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上見城主郭跡 |
上見城は、富山県南砺市上見にあった山城です。
南砺市指定史跡となっています。
この城がいつ築城されたのかは不明ですが、大江山の酒呑童子退治で有名な渡辺綱の子孫で南北朝期には南朝方で活躍した渡辺照が興国2年(1341年)に後村上天皇から越中国上津見保を賜ったとされています。この際に上見城が渡辺氏の居館として築城、使用されたのではないかと言われていますが詳細は不明です。
渡辺照は、摂津国難波荘の地頭職をも賜っていて、各地を転戦していますが、貞和4年(1348年)河内風森の合戦で討死しています。ちなみに照の子である国は観応2年(1351年)に左衛門少尉に任じられ、同年の蒲生野における合戦で討死しています。
戦国時代には、天正年間(1573年-1591年)に篠村太左エ門がこの地に拠ったと伝わっていますが、詳細は不明です。
篠村氏は飛騨国帰雲城城主内ヶ島氏の家老で飛騨国荻町城城主山下氏と血縁関係があったとされていて、この事から篠村氏は飛騨国人や内ヶ島氏と関係が深い一向一揆と繋がりを持った人物であったと思われます。ただ天正年間は、一向一揆の力がかなり弱体化していた時期で上杉軍や織田軍が侵攻してきて、越中国内は右往左往していた時期ですから篠村氏もどちらかに付くかあるいはうまく二股をかけるかしないと滅ぼされかねない状況だったに違いありません。その後、どうなったかは不明です。
現在の上見城跡は舌状台地に築かれた山城となっています。比高差は20mとたいしたことはありません。主郭と二の郭(ただし仮名)の二つの郭を持っていて、尾根には大きな堀切があります。主郭は台地の北側の先端部にあり、東西に土塁、周囲に空堀があり、厳重に守られています。堀切に面した南側の二の郭は、四方を土塁、空堀で囲っていて、ここも厳重な守りです。
主郭には井戸跡が残されており、中からは薬研や鉄製の斧が見つかっています。
麓にある集落を内包した惣構えを有していたとも言われていて、実際の城域はさらに広範に及ぶと考えられています。
実際にこの城跡を訪れると土塁の高さや大きな堀切を見せられて、感動させられました。しかし比高は小さく見学には向いている城ですし、足元もそれほど悪くはないので是非訪れてみると良いでしょう。
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上見城跡大手口 |
上見城二の郭を囲む土塁 |
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上見城主郭に残る井戸跡 |
土塁はかなり高いものです |
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住所 |
富山県南砺市上見 |
形式 |
連郭式山城 (標高200m/比高20m) |
遺構 |
郭 土塁 堀切 空堀 虎口 井戸 |
築城者 |
渡辺照 |
施設 |
説明板 |
城主 |
渡辺照 篠村太左エ門 |
駐車場 |
駐車スペースあり |
築城年 |
興国2年(1341年)頃か |
文化財 |
南砺市指定史跡 |
廃城年 |
天正年間(1573年-1591年)以降 |
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