史跡 猿倉城跡
猿倉城の概要
猿倉山頂上にある石碑
猿倉山頂上にある石碑
猿倉城は富山県富山市(旧上新川郡大沢野町)舟倉にある山城です。猿倉山(標高345m)の頂上部にあり、比高差は175mとかなりの高低差があります。ほぼ直下に神通川を見下ろす場所に築かれていることから、築城者には神通川の水運を監視する意図があったのではないかと思われます。
現在は、城の周辺は猿倉山森林公園となっていて、猿倉山スキー場があり、城の麓にはキャンプ場やバーベキューハウスなどのレジャー施設もあり、年間を通して楽しめる場所となっています。
また麓には国史跡「直坂遺跡」があり、盛りだくさんの内容となっています。
猿倉山山麓から自動車で登っていくとスキー場の上部に出てキャンプ場などの施設があり、駐車場もありますが、そこからはかなりの急勾配を徒歩で登っていく事になります。この部分もスキー場のコースにしたいくらいですが、そうだとするとかなりの急斜面となります。ここはかなりの健脚の方でないとけっこうきついでしょう。
猿倉山の頂上には主郭があったと思われますが、現在ではここには風の城が建っています。風の城はその名の通り風力発電施設があり、風力により発電してライトアップするようになっています。
郭にはキャンプ・バーベキュー棟がある
郭にはキャンプ・バーベキュー棟がある
どちらかというと遊びの要素が多い施設だと思われますが、展望台にもなっています。
主郭部分には土塁や空堀の類は見あたらず、開発で破壊されてしまったようです。
下部のキャンプ場付近は郭跡であることは伺えます。しかしここもかなり遺構が破壊されているようです。
と言うことで当城は遺構としては郭跡程度しか残っていないことになります。
主郭には石碑はあるのですが、説明板らしき物は見あたりません。実際のところ歴史的な見地で見てもこの城に関する資料が錯綜していて城名自体も混乱しているので、明確に城の歴史が記載できないとも言えます。
「斐太後風土記」の記述では、古川高野城主塩屋筑前守秋貞が永禄年間(1558年-1570年)に、越中国へ進出して笹津近辺を攻め取って、新川郡牛柵の猿倉山に城を構えて住居するようになった事が記載されています。塩屋秋貞は元々は飛騨国の人で、越中国との交易で財を成して、徐々にその拠点を北上させて越中国へと勢力を伸ばしてきたと言われています。
一方で上杉家臣の長尾景直による元亀2年(1571年)4月23日付の書状では、合力してくれていた秋貞が急に退却して猿倉山に城を普請し始めたので彼を本国へ召還して欲しいと記されています。つまり、当初は上杉方だった塩屋秋貞が上杉を裏切って独立するようになり、猿倉城を築城したということになります。
展望台からは神通川上流が見えます
展望台からは神通川上流が見えます
天正年間には郷士の島村丑之助(或いは寺嶋三八郎)が猿倉城に拠って、城主である秋貞が不在の時に上杉方の津毛城主村田大炊助と戦い、討ち取られたとされています。
『越登賀三州志』には、秋貞は天正6年(1578年)に佐々成政に下り越中国岩木城に拠ったが、村田大炊助によって飛騨へ追い返されたとされているので、つまりこの頃には秋貞は織田方について上杉氏と戦っていたことになります。
その後、猿倉城は再び越中へ侵入した秋貞が家臣を入れて支配したが、天正11年(1583年)3月に上杉方の斎藤信利が拠る越中国城生城を攻撃中に上杉景勝の援軍が到着して敗退してしまい、退却したが追撃する上杉軍に追いつかれて射殺されてしまったと言われています。その後、猿倉城は飛騨国の姉小路自綱の勢力下に入り、天正13年(1585年)に起こった富山の役で金森長近に攻め落とされたとされています。その後に廃城になったと考えられます。
なお、麓にある国史跡「直坂遺跡」は、先土器時代から縄文中・後期の集落跡の遺跡で、昭和47年に先土器時代の遺物や多くの石器、食物を蒸し焼きしたと思われる焼石炉跡、住居跡などが発見されています。
この周辺には、旧石器時代から縄文時代にかけて営まれた集落跡が多く存在します。
駐車場から遊歩道を見上げます キャンプ・バーベキュー棟は郭跡にあります
駐車場から遊歩道を見上げます キャンプ・バーベキュー棟は郭跡にあります
頂上には風の城があります 風の城の石碑
頂上には風の城があります 風の城の石碑
風の城は展望台にもなっています 展望台から眼下の神社と神三ダムを見る
風の城は展望台にもなっています 展望台から眼下の神社と神三ダムを見る
風の城は展望台にもなっています 遊歩道の上部から麓を見下ろす
猿倉社二神宮社 遊歩道の上部から麓を見下ろす
国史跡「直坂遺跡」説明板 猿倉山スキー場が背後に見える直坂遺跡
国史跡「直坂遺跡」説明板 猿倉山スキー場が背後に見える直坂遺跡
頂上は海抜345m 風の城から主郭の先端部を見下ろす
頂上は海抜345m 風の城から主郭の先端部を見下ろす
神三ダムは満水状態です 風の城から主郭の先端部を見下ろす
神三ダムは満水状態です 何か詩が刻まれていますが・・・
風の城は風力発電によりライトアップします 風力エネルギー開発利用事業
風の城は風力発電によりライトアップします 風力エネルギー開発利用事業
風車はなぜか塔の下部にあります 猿倉社
風車はなぜか塔の下部にあります 猿倉社
猿倉城跡
住所 富山市舟倉 形式 山城 (標高345m/比高175m)
遺構 郭 石碑 築城者 塩屋筑前守秋貞
施設 風の城(展望台) キャンプ場 バーベキュー棟 スキー場 城主 塩屋筑前守秋貞
駐車場 あり 築城年 元亀2年(1571年)
文化財 なし 麓には国史跡「直坂遺跡」がある 廃城年 天正13年(1585年)
 スライドショー
スライドショーの使い方

 3つのボタンで画像を移動できます。
 
 最初・・・最初の画面に戻ります。

 戻る・・・一つ前の画像に戻ります。

 次へ・・・次の画像に移動します。
 
 拡大・・・拡大画像を表示します。
               
史跡 猿倉城跡マップ
電子国土ポータルへのリンクです