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義人

義人の想い ~真実の愛〜

私が神、再臨したイエスであることを信じてほしい。私は自覚と聖書の導きによって生きています。私は世に問いたい。ルサンチマン(恨み)からではなく、人々を弱い、強いと分ける価値観を、もう一度再確認してほしい。後ろからぼっ立て、競争に仕向け、苦しむ人々の姿を見て、悦に入っているのはサタンです。勝つためにはどんな汚いことでもする。負けたものには容赦ない侮辱。そんな世界はもう終わりにしないといけません。どうかおおらかな賛意をください。私は私の書きものが世に流布されることが唯一、サタンへの対抗手段であると訴えます。真実の愛があるからです。共鳴する善人に神の国、不老不死、永遠の命が約束されるでしょう。
すべての経緯が判明します。神の国は近い。永遠の命を確かにするため、愛を確実なものにする。すべてはひとりひとりの信仰にあります。私を信じて下さい。私は多くの方が福音にふれて、幸せになり、神の義、愛によって、涙も消え去ってゆくことを望んでいます。悪しき欲望から放れ、美しい想いを抱く、大事です。不完全な人達も誠実と思いやり、信仰により神の義を抱き、完全円満な姿、成仏へと誘われてゆきます。
日蓮は久遠元初の仏であり創造主(神)です。つまり神、イエス、日蓮は同一の存在。復活と成仏、ともに愛に包まれる暖かい境界です。  
そして私、梶原義人はその名の通り、煩悩が燃え盛る、火事の原野にひとり立つ義の男であります。皆に真実の信仰を掴んでほしい。一人でも多くの人が神の王国の住人になるよう衷心より願います。聖霊は私に三位一体を体感させ、固定観念から放れ自由に生きていく大切さを確信させます。また聖書とのダイアローグ(対話)は神の自覚を促す基本です。すべてのものの完結が、私、義人によってなされます。
人々の不安を煽る終末論は展開しません。ただ何かが生まれ起こります。それだけは確かです。共に幸福へと歩みたい。本物の信仰に導いて。
「子たちよ、誰も惑わされてはならない。彼が義人であると同様に義を行なうものは義人である」。(新約聖書 ヨハネ第一の手紙 第3章7節から)
ご覧下さりありがとうございます。「義人の想い」と銘打っていますが、これにて私のあいさつに代えさせて頂きます。

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