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今石動城本丸 |
今石動城は、富山県小矢部市城山町にある山城です。平成22年3月31日に小矢部市史跡に指定されています。
この城は標高186mの白馬山に築かれていて、遺構としては曲輪跡、堀切が残っています。本丸は山頂部にあり、大きさは東西49m、南北26mです。そこから伸びる6つの尾根には極めて多数の郭が残っています。
現在でも城域に250箇所以上の郭(削平地)が確認されていて県内の山城としても有数の規模ですが、今後更に郭が発見され城域が拡がる可能性があります。しかし、その反面城跡に道路が走っていて、遺構が一部毀損していて残念なところでもあります。
当地を実際に訪れてみると、本丸付近は私有地ということで立ち入り禁止となっていることと、そもそも倒木や藪などで荒れていて探索も困難な状態となっています。
この今石動城は、天正13年(1585年)4月に越中攻略の拠点として前田利家によって築城されています。守将には利家の末弟に当たる前田秀継が入城しています。同年5月には、佐々成政配下の越中国守山城主神保氏張、木舟城主佐々平左衛門、井波城主前野勝長らの軍勢五千によって攻められ、城下に放火されています。今石動城の前田軍は一千五百と劣勢でしたが、前田秀継及びその子利秀の活躍によって佐々軍は撃退されています。これを今石動合戦と呼んでいます。
同年8月には、豊臣秀吉が越中平定(富山の役)のため越中国に進出し、この今石動城に滞在しています。同月25日にはついに佐々成政が降伏し、越中は平定されて、越中西部は前田氏に与えられています。これに伴い前田秀継は、利家より木舟城4万石を拝領して赴任し、今石動城は秀継の子利秀が城代として治めています。ところが同年11月には天正大地震が発生し、地盤が軟弱であった木舟城が倒壊して秀継夫妻が圧死するという悲劇が起こっています。これにより利秀は秀継の遺領を継ぎ木舟城へ入っています。
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今石動城説明板 |
しかし残念ながら、天正14(1586年)年には地震により甚大なる被害を受けていた木舟城並びに城下を復旧するのは困難であると判断した利秀は、本拠を今石動城へ移して今石動城下の町割を行うと共に職人、寺院の招聘に努めています。
さらに蓮沼城も廃城となっていたこともあり、蓮沼を通っていた北陸道は今石動を通る様に付け替えられて、それと同時に小矢部川の水運の拠点としての役目も移った為、今石動城下は大いに栄える事となっていて、現在に至っています。元々は木舟城下にあった鍛冶町、紺屋町、御坊町、細工町、糸岡町などの町名が今日まで旧町名として残っており、また今日まで残る寺院の数もたいへん多いのです。
文禄2年(1593年)12月には利秀が26歳と若くして病死してしまい、以後は利秀家臣だった篠島清了が名代として3千石を与えられて加賀藩によって統治されています。
廃城年については、文禄3年(1594年)という説もありますが、以降も篠島氏の統治が続いているので1615年(元和元年)に発令された一国一城令により、1638年(寛永15年)に廃城となったという説もあり、説明板には後者の説に基づいた記述がなされていました。
篠島氏の統治は清了以降5代に亘って継承され、宝永7年(1710年)まで続いています。その後は郡奉行とは別に今石動町奉行が置かれました。
現在では、山麓は城山公園として整備され、春には4000本の桜が咲き誇る名所となっています。
2007年には本丸跡に展望台も設置されていますが、遺構が道路により分断されてしまい、城跡としての景観は薄れていると言わざるを得ません。
しかし今石動城の遺構は、未だに詳細が判明していない状態で、今後さらに新たな発見があるやも知れず、早期の発掘調査が必要かと考えます。
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今石動城展望台 |
今石動城本丸 |
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城山公園 |
休憩所 |
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城山公園にも春が来ました |
桜が開花しました |
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いよいよ満開に |
大谷池と園謝橋 |
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桜が満開に |
上埜安太郎翁碑 |
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神武天皇像 |
城山公園全景 |
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菖蒲園 |
園謝橋 |
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園謝橋 |
休憩所と桜 |
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むくげ塚 |
じんむ広場 |
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菖蒲園 |
菖蒲園 |
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十返舎一九歌碑 |
野外ステージ |
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中央広場付近 |
菖蒲園 |
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第6回都市公園等コンクール・建設大臣賞 |
桜井与蔵氏像 |
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秩父宮記念碑 |
白馬山広場 |
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防災之塔 |
備え万全 |
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纏魂不滅と郷土の護 |
小矢部市消防団慰霊碑 |
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消防神社 |
消防神社本殿 |
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白馬山広場 |
聖天堂跡 |
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聖天堂跡 |
白馬山広場から見た小矢部市街 |
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今石動城本丸の展望台 |
展望台から見た小矢部市街 |
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今石動城本丸の展望台 |
今石動城本丸 |
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今石動城の遺構が道路によって分断されています |
今石動城本丸展望台 |
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城山公園上部からの展望 |
歌碑 |
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南側に伸びる郭の途中を横切る堀切 |
展望台がある郭は主郭の南側になります |
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本丸方面への入口 |
本丸の南側にある郭 |
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本丸方面への通路は狭く急です |
本丸への虎口 |
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本丸は平坦地です |
本丸に設置された説明板 |
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本丸はさほど広くはありません |
本丸の南側は切岸となっています |
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本丸の南側は帯郭となっています |
本丸から展望台方面への通路は急です |
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住所 |
富山県小矢部市城山町 |
形式 |
山城 (標高186m/比高150m) |
遺構 |
曲輪、土塁、空堀、堀切、切岸、大手道 |
築城者 |
前田利家 |
施設 |
展望台、説明板、公園 |
城主 |
前田秀継 利秀 |
駐車場 |
城山公園に駐車場あり |
築城年 |
天正13年(1586年)4月 |
文化財 |
小矢部市史跡 |
廃城年 |
文禄3年(1594年) |
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