JR東日本・吉田駅
吉田(よしだ)
越後線
南吉田
→
吉田
→
北吉田
弥彦線
矢作
→
→
西燕
所在地
新潟県燕市吉田堤町1-1
所属事業者
東日本旅客鉄道(JR東日本)
駅構造
地上駅
ホーム
3面5線
乗車人員
1,202人/日(2022年)
開業年月日
1912年(大正元年)8月25日
所属路線
■
越後線
キロ程
49.8 km(柏崎起点)
所属路線
■
弥彦線
キロ程
4.9 km(弥彦起点)
乗車人員
1,657人/日(2018年)
駅種別
直営駅 自動券売機
吉田駅
115系電車
切符売り場と指定席券売機
島式ホーム
待合所
吉田駅(よしだえき)は、新潟県燕市吉田堤町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
燕市吉田地区(旧吉田町)の中心駅で、越後線と弥彦線が接続する拠点駅でもある。
越後線を所属線とし、弥彦線を加えた2路線が乗り入れている。
直営駅(駅長配置)だが、当駅は自駅単駅管理である。なお当駅周辺の沿線各駅は燕三条駅が管理している。
なお、2021年(令和3年)11月30日までは燕三条駅業務担当助役(吉田在勤)が配置されていた。
単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線、計3面5線を持つ地上駅。線路西側に設けられた駅舎は鉄筋コンクリート総2階建て。各ホームは跨線橋で連絡されている。
駅舎内には自動券売機(指定席券売機併設)の他、待合室、自動販売機、トイレなどがあり、2階の一室は学習塾がテナントとして入居している。駅舎の反対側にあたる東口へは、ホームから直接連絡する手段はなく、駅舎北側にある跨線橋(歩行者のみ)で連絡している。自動改札機が3通路設置され、全通路でSuica等のICカードが利用できる。2016年3月31日まではキヨスク(売店)があったが、閉鎖となった。
構内の側線では越後線と弥彦線で使用する車両の夜間滞泊が行われる。なお構内には1984年(昭和59年)まで新潟運転所吉田支区が設けられていた。
のりば
番線
路線
方向
行先
備考
1-5
■
越後線
上り
柏崎方面
主に1・2番線を使用
下り
新潟方面
■
弥彦線
上り
弥彦方面
主に3 - 5番線を使用
下り
東三条方面
5番線については長らくホーム番号が振られておらず、留置線扱いだったが2005年(平成17年)12月改正より正式に5番ホームとなり、従来からの留置線機能に加え、客扱い列車が発着するようになった。
ホームの有効長は1・2番線が9両まで、3番線が6両まで、4番線が4両まで、5番線が3両までの対応となっている。
歴史
1912年(大正元年)
8月25日:越後鉄道・白山 - 当駅間開通の際に吉田駅として開設。
12月28日:当駅 - 地蔵堂(仮)間が開通。
1913年(大正2年)4月20日:出雲崎 - 地蔵堂間が開通に際し、駅名を西吉田駅(にしよしだえき)に改称[5]。
1916年(大正5年)10月16日:西吉田 - 弥彦間が開通[6]。
1922年(大正11年)
4月20日:西吉田 - 燕間が開通[6]。
7月:第一種連動装置竣工[7]。
1927年(昭和2年)10月1日:越後鉄道が国有化。国有鉄道越後線となる。
1951年(昭和26年)2月24日:構内車庫で火災、気動車1両全焼。
1959年(昭和34年)10月1日:再び吉田駅に改称。
1961年(昭和36年)12月27日:駅舎改築の地鎮祭び起工式挙行。
1962年(昭和37年)
7月26日:現在の駅舎が竣工。
7月27日:竣工した駅舎を使用開始。
1973年(昭和48年)12月1日:営業近代化に伴い管理駅となる(越後曽根−小木ノ城間と弥彦−吉田間の無人駅を管理)。
1974年(昭和49年)
3月5日:旅行センターの営業開始。
5月:みどりの窓口営業開始。
1982年(昭和57年)11月5日:貨物扱い廃止。
1985年(昭和60年)3月14日:荷物扱い廃止。
1986年(昭和61年)1月10日:直営のハンバーガーショップ開店。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅になる。
2004年(平成16年)3月15日:駅舎2階に学習塾開校。
2005年(平成17年)3月1日:自動改札機導入。
2006年(平成18年)1月21日:ICカード「Suica」の利用が可能となる。越後線の当駅 - 新潟駅間の全駅と、弥彦線の東三条駅で利用可能となる。
2008年(平成20年)3月15日:弥彦線でICカード「Suica」の利用が可能となる。
2014年(平成26年)4月1日:越後線 柏崎方面でICカード「Suica」の利用が可能となる。ただし、柏崎駅での乗降のみ取り扱い。
2016年(平成28年)4月1日:売店(KIOSK)閉鎖。
2022年(令和4年)
9月30日:みどりの窓口の営業を終了。
10月1日:指定席券売機を導入。