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説明板 |
御舘館跡は現在の石川県羽咋郡宝達志水町御館にある平城(居館)です。
平成7年3月14日に石川県史跡に指定されています。
この御舘館跡は、東側には宝達山山系、北には大坪川、南は杓田川に挟まれた要害の地にあります。御舘館跡は、約80m四方の主郭を中心に、北側副郭、東側副郭の三つの曲輪を持っています。その範囲は、東西約300m、南北約200mと広大で、第一級の遺構が残されています。主郭には、上幅約6.5~12m、下幅約2.7~5.5m、深さ約3~5.5mの大規模な二重の空堀が巡っていて、堀の間には幅約8.5m、高さ約2.5mの土塁があり、居館としては極めて堅固な構えを持っています。北側と東側の副郭は、主郭の堀や土塁にみられる大規模な拡張に伴う防御機能強化の際に付け加えられた可能性が指摘されているとのことです。
発掘調査は、主郭内部と堀、土塁を中心に実施され、掘立柱建物、柵列、井戸、焼土坑などが確認されています。出土遺物は、土師器皿が全体の9割以上と圧倒的多数を占め、その他に珠洲焼、越前焼、瀬戸・美濃焼等の国産陶器
、青磁、白磁などの貿易陶磁器などがあります。
本館跡の存続年代は、南北朝時代から室町時代及び戦国時代であり、14世紀後半~15世紀前半と16世紀後半の二時期に盛期を持つと考えられているとのこと。
いずれにしても、これだけの規模と造りから考えると単に地方豪族の居館というのはあまりに大げさな館跡ですので、かなりの勢力を持つ豪族の居館であったと考えるのが妥当ですが、実はこの城館を築いたのは誰なのか、いつ廃城となったのかは全くわかっていないのです。南北朝から戦国期にかけてこのあたりを治めていた豪族としては、能登守護の吉見氏次いで畠山氏以外には、それほど有力な豪族は見あたらないし、岡部氏というのもイマイチぴんときませんしね。
しかし、実際にこの館跡を訪れてみると、大規模な空堀は目を見張るものがあります。
これだけ深く広い空堀というのも滅多にお目にかかりませんが、しかもこれが人家のそばの平城というのですから驚きです。
よくこれまで開発されなかったものだと不思議ですが、これに匹敵する平城は国史跡「安田城跡」くらいかな。
ただ、安田城は歴史が明確で、しかも富山の役に深く関わっているので、国史跡になったのですが、こちらは遺構だけなら負けないのですが、歴史が全くわからないので県史跡にしかならなかったのでしょう。
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東側外堀 |
東副郭から東外堀を見る |
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東副郭の東側を守る土塁 |
東外堀は曲げられていた |
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御館館東副郭の南側を守る土塁 |
土塁がはっきりと残っています |
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東副郭西側の空堀 |
北副郭北側の外堀 |
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北副郭西側の内堀 |
主郭と内堀 |
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住所 |
石川県羽咋郡宝達志水町御舘 |
形式 |
梯郭式平城 |
遺構 |
曲輪、土塁、空堀 |
築城者 |
不明 |
施設 |
案内板 |
城主 |
不明 |
駐車場 |
特にない |
築城年 |
南北朝期 |
文化財 |
県指定史跡 |
廃城年 |
戦国期 |
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