新湊大橋  
 新湊大橋
 新湊大橋
新湊大橋(しんみなとおおはし)は、富山県射水市の富山新港に架かる日本海側最大の2層構造の斜張橋です。
2002年(平成14年)11月に延長3600mの臨港道路富山新港東西線の一部として着工しています。
斜張橋(しゃちょうきょう/Cable-stayed bridge)は、橋の形式の1つで、塔から斜めに張ったケーブルを橋桁に直接つなぎ支える構造のものを指します。ケーブルを利用し吊って支えることから、広義には吊り橋の一種と言えます。
しかし狭義には、すなわち土木工学分野、橋梁工学分野では吊り橋とは区別されています。斜張橋はこの狭義の吊り橋(以降、単に「吊り橋」と記す)に次ぐ支間長(スパン、塔と塔の間隔)を得られます。ちなみに日本の斜張橋で最大の支間長を持つのは、多々羅大橋の890mとなります。
新湊大橋は、上層の車道部分が2012年(平成24年)9月23日に開通しましたが、同時に開通するはずだった下層の自転車歩行者道は、強風時の揺れが想定よりもかなり大きかったために、さらに補強工事が必要となり、2013年(平成25年)6月16日にようやく開通しています。当橋の事業主体は北陸地方整備局伏木富山港湾事務所となっています。
当橋は5径間連続複合斜張橋で、2車線の車道階と桁下の自転車歩行者道階の2階建て構造からなっています。
総事業費約485億円は、国が3分の2、富山県が3分の1を負担しています。
主橋梁部の長さは600m、主径間は360m、A型の主塔の高さは127m、ケーブルは72本で、張り方はファン型、桁下空間(海面からの高さ)は47mとなります。規模的には日本海側では最大の斜張橋となります。
なお東西のアプローチ道路は、東側が1650m、西側はループになっており1350mとなっています。
 新湊大橋 スペックデータ
長さ 600m
最大支間長 360m
高さ 塔高127m、橋げた47m(いずれも海面より)
形式 斜張橋
素材 主径間鋼桁、側径間PC桁(プレストレストコンクリート桁)
建設 2002年 - 2012年
上層の車道は自動車専用道で幅9.5m(片車線3.5m、路肩1.25m)の2車線、設計(制限)速度は時速50kmとされています。また車道には下水処理水を利用した融雪装置が設置されています。
下層には長さ480m、幅約3m、ガラスで覆われた全天候型の愛称「あいの風プロムナード」と名づけられた自転車歩行者道が桁下に吊り下げる形でもうけられ、橋からは晴れた日には日本海や立山連峰、能登半島が一望できます。また隣接する海王丸パークに恒久係留されている帆船海王丸を上部より望むことができます。なお、強風などの悪天候時には通行止めの処置がとられます。
この橋が完成したことにより、それまで東岸から西岸まで車で約12分掛かっていましたが、約6分で結ばれることになり、また歩行者や自転車も天候に左右される富山県営渡船(越の潟フェリー)を利用することなく歩いて渡ることができるようになり、アクセスが大幅に向上することになりました。
 新湊大橋橋梁上
 新湊大橋橋梁上
2013年(平成25年)6月14日には財団法人土木学会より2012年(平成24年)度の土木学会田中賞(作品部門)を受賞しています。富山県内の橋梁では初めての受賞となります。
新湊大橋が架かる地区は、天平の時代越中国国主大伴家持が、万葉集で奈呉(なご)の海や奈呉の浦とと詠んだ、かつては放生津潟と呼ばれていた周囲約6kmの潟湖があり、旧新湊市東岸の堀岡地区と西岸の越の潟地区から延びる砂州には、かつては道路と富山市と高岡市を結ぶ富山地方鉄道射水線が通っていて港口に架かる橋で繋がっていました。
しかし富山県は県の商工業発展のため当地に新たに大きな港を計画、1961年(昭和36年)9月に起工し、潟を掘削、港口を大きく広げ分断、それにより道路、鉄道も分断したかたちで1968年(昭和43年)4月に富山新港として開港しています。
これにより両岸の地区のアクセスならびに地域住民の交流が大きく阻害され、車の場合富山新港の南側を大きく迂回するように走る国道415号線などの利用、また歩行者や自転車利用者は、富山新港で運行されている富山県営渡船(越の潟フェリー)を利用するなど不便を強いてきた。そのため両岸の地域住民と旧新湊市は、「富山新港港口連絡橋建設促進期成同盟会」を1982年(昭和57年)に設立し、国や県に両岸を結ぶ連絡橋建設の重要性を粘り強く訴えてきました。
なお富山新港開港により、分断されてしまった射水線は、西岸の越の潟地区と高岡市を結ぶ加越能鉄道万葉線(現 万葉線)と、東岸の堀岡地区と富山市を結ぶ射水線としてそれぞれ運行されてきたが、射水線の客離れが激しく、1980年(昭和55年)3月には射水線は廃止されてしまっています。これにより当地の交通網はさらに打撃を受けることになっています。
1990年(平成2年)には越の潟地区に帆船、初代海王丸を誘致し一般公開を開始しています。1992年(平成4年)には海王丸パークを整備した事が一端を担い、1995年(平成7年)に地質調査を開始、1997年(平成9年)には設計調査費を計上し建設の準備が事実上始まり、それまで「夢の大橋」と揶揄されていた橋が2002年(平成14年)11月に着工し、アクセス向上、商業ならびに文化交流の活性化が期待され、地域住民の悲願が結実したことになります。また、海王丸、海王丸パークとともに新たな観光スポットとして期待されています。
 あいの風プロムナード
 あいの風プロムナード
開通前日となる2012年9月22日の開通記念イベントでは開通後は歩行できない車道が一般開放され、地元射水市の全小学校の5、6年生約1500人が橋の上で手を繋いで万歳をし上空から空撮したり、地元や県内外から訪れた多くの人が橋を歩いて渡っています。海上では漁船やヨット、クルーザーのパレードが、両岸の海王丸パークや海竜マリンパークでは獅子舞や放生津(新湊)と海老江の曳山の特別曳航、物産展、音楽やダンスフェスタ、打上花火など、さまざまなイベントが行なわれ大変賑わいました。
2012年12月3日より新湊大橋の夜間ライトアップを開始した。毎日日没30分後から午後10時頃まで140基のLEDライトで主塔や橋脚などを照らし出します。この日は隣接する海王丸パークにて富山県知事、射水市長、地元の小学6年生などが参加し点灯式典が行なわれています。
あいの風プロムナードは、2層構造の新湊大橋の自動車専用道の桁下に吊り下げる形で設けられた長さ480m、幅約3mのガラスで覆われた全天候型自転車歩行者道で、上下アプローチは両岸主塔近くの39人乗りのシースルー型のウォークインスルーエレベーターを利用します。愛称は一般公募し1539件の応募より2007年(平成19年11月)に命名されています。
この自転車歩行者道は工事中に強風により上下の揺れが最大約70cm発生し、想定値の3.5倍だったことが判明したため、開通延期処置をとり車道開通後も引き続き追加の対策工事をおこない、2013年(平成25年)6月16日、約9ヶ月遅れで開通し、6月30日には海王丸パークにて開通記念イベントが行なわれています。なお自転車は降りて通行しなければならないので注意が必要です。
また富山県は、当初歩道を24時間通行可能とする予定でしたが、地元からは夜間はエレベーター内や歩道が閉鎖空間であり防犯上の問題があるという意見が上がり、検討した結果、通行可能時間を午前6時から午後8時とすること、監視カメラ30台、緊急通報装置を25台設置することとなっています。早朝から午後8時までは警備員1人を配置することとなっています。通行不可の夜間帯は新湊大橋が架かる以前から富山新港で運行されている富山県営渡船(越の潟フェリー)を今までどおり最終便の午後10時30分まで運行することとなっています。ただし、2014年4月1日からは渡船の運航時間帯がさらに短縮(16時間30分→13時間45分)され、それに伴う減便(97便→69便)が行われています。ただし、運航時間帯のダイヤはほぼ変更なしとなっています。それに伴い代替タクシーの運行時間帯は拡大されていますが、深夜時間帯(23:15以降)は申し込み制となっています。
新湊大橋 堀岡側 あいの風プロムナード 堀岡側入口
 新湊大橋 堀岡側  あいの風プロムナード 堀岡側入口
あいの風プロムナード 堀岡側エレベーター あいの風プロムナード エレベーター乗降口
 あいの風プロムナード 堀岡側エレベーター  あいの風プロムナード エレベーター乗降口
あいの風プロムナード あいの風プロムナードを進む
 新湊大橋のマスト  あいの風プロムナードを進む
新湊大橋のブリッジ前部と機関銃 海王丸を望遠で撮影
 あいの風プロムナードは先が見えません。  海王丸を望遠で撮影
あいの風プロムナード エレベーター乗降口  あいの風プロムナード 越の潟側エレベーター
 あいの風プロムナード エレベーター乗降口   あいの風プロムナード 越の潟側エレベーター
あいの風プロムナード 越の潟側入口 新湊大橋
 あいの風プロムナード 越の潟側入口  新湊大橋
 スライドショー
スライドショーの使い方

 3つのボタンで画像を移動できます。
 
 最初・・・最初の画面に戻ります。

 戻る・・・一つ前の画像に戻ります。

 次へ・・・次の画像に移動します。
 
 拡大・・・拡大画像を表示します。
               
新湊大橋マップ
電子国土ポータルへのリンクです