 |
源氏ケ峰城入口 |
源氏ケ峰城(げんじがみねじょう)は、富山県小矢部市にある山城です。別名、源氏ヶ嶺城とも呼ばれています。
富山県と石川県の県境に近い標高245m源氏ヶ峰に築かれた比高180mほどの山城です。
この城は、1583年以降に佐々成政と豊臣秀吉が対立し、加賀国の前田利家との抗争が始まったため、佐々成政が国境を守るために築いたと思われる陣城です。
この城の近くには当時の北陸道が走っていて、今からは想像できないでしょうが、当時はこの城の位置は交通の要衝であったと考えることができます。
倶利伽羅峠の古戦場にも近いので、ここまで来たら源平の古戦場も訪れるのが定跡というものでしょう。
城への入り口は写真のように車道から階段が伸びていて、ここから遊歩道が城へと向かっています。階段を上がると展望台がありますが、ここはスルーして先に進みましょう。
城へ入る手前に大きな堀切があり、そこを過ぎると急な上り坂になり、城の主郭に入っていけますが、訪れたときは余りにもブッシュが多いだけでなく、主郭にある櫓台に建つ石碑に倒木が倒れ込んでいて、それ以上は進むことができない状態でした。
これは早いところ復旧して欲しいですね。しかし主郭からは城の様子がある程度推し量ることができました。
 |
なんと主郭にある石碑に倒木が! |
この城は、土塁や堀切、櫓台によって通路が複雑に折れ曲がる造りになっていて、陣城にしては凝った造りとなっています。
ただ、郭は主郭以外は削平が不十分なようです。あまり広い郭もないのですが、これは地形の関係上やむを得なかったのでしょう。まあ、やはり陣城ですから、兵を駐屯させるための施設を作るので精一杯という見方もできるでしょう。
佐々成政が前田利家との抗争のために築いた陣城としては、ここの他には一乗寺城、松根城などがありますが、ここはもっとも大規模な構えを持っていて、攻めるのも容易ではない城と言えましょう。
完全に廃城となったのは、おそらく佐々成政と前田利家の抗争が終局した時点でしょうから、1585年ということになりましょうか。しかし、ここは本当に陣城なのでしょうか。陣城といえば、何か急ごしらえの臨時の砦という印象なのですが、佐々成政が築いたとなればやはりそれなりの造りになるのでしょう。
源平の倶利伽羅峠の戦いの際にはここに陣を築いたということですから、この地は北陸道が通る昔からの戦略上の要衝であったと考えられ、この時点で何らかの防御施設が構築されていたのを佐々成政が改修したのかも知れません。ただし、現在残っている遺構は佐々成政が構築したものと思われます。
現在のところ、この城は整備が行き届いていないので、初心者が訪れるのはやや不安な状態です。整備ができればたいへんおもしろい城なのですが。この城の近くには今石動城や一乗寺城など見所のある城がいくつかありますので、それらも併せて訪れると良いでしょう。
|
住所 |
富山県小矢部市松永 |
形式 |
連郭式山城 (標高245m/比高200m) |
遺構 |
曲輪 土塁 竪堀 堀切 櫓台 |
築城者 |
佐々成政 |
施設 |
説明板 石碑 |
城主 |
佐々成政 |
駐車場 |
特にないが多少スペースあり |
築城年 |
1583年 |
文化財 |
なし |
廃城年 |
1585年 |
|
|