蟹江家関連年表 |
蟹江家当主名 |
年代 |
できごと |
富山藩主名 |
蟹江與兵衛 |
天正年間 |
加藤清正に従って九州肥後へ向かう→八代城代となる |
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宗久 |
寛永 9(1632)年 |
加藤氏改易により、浪人となる |
寛永 10(1633)年 |
前田利常に2000石で召し抱えられる→前田利次付となる |
寛永 16(1639)年 |
富山藩成立 |
寛永 17(1640)年 |
前田利次が富山城に入城する |
→この前後に宗久、利房親子も富山へ |
初代 前田利次 |
利房 |
寛永 20(1643)年以降 |
分割相続により、1400石を相続する物頭役となる |
基直 |
承応 元(1652)年 |
1400石を相続し、火消役となる |
寛文 5(1665)年 |
馬廻組頭となる |
2代 前田正甫 |
天和 2(1682)年 |
越後高田城請取に参加する |
3代 前田利興 |
基榮 |
正徳 5(1715)年 |
1400石を相続し、馬廻組・火消役となる |
享保 9(1724)年 |
馬廻組頭となる |
享保 10(1725)年 |
小姓組頭となる |
享保 19(1734)年 |
元堯が基榮の養子となる |
4代 前田利隆 |
元堯 |
享保 20(1735)年 |
基榮の1400石のうち3分の1を受け継ぐ馬廻組となる |
元文 3(1738)年 |
前田利隆から基榮の本高である1400石を与えられる |
宝暦 4(1754)年 |
馬廻組頭・寺社奉行・奏者役となる |
5代 前田利幸 |
宝暦 6(1756)年 |
側用人・寄合所加判となる |
宝暦 13(1763)年 |
日光東照宮修繕の御手伝普請→副奉行となる |
6代 前田利與 |
安永 6(1777)年 |
前田利久が藩主となる→天明7年(1787年)に死去 |
7代 前田利久 |
天明 8(1788)年 |
家老となる |
8代 前田利謙 |
富元 |
寛政 3(1791)年 |
1400石を相続し、先手頭・火消役となる |
寛政 9(1797)年 |
加賀藩12代藩主前田斉広の元服→御祝儀御使者を勤める |
寛政 12(1800)年 |
徒組頭となる |
享和 2(1802)年 |
徒組支配・宗門奉行・鉄砲改となる |
9代 前田利幹 |
基治 |
享和 3(1803)年 |
1400石を相続し、定番足軽頭・火消役となる |
文化 6(1809)年 |
馬廻組頭・寺社奉行・奏者役となる |
文化 12(1815)年 |
若年寄・寄合所加判・無組役人組支配・公事場奉行・寺社奉行となる |
文化 14(1817)年 |
家老となる |
天保 5(1834)年 |
蟹江監物一件により隠居、700石の減知処分となる |
【蟹江監物一件】…富山藩の財政難対策として実施した藩札発行をめぐる利権争い |
主膳 |
天保 5(1834)年 |
700石を相続し、高知組火消役となる |
【参考文献】 富山県編1982『富山県史』通史編皿近世上
富山県公文書館編1998『とやまの歴史』
新田二郎編1988『富山藩士由緒書』越中資料集成2桂書房 |