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荻町城跡を示す碑 |
荻町城は、岐阜県大野郡白川村荻町にある中世山城(崖端城)です。白川村指定史跡となっていますが、この一帯は世界遺産白川郷合掌集落に指定されていて、この地点は展望台としてガイドブック等でも紹介されていて多数の観光客でごった返しています。
築城年代は未詳ですが、南北朝の頃、南朝の公家達が隠れ住んだ城といわれています。もちろん本当がどうかは全く不明ですが。その後、内ヶ島上野介為氏が、室町時代の寛正6年(1465年)頃、信州より白川郷に入り帰雲城を築城しています。その時、白川郷に勢力を持っていた正蓮寺(のちの照蓮寺)を攻め、これを壊滅させて白川郷を掌中にした内ヶ島氏の家臣であった山下氏がその後は荻町城を代々居城としています。
最後の城主となった山下氏勝は、天正13年(1585年)の大地震により帰雲城が崩壊し内ヶ島氏が滅亡した後、徳川義直に仕えるようになり、名古屋城築城や城下町整備などに功績をあげています。
この荻町城は本丸(全城域670坪)の北、南、西の三面は絶壁となって腰曲輪を設けるスペースもないほどで、二の丸、出丸等の曲輪もない単郭式の居館式の城です。ただし、西南角の高台地には物見矢倉跡があります。東側には堀切があり、土塁で守られています。大手口は、北西角にあり、荻町市街に通じています。搦手口は東南角になります。
この城は小規模な居館式の城で、発掘でもたいした遺物は出てこなかったようで、山下氏も常時この城に駐屯していたのか甚だ疑問です。山下氏は、麓に常駐していて非常時にこの城に籠るという詰めの城だったという可能性も考えられますが、どう考えてもここが詰めの城だというには小規模すぎて、攻められてもすぐに落城しそうです。でも飛騨国の山間部だからたいした兵力はないので、こんな程度でも間に合ったのかも知れませんね。
ただ、この城を攻めるとすれば東側の堀切を渡って攻めるしかないので、ここの防備さえ厳重にしておけば、まあ使えるかなとも思えます。
この城の遺構はたいしたこともないのですが、実はここは世界遺産白川郷合掌集落の中にあり、この地点がちょうど展望台に当たり、その眺望はすばらしいので、その点ではこの城を訪れた人は極めて多数に上ることになります。
ただ、城跡とは知らずに来て気づかずに帰っていった人も多数に上ることでしょう。
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城の東側の堀切 |
駐車場側には石垣が |
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搦手口 |
虎口がこのあたり |
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世界遺産白川郷合掌集落の説明板 |
ここが見張り矢倉台跡です |
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曲輪の下は絶壁です |
これが何なのかよくわかりません |
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ここが大手道です |
大手口側から見た本丸 |
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本丸はけっこう広いのです |
土塁と堀切 |
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住所 |
岐阜県大野郡白川村荻町 |
形式 |
山城(崖端城) (標高545m/比高60m) |
遺構 |
郭 土塁 櫓台 堀切 |
築城者 |
不明 |
施設 |
駐車場 説明板 碑 展望台 売店 トイレ |
城主 |
山下氏勝 |
駐車場 |
無料駐車場あり |
築城年 |
不明 |
文化財 |
白川村指定史跡 |
廃城年 |
1585年以降 |
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