国重要文化財 浮田家住宅
概 要
国重要文化財 浮田家住宅は、富山市太田南町にある加賀藩の役宅で、江戸時代中期の豪農建築の様式をそのままに残す貴重な建築物であり、昭和54年5月21日に主屋、表門、土蔵の3棟が国重要文化財に指定されています。現在の住宅は、文政11年(1828年)に建立されたものです。
浮田家は古くからこの地に土着した豪農として知られ、江戸時代には三代宗兵衛が加賀藩から奥山絵図方に任命され、四代宗兵衛が山廻役に任命され、五代宗右衛門の代には五百石の収納代官職を千石に加増され、六代覚右衛門の代には奥山廻役に任命されて以来、同役を世襲することになり、七代善左衛門のときに代官職を兼ねるようになると三千石代官の格式となりました。
奥山廻役は、立山黒部一帯の山林保護と国境警備を担う役職で、明治三年まで浮田家が世襲しています。
浮田氏は、戦国期には備前の大名であった宇喜多秀家が慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際に石田三成に同調して西軍の主力の一人となり、敗北して所領を没収されています。この際に秀家は島津氏とともに鹿児島に逃れ、島津氏にかくまわれていましたが、島津氏と徳川氏との和睦の際に秀家は徳川氏に出頭して、助命されたものの八丈島に遠島となっています。
しかしこの際に秀家の隠し子が正室である豪姫の実家である前田氏にかくまわれて、越中に逃れて浮田氏を名乗るようになったと伝えられていますが、詳細は不明です。
現在の主屋は文政11年(1828年)、表門は天保年間(1830年~1843年)、土蔵(衣装蔵:元々は3棟が軒を連ねていたそうです。)は明治23年に建てられたもので、当時は主屋と同規模の建物が並列し加賀藩の役宅としての機能を持っていました。
敷地の周囲は堀と木板塀が廻り、主屋の左手には庭園が配されました。
浮田家住宅は江戸時代中期に建てられた豪農建築の遺構として貴重な存在で昭和54年に宅地、主屋、表門、土蔵が国指定重要文化財に指定されています。
表門正面 浮田家住宅説明版
表門正面 浮田家住宅説明版
表門は長屋門形式です 修復された石垣と塀
表門は長屋門形式です 修復された石垣と塀
表門から中に入ってみましょう 主屋
表門から中に入ってみましょう 主屋
玄関の左には式台があります 表門内側
玄関の左には式台があります 表門内側
玄関は土間です 台所
玄関は土間です 台所
広間は24畳あります 茶の間
広間は24畳あります 茶の間
茶の間の囲炉裏 台所の釜
茶の間の囲炉裏 台所の釜
本座敷 対面の間、控座敷、お部屋
本座敷 対面の間、控座敷、お部屋
二の座敷 浮田家平面図
二の座敷 浮田家平面図
主屋東側 便所
主屋東側 便所
主屋北側 主屋西側
主屋北側 主屋西側
土蔵 主屋南側
土蔵 主屋南側
主屋南東側 土蔵
主屋南東側 土蔵
主屋上縁部分 庭園
主屋上縁部分 庭園
庭園と塀 庭園と主屋
庭園と塀 庭園と主屋
水堀 修復された石垣
水堀 修復された石垣
修復された塀と石垣 表門
修復された塀と石垣 表門
浮田家住宅
所在地 富山県富山市太田南町110 形式 居館
遺構 主屋、表門、土蔵、塀、水堀、石垣 建立者 浮田氏
再建造物 石垣、塀 建立年 文政11年(1828年)
駐車場 屋敷前 管理者 富山市
文化財 国重要文化財(主屋、表門、土蔵) 現状 現存
構造及び形式
主屋 桁行26.8m、梁間9.2m、寄棟造、茅葺、東面庇付、板葺、
西面突出部 桁行4.7m、梁間22.0m、切妻造、板及び鉄板葺、
南面突出部 桁行4.5m、梁間7.3m、切妻造、桟瓦葺、
東面及び北面便所附属、西面廊下及び便所附属、桟瓦葺
表門 長屋門、桁行15.1m、梁間3.5m、寄棟造、茅葺
土蔵 土蔵造、桁行7.0m、梁間5.2m、切妻造、二階建、桟瓦葺
国重要文化財 浮田家住宅
住所 富山県富山市太田南町110
電話 TEL 076-492-1516
営業時間 9:00~16:30
休館日 月曜日、祝日の翌日、年末年始
入館料 大人100円、小人50円、団体(20人以上) 2割引
使用料 3150円
駐車場 会館前に駐車場あり
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国重要文化財 浮田家住宅マップ
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