しなの鉄道・JR貨物 しなの鉄道線 屋代駅
屋代(やしろ)
千曲屋代屋代高校前
所在地 長野県千曲市大字小島3139
所属事業者 しなの鉄道、日本貨物鉄道(JR貨物)
所属路線 しなの鉄道線
キロ程 59.9km(軽井沢駅起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面3線
乗車人員  2,155人/日(2017年)  
開業年月日 1888年(明治21年)8月15日
備考 終日駅員配置 POS端末
屋代駅
屋代駅
115系普通列車 コンコース
115系普通列車 コンコース
ホームと跨線橋 古い跨線橋
ホームと跨線橋 古い跨線橋
ろくもん
ろくもん
屋代駅(やしろえき)は、長野県千曲市大字小島にある、しなの鉄道・日本貨物鉄道(JR貨物)しなの鉄道線の駅です。
2012年3月31日までは長野電鉄屋代線の起点であり、共同使用駅としてしなの鉄道が駅業務を担当していましたが、現在では廃止されています。
北信地方の都市・千曲市(旧更埴市)の代表駅で、同市の中心市街地に位置しています。
しなの鉄道と、貨物鉄道事業者であるJR貨物が管轄する駅です。しなの鉄道線経由で小諸駅や終点の軽井沢駅とJR長野駅を結ぶ列車が発着しています。JR貨物はしなの鉄道線を利用する第二種鉄道事業者で、当駅を発着する臨時の貨物列車はしなの鉄道線を経由します。
駅の開業は1888年(明治21年)です。元々はしなの鉄道線の駅ではなく、軽井沢より東の高崎駅を起点とし、新潟駅を終点とする日本国有鉄道信越本線の途中駅でした。また、特急「あさま」の一部が停車する駅でした。
1987年(昭和62年)の民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)とJR貨物が継承した。その後北陸新幹線開業に伴って軽井沢・篠ノ井間がJR東日本より分離されたためしなの鉄道の運営となり、現在に至っています。
一方、屋代線が乗り入れを開始したのは1922年(大正11年)で、運営会社変更・線名改称を経て2002年(平成14年)より廃止当時の名称となっています。
115系回送列車
115系回送列車
当駅は2面3線を有する地上駅です。駅窓口にはPOS端末が設置されており、自社線及び連絡会社線の切符を発売しています。ま
た、かつてはビジネスえきねっとが設置されていましたが、現在は取り扱いを終了しています。
しなの鉄道のホームは、単式ホーム・島式ホームが1面ずつあり、単式ホームに1線、島式ホームに2線線路が接しています。
乗り場は西側の単式ホーム側から順に1番線・2番線・3番線となっています。
線路の名称は1番線が下り本線、2番線が中線、3番線が上り本線であり、1番線に長野方面行きの列車、3番線に軽井沢方面行きの列車が発着します。
ホームに接しない線路もあり、3番線の東側にしなの鉄道線の上り1番線があります。跨線橋は、従来から設置されているものの他、エレベーター付きの新しい跨線橋が移管後新たに設置されています。
この東側に長野電鉄線が発着していたホームがあります。木造建築の待合室がある島式ホーム構造です、4番線に相当するしなの鉄道側の線路にはフェンスが設置されており、定期列車は5番線のみを使用していました。
駅構内南東には、長野電鉄の車両の点検・整備をおこなっていた長電テクニカルサービス屋代車両検査場があります。
この検査場はしなの鉄道車両の検査を受託しているため、屋代線廃止後も引き続き営業中です。
検査場内には屋代線に繋がる3線の線路があったが、このうちの1線からしなの鉄道線の上り1番線に繋がる線路が分かれていました。屋代線の廃止時点ではこの検査場を介してのみしなの鉄道線と接続していましたが、1937年(昭和12年)に国有鉄道から長野電鉄河東線(後の屋代線)に初めて直通列車が乗り入れてから、1982年(昭和57年)の急行「志賀」運行廃止まで、直通用の連絡線が存在しました。志賀の運行廃止後まもなく線路は撤去されています。
しなの鉄道車両の検査をおこなう関係で、検査場から同線につながる線路は現在も使用されています。

駅舎は駅西側の単式ホーム(1番線)側に設置されています。ホームの上屋や、しなの鉄道ホームと駅舎を結ぶ跨線橋は木造となっています。
廃止された屋代線の駅業務はしなの鉄道が担当し、長野電鉄の社員は配置されていませんでした。
ただし屋代駅では長野電鉄線内の駅で購入した切符や整理券は運転士が回収していました。それと引き換えに精算済証が交付され、出場時に改札で駅員に渡していました。また屋代から精算済証を持ったまましなの鉄道線に乗車し、目的地で屋代からの運賃を精算するようになっていました。
ホームでは信越本線時代に導入された発車メロディがそのまま使用されている。1番線が「JR-SH5-3」、2・3番線が「JR-SH3-3」である。なお、屋代線の5番線ホームでは発車ベルが用いられていました。
駅舎内に「千曲市屋代駅市民ギャラリー」(千曲市の文教施設)・「屋代駅ウェルカムステーション」(千曲商工会議所運営の売店)を併設しています。また、改札前では、地元商店の商品が並んでおり、精算は窓口で行っています。

現在、JR貨物の駅は車扱貨物の臨時取扱駅となっていて、貨物設備はなく、専用線も接続していないため定期貨物列車の発着はありません。屋代線廃止までは長野電鉄向けの甲種車両輸送の終着駅となっていました。屋代線廃止後に長野電鉄が車両輸送をどのようにおこなうかは明らかにされていません。
1993年(平成5年)ごろまで、現在長電テクニカルサービス屋代工場となっている場所にあったシェル石油の油槽所へ至る専用線があり、油槽所向けの石油の取扱いがありました。また国鉄分割民営化前までは、駅舎の北側に有蓋車用の貨物ホームが1面設置されていました。
のりば
番線 路線 方向 行先
1 しなの鉄道線 下り 長野方面
2 (予備ホーム)  
3 上り 小諸・軽井沢方面

  • 1888年(明治21年)8月15日、長野駅・上田駅間の開業にあわせ、国有鉄道(国鉄)の駅として開業しています。ただし工事の都合により営業は開始していません。
  • 1888年(明治21年)9月15日、旅客・貨物営業を行う一般駅として営業開始しました。
  • 1909年(明治42年)10月12日、線路名称制定により、信越本線の所属となります。
  • 1922年(大正11年)6月10日、河東鉄道により、当駅・須坂駅間(後の屋代線)が開業します。
  • 1926年(大正15年)9月30日、河東鉄道を長野電鉄が合併、同社河東線に変更されています。
  • 1937年(昭和12年)3月、信越本線と河東線のあいだで直通列車が運行されます。
  • 1982年(昭和57年)11月15日、国鉄ダイヤ改正で急行志賀が廃止されます。
  • 1984年(昭和59年)11月15日、国鉄駅において、車扱貨物の取り扱い範囲を専用線発着のみに縮小しています。
  • 1985年(昭和60年)3月14日、国鉄駅において、荷物の取扱を廃止します。
  • 1986年(昭和61年)3月27日、駅舎改築。現在の駅舎に改築されます。
  • 1987年(昭和62年)4月1日、国鉄分割民営化により、国鉄駅はJR東日本とJR貨物が継承します。
  • 1994年(平成6年)12月3日、JR貨物、貨物の取り扱い範囲を、臨時の車扱貨物のみに縮小しています。
  • 1997年(平成9年)10月1日、経営分離により、JR東日本の駅がしなの鉄道に移管されます。
  • 2002年(平成14年)9月18日、長野電鉄河東線が屋代線に改称しています。
  • 2006年(平成18年)9月28日、構内のキヨスク跡地にローソンがオープンします。
  • 2008年(平成20年)12月、構内のローソンが閉店しています。
  • 2010年(平成22年)8月12日、構内のローソン跡地に「屋代駅ウェルカムステーション」がオープンします。
  • 2012年(平成24年)4月1日、屋代線が廃止され、しなの鉄道の単独駅となっています。
  • 2017年(平成29年)3月3日、改札口北側に、新しいエレベーター・こ線橋が完成しています。

長野電鉄 屋代(やしろ)
屋代→東屋代
駅番号 Y1
所属事業者 長野電鉄
所属路線 屋代線
キロ程 0.0 km(屋代起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗車人員  170人/日(2011年)  
開業年月日 1922年(大正11年)6月10日
廃止年月日 2012年(平成24年)4月1日

旧屋代線ホーム

ホームの上屋や、しなの鉄道ホームと駅舎を結ぶ跨線橋は木造であったがホームを残して解体された。 廃止された屋代線の駅業務はしなの鉄道が担当し、長野電鉄の社員は配置されておらず、屋代駅では有人駅であるにもかかわらず到着列車は前扉しか開かず、長野電鉄線内の駅で購入した切符や整理券は運転士が回収していた。それと引き換えに精算済証が交付され、出場時に改札で駅員に渡すようになっていた。また屋代から精算済証を持ったまましなの鉄道線に乗車し、目的地で屋代からの運賃を精算するようになっていた。ただし須坂行きは全てのドアが開いた。しなの鉄道の券売機では屋代線の乗車券も購入できたが購入できるのは東屋代と雨宮と松代と須坂のみであった。それ以外の駅まで利用する場合は改札口にて駅員に屋代線に乗る旨を伝えて屋代線ホームに向かい列車の発券機から整理券を取って下車駅で精算するようになっていた。