:駅舎を改築。改築費全額分の利用債を地元が負担した。
- 1972年(昭和47年)9月1日:自動券売機を設置。
- 1984年(昭和59年)4月1日:日中線が全線廃止。
- 1985年(昭和60年)3月14日:荷物の扱いを廃止。
- 1986年(昭和61年)10月21日:貨物の取り扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。
- 2002年(平成14年):東北の駅百選に選定される。
- 2005年(平成17年)7月2日:駅舎を外壁をなまこ壁風、内装を木目調に改装。
- 2014年(平成26年)4月1日:会津若松方面でICカード「Suica」の利用が可能となる。
- 2017年(平成29年)10月1日:業務委託化。
- 2024年(令和6年)10月1日:会津若松方面でえきねっとQチケのサービスを開始。
- 2026年(令和8年)11月1日:新津方面でえきねっとQチケのサービスを開始。
駅構造
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅である。
互いのホームは跨線橋で結ぶ。
国鉄時代は1番線ホームの新潟側(現在の駐車場の部分)に切欠きの4番線があり、朝・晩に日中線の列車がここから発着していた。
また、転車台や給水塔などの設備も駅西側の日中線沿いに存在していた。
旧4番線ホームは現存しており、駅名標が残されているほか、一部の線路が保線基地に転用されている。
あいづ統括センター(会津若松駅)が管理し、JR東日本東北総合サービス(LiViT)が受託する業務委託駅である。
喜多方駅は新潟支社と東北本部の境界駅の機能を持ち、当駅から先の会津豊川方面が東北本部、山都から先が新潟支社の営業エリアである。業務委託化までは直営駅(駅長・助役配置)で、管理駅として、塩川駅、姥堂駅、会津豊川駅の3駅を管理していた。
コンクリートブロック造平屋建ての駅舎には、みどりの窓口、自動券売機のほか、簡易Suica改札機、待合室、自動販売機、トイレなどを置いている。このほか、テナントとして観光案内所(約30平方メートル)がある。
あいづ統括センター(会津若松駅)管理の無人駅である。
のりば
| 番線 |
路線 |
方向 |
行先 |
| 1・2 |
■磐越西線 |
下り |
野沢・新津方面 |
| 2・3 |
上り |
会津若松・郡山方面 |
- 3番線の線路は山都方の一部が撤去され、車止めがある。
- 最終列車は夜間滞泊せずに会津若松駅まで回送される。これは、翌朝に再度当駅まで送り込む運用となっているためである。
- 臨時快速列車「SLばんえつ物語」(新津駅 - 会津若松駅)が停車する。
- 鬼怒川温泉駅を始発とするAIZUマウントエクスプレス1号が会津若松駅から当駅まで延長運転をする場合がある。
| 日本国有鉄道・日中線 |
| 喜多方駅 |
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| 所属事業者 |
日本国有鉄道 |
| 所属路線 |
日中線 |
| キロ程 |
0.0km(喜多方起点) |
| 駅構造 |
地上駅(橋上駅) |
| 開業年月日 |
1938年(昭和13年)8月18日 |
| 廃止年月日 |
1984年(昭和59年)4月1日 |
日中線(にっちゅうせん)は、福島県喜多方市の喜多方駅から同県耶麻郡熱塩加納村(現・喜多方市)の熱塩駅までを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。
1980年(昭和55年)の日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)施行により第1次特定地方交通線に指定され、1984年(昭和59年)4月1日に全線廃止となった。
路線名は、終点である熱塩駅の北方にある日中温泉に由来する。
路線データ
- 管轄:日本国有鉄道
- 区間(営業キロ):喜多方駅 - 熱塩駅間 11.6 km
- 軌間:1,067 mm(狭軌)
- 駅数:5駅(起終点駅を含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 最大勾配: 25 ‰
歴史
改正鉄道敷設法別表第26号に規定する予定線「山形縣米澤ヨリ福島縣喜多方ニ至ル鐡道」の一部で、日光線・野岩線・会津線と結んで東北地方南部を縦貫する野岩羽線構想の一翼を担うはずであった。
1938年(昭和13年)に福島県側が開業したものの、典型的な閑散ローカル線であり、廃止時点で各駅に停車する1日3往復の客車列車が朝夕(朝1往復、夕方2往復)に運行されるのみで、「日中走らぬ日中線」「日中は走りま線」とも揶揄された。輸送密度は260人/日で、主に地元高校生の通学に使われ、熱塩温泉への宿泊客・湯治客の利用は少なかった。一例として、原武史は高校2年生だった1980年2月26日の夕方、クラスメイトと2人でローカル線旅行に出かけた際に乗車した時の回想として、車内を混み合わせていたのは地元の高校生たちで、熱塩駅に着くまでにほとんど降りてしまったと記している。
また、貨物輸送として、熱塩加納村にあった与内畑鉱山の石膏、加納鉱山の銀・銅鉱石を輸送する役割も担っていたが、1972年(昭和47年)に廃鉱となると貨物収入も減少していった。
本州では蒸気機関車による定期旅客列車の運転が最後となった線区でもあり、多くの鉄道ファンが詰めかけていた。なお、終点となる熱塩駅には転車台が設置されていたが、SLブームの頃には既に使われておらず、機関車は折り返し時に逆機となっていた。
年表
- 1938年(昭和13年)8月18日:喜多方駅 - 熱塩駅間 (11.6 km) が日中線として開業・全通。会津村松駅、上三宮駅、会津加納駅、熱塩駅を新設。1日6往復運行していた。
- 1957年(昭和32年)
- 7月1日:会津加納駅 - 熱塩駅間 (3.4 km) の貨物営業を廃止。
- 9月1日:会津加納駅 - 熱塩駅間の貨物営業を再開。
- 1964年(昭和39年)4月1日:会津加納駅 - 熱塩駅間の貨物営業を再度廃止。
- 1974年(昭和49年)
- 10月31日:蒸気機関車が最後の定期運行。
- 11月3日 - 10日:SLさよなら列車を会津若松駅 - 熱塩駅間で運転。
- 1981年(昭和56年)9月18日:第1次特定地方交通線として、廃止承認。
- 1983年(昭和58年)11月1日:喜多方駅 - 会津加納駅間 (8.2 km) の貨物営業を廃止。
- 1984年(昭和59年)
- 3月31日:「さようなら日中線号」がDE10+客車4両+DE10編成でプッシュプル運転。
- 4月1日:全線 (11.6 km) を廃止し、会津乗合自動車のバス路線へ転換。
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