史跡 城端城跡
城端城の概要
現在の城端城跡の正門です
現在の城端城跡には善徳寺があります
城端城は、富山県南砺市城端西上にあった平城です。
築城年代は現在のところ不明ですが、この城端周辺を治めていた土豪だった荒木氏がここに拠っていました。荒木氏については史料に乏しく詳細は不明です。戦国期に城端城城主だった荒木大膳が、現在の富山県南砺市福光(旧・西砺波郡福光町山本)にあった善徳寺に城の敷地、城門を寄進し、善徳寺を招致したと言われています。
実は城端城の正確な跡地は現在も特定されていません。
これまで善徳寺(県指定文化財)がある場所に城端城が築かれていたと言われてきましたが、善徳寺の周囲では城端城時代のものと断定出来る遺物の類は発見されておらず、『越登賀三州志』や『三州測量図籍』では町の南側に城があったと記述されていることと、善徳寺が建った後も城主が存在していたと考えられる事から言い換えれば善徳寺と城端城が並存していた時期があったと考えられ、城端城の城域をそのまま善徳寺が継承して建てられたとは考えにくいと思われます。もっとも城が廃城になった跡に善徳寺が拡張されたという可能性もあるので、これについては何とも言えません。今のところはこの善徳寺の近辺に城端城が存在していたということしかわからないとも言えます。
善徳寺は瑞泉寺や勝興寺と同様に越中一向一揆の中心勢力として活躍した寺です。荒木大膳も一向一揆勢力に属していたので寺地を提供したのでしょう。荒木大膳は、その後前田利家に使えるようになり北条氏征伐の際に八王子城攻めで戦死したと言われています。八王子城攻めは、かなりむごい一方的な殺戮が行われたようで、ここで戦死するとはついていません。
城端城にはのちに斎藤九右衛門なる者が入り、佐々成政が越中国を平定した後は佐々家臣河内才右衛門が入城したと言われています。佐々成政が豊臣秀吉に降った天正13年(1585年)以降に廃城となったと思われます。
現存している遺構としては城の大手門が善徳寺の大門として使用された後、富山県砺波市苗加に在る万福寺の薬医門として移築されていて、県指定文化財になっています。また太鼓楼は城端城の遺構であると言われていますが、詳細は不明です。
石垣や土塁も残っていますが、これらは善徳寺の遺構と考えるのが妥当で、城端城の遺構なのかどうかは不明です。

善徳寺山門 郭を囲む石垣が遺構として残っています
善徳寺山門 善徳寺本堂
善徳寺式台門 善徳寺太鼓楼
善徳寺式台門 善徳寺太鼓楼
善徳寺鐘楼 石垣が残っています
善徳寺鐘楼 石垣が残っています
城端別院 善徳寺
住所 富山県南砺市城端西上405
電話 0763-62-0026  FAX:0763-62-3682
開館時間 9:00~16:00(院内拝観) 6:00~16:30(本堂のみ参詣)
休館日 火曜日 1月~3月は原則休館 
入場料 院内拝観 200円 宝物館 250円(共通拝観の場合 350円)
駐車場 無料駐車場完備
城端城跡
住所 富山県南砺市城端西上 形式 平城
遺構 大手門 太鼓堂 築城者 荒木氏
施設 善徳寺 説明板   城主 荒木大膳 斎藤九右衛門 河内才右衛門
駐車場 あり 築城年 不明
文化財 県指定文化財(大手門) 廃城年 天正13年(1585年)以降
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