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主郭には展望台があります |
二ッ城は、富山県高岡市富山県高岡市山川(三千坊山山頂)にある山城です。
この城は標高264.2mの三千坊山頂に築かれていて、遺構としては郭跡、堀切、土塁などが残っています。
主郭は山頂部にあり、大きさは30m×25mほどです。主郭の西側にも副郭が二つあります。各郭は堀切で遮られていて、連携性に乏しく、純然たる中世山城と言えます。
城の規模は小さく、監視所として使用していたと思われますが、地形が険しいために、ここまでたどり着くこと自体が容易ではありません。
この二ッ城は、古くから石動山天平時に関連した天台宗寺院があり、山伏修験の場であったと伝えられています。
南北朝時代には、北朝側の攻撃を受けて焼亡し、さらに戦国期には上杉氏の攻撃を受けて焼失したと思われます。
ですから、当城が廃城となったのは上杉氏の攻撃を受けて焼失した時点と考えられますが、その時期は、1577年ごろではないかと思われます。この時点では越中の神保氏、椎名氏が上杉氏によって滅ぼされていて、その翌年には能登国も上杉氏によって制圧されているので、当城が攻撃されたのもこれに前後していると思われます。
この城は、作りが完全な中世山城でしかも規模が小さく、戦国期での本格使用は考えにくいので、佐々成政や前田氏が使用したとは思いにくいし、残っている遺構も彼らが改修したという形跡は見当たりませんし、少なくとも前田氏がこの一帯を領有した1585年時点では、この城の戦略的価値も消滅したと考えられるので前田氏がこの城を使用する必然性はないことと、実際にも前田氏がこの城を使用し続けたという形跡も見あたらないことから廃城は1585年よりは前と思われます。
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登城口に設置された説明板 |
左側が登城道です |
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分岐点 |
主郭の手前に堀切があります |
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虎口の左右には堀切が走っています |
堀切は浅いものですが当時はもっと深かったのでしょう |
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案内板がありました |
二等三角点があります |
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ここの標高は264mです |
ここでお参りしていきましょう |
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この奥にも郭があり、堀切で分断されています |
さらに奥にも郭があり堀切で分断されています |
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ここからは下りです |
ここは虎口です |
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アップダウンが多い城です |
主郭は25mから30m四方程度の規模です |
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堀切は何重にも掘られています |
郭と郭の間には堀切があり連携が悪いのです |
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住所 |
富山県高岡市山川(三千坊山山頂) |
形式 |
連郭式山城 (標高264m/比高140m) |
遺構 |
曲輪、土塁、堀切、切岸 |
築城者 |
天台宗系寺院 |
施設 |
展望台、遊歩道、案内板 |
城主 |
天台宗系寺院、不明 |
駐車場 |
あり |
築城年 |
不明 |
文化財 |
なし |
廃城年 |
1577年頃か? |
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