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頭川城登城口 |
頭川城は、富山県高岡市頭川にある中世山城です。
この頭川城の歴史的な背景はほとんど不明ですが、二宮円阿軍忠状によると、貞治2年(1363年)、当時越中国守護であった斯波義将が配下の二宮円阿に「鴨城衆」を命じて「頭高城」を攻めさせ、これを焼き払ったとあります。斯波義将は、当時南朝方であった桃井氏と抗争を繰り広げていて、桃井氏側の城を攻撃したと考えられます。そしてここでいう「頭高城」が実は頭川城の事ではないかと考えられています。ここでもその説に従っておきます。その根拠として鴨城と頭川城の位置関係から考えても4kmほどしか離れておらず、ここ以外にそれらしい名前の城が見あたらないことを考えると充分妥当な説と思います。
この頭川城は、安居山古墳を利用して築城されています。
標高48mの比較的切り立った丘の上に古墳があり、それをそのまま櫓台や土塁として利用しているという罰当たりな城です。
登城口は、古墳を示す石碑の裏手からになりますが、けっこう急峻な地形ですので、山城初心者の方は注意が必要です。登っていく道筋はちゃんと残っているのですが、帯曲輪のような地形にたどり着くと道筋が消えてしまいます。その際には右後方に進んで丘の東側から回り込むように主郭を目指せばそれほどきつくないでしょう。いずれにしても城の説明板などは全くないし、古墳関係の説明板もなく、目印は古墳の石碑だけです。
この城の特徴として、主郭がいくつかの土塁(古墳)と小規模な堀切で仕切られていることと西側につながる山腹の途中に深い堀切を持っていて、遮られている点でしょう。
この堀切の西側にも曲輪があったのかも知れませんが、西側の山側から攻めるのはかなり困難ですし、そこにも砦くらい作っていたのかも知れません。
城としては、単純な造りで特別な仕掛けも見あたらず、古墳を利用して急ごしらえしたという感じで、とても戦国期に使用できるような城ではないし、戦国期に改修されたという様子も見あたらないことから、南北朝期に廃城になっていると思われます。
いずれにしてもどちらかというと陣城として一時的に使用しただけの城ではないかと想像します。ですからもしかすると落城とともに廃城となっているのかも知れません。
築城者及び築城時期も不明ですが、貞治2年(1363年)に斯波氏に攻め落とされているので、築城時期はそれ以前となります。
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ここを登っていくのですが |
竪堀らしいですが |
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登城道 |
このあたりはちゃんと道がわかります |
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この写真の右端を進んでください |
主郭に着くと土塁がありますが実は古墳です |
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主郭には4つもの土塁があります |
古墳を利用した土塁ですね |
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さらに西へと進みます |
曲輪は細長い地形です |
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堀切がありました |
堀切を降りるとこんな様子です |
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堀切は深く幅も広いのです |
ここが西側の山の斜面です |
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住所 |
富山県高岡市頭川 |
形式 |
連郭式丘城 (標高48m/比高35m) |
遺構 |
郭 土塁 櫓台 堀切 |
築城者 |
不明 |
施設 |
なし |
城主 |
桃井氏 |
駐車場 |
なし |
築城年 |
南北朝期(貞治2年(1363年)以前) |
文化財 |
なし |
廃城年 |
南北朝期 |
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